異世界へ
ガラスのウサギ
「ねえ、さっきの曲、もう一回聴かせて?」
一曲吹き終わって芝生に寝転んでいると、可愛らしい声のリクエストが飛んできた。
「寝転んだままでもいい? 今日はとっても気持ちがいいから」
「うん、いいよ」
俺はオカリナを顔の前にかざす。
抜けるような青空。陽を浴びて輝くオカリナ。この曲が生まれた異国にもこの空は繋がっている。
そんな見知らぬ国に想いを馳せながら、オカリナを口に当てた。
目を閉じてメロディを奏で始めると、小さな声もうっとりと呟く。
「懐かしいなぁ。ボクの故郷の曲みたい」
えっ? それってどういうこと?
この曲は日本のものじゃない。それなのに「ボクの故郷の曲みたい」なんて言葉が返ってくるとは全くの予想外だ。
一体どんな子供が聴いてくれているんだろう?
曲を奏でる手を止めて体を起こそうとすると、さらに予想外の提案が投げかけられる。
「ねえ、タクミ。僕の故郷に来てみない?」
ええっ!?
確かに今、「タクミ」と呼ばれたような気がする。見知らぬ子供に。
なんでこの子は俺の名前を知っているのだろう?
「誰?」
辺りを見回してみる。が、誰もいない。
「ボクだよ、ボク」
誰もいないのに声だけが聞こえてくる。
「隠れてないで、出ておいでよ」
と言ってみたものの、隠れる場所はどこにもないのだ。
「ここだよ、ここ。それよりも、お腹のパイプを切り離してくれないかな?」
声の主は、なんと先ほど作ったガラスのウサギだった。
「えっ、マジで!?」
驚きながらも俺はバッグの中からヤスリを取り出し、恐る恐るガラスのウサギを手に取った。
精魂こめて作った作品には魂が宿る――と言う。
が、どう見ても、ただのガラスだ。先ほど子供たちの前で作ったウサギ。
ホントにこのウサギがしゃべったんだろうか?
半信半疑でウサギをパイプから切り離すと、ウサギは俺の手からぴょんと飛び跳ね、芝生の上に着地した。
「あー、すっきりした。ありがとう上手に作ってくれて!」
ペコリとお辞儀をするウサギ。
俺は思わず頬をつねる。これは夢だ、絶対夢なんだと。
一生懸命作ったとはいえ、そのガラスのウサギが動いて、しかも言葉を話すなんてありえない。
「そんなに驚かなくてもいいよ。ボクの名前はリナリナ。ガラスの丘リナから来たんだ」
青白き燐光に包まれるウサギ。
ガラスの内面から何かが湧き出している。
ウサギのリナリナは、俺に向かってニコリと微笑んだ。
「何でボクが動いて見えるか教えてあげるよ」
タヌキに化かされたような顔をしながら、俺はうんうんと頷く。
「まずはタクミ、ガラスって透明だよね?」
「ああ、そうだね」
「でも、ガラスって見えるよね? それは何で?」
なんか、どこかのクイズ番組みたいだなぁ……。
俺は少し考えてから答えてみる。
「ガラスが光を反射してる……から?」
「その通り。今ね、このガラスの内側はボクの故郷のリナに繋がっているんだ。だから、リナからの光でボクが動いて見える。ガラスが震えるから、声も聞こえる」
ふーん、とすぐに納得できるわけではなかった。
だってガラスのウサギが動いて、しかも言葉をしゃべっているのだから。
でも俺には確かに見え、確実に声は聞こえるのだ。それなら納得せざるを得ない。
――ボクの故郷のリナ。
俺は今、猛烈に魅力を感じていた。ガラスのウサギの故郷に。そして今、この世界と繋がっていることに。
「リナリナ、って呼べばいいのかな?」
「いいよ、タクミ」
「さっき君は、故郷に来ないかって言ったよね?」
「言ったよ」
「なんで?」
「タクミのガラス細工の技術が、リナに必要だから」
嬉しさで思わずにやけてしまう。
――見たことも行ったこともない国が、自分の技術を必要としてくれる。
それはとても光栄なことだった。
「そのリナってところに、どうやったら行けるのかな?」
「今ならボクに触れば行けるよ。青白く光っているのは繋がっている証拠だから。というか、タクミを招待するためにボクは来たんだよ」
それならば、と思う。
どうせ自分は住居を持たない流浪のガラス職人だ。今日の宿もまだ決めていない。
道具も旅支度も全部、目の前のバッグに揃っているし、ガラス細工の知識、つまり亡き師匠の教えはすべて頭の中に入っている。ガラスの原料だって、ほとんど現地調達でやってきた。たとえリナが異世界であっても、何とかやっていけるに違いない。
「じゃあ、リナに連れて行ってくれるかい? リナリナ」
「いいよ。じゃあ、ボクに触って」
俺はバッグを肩にかけ、恐る恐る右手の指をガラスのウサギに伸ばした。
人差し指がリナリナに触れた瞬間、俺の体は青白き光に包まれる。
こうして、ガラスの丘リナへの旅が始まったのだ。
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