第11話 箱庭の天使
◇◇◇
トンネルの行き止まり、少し階段を上り固く錆び付いた扉を何とか押し上げると見たことのない作業小屋の中に出た。夢中で走ってきたせいで、どの程度遠くまで逃げられたかも分からない。
出来れば森の中など、人のいない場所であればいいが。そう思って恐る恐る外に続くドアを開く。しかしその先には明らかに貴族風の綺麗に整えられた庭園が広がっていた。
(まずい、明らかに高位貴族の家だ!早く逃げないと捕まってしまう!)
叔父や叔母の手がどこまで伸びているのか分からない。叔父や叔母に無関係だったとしても、自分を手に入れたことで何に利用されるか分からない。貴族は……信用出来ない。
トンネルの中は無数に枝分かれしていた。だとしたら選択肢は一つではない。恐らく逃亡に有利な他の場所にも繋がっているはず。
踵を返して戻ろうとしたところに声が聞こえた。
「あなたはだあれ?」
まだあどけない小さな女の子の声。一人だろうか。トタトタとこちらに走り寄ってくるのが分かる。とにかく顔を見られるとまずい。そう思ってとっさに顔を隠そうとしたが、
「わぁー、綺麗!王子様ね?ソフィアを迎えに来てくれたの?」
息を切らせながら下から覗き込んだ瞳とバッチリ目が合ってしまう。
優しい朝日に煌めく柔らかな金の髪に、透き通るようなペリドットの瞳。
―――――天使のように可愛い女の子がそこにいた。
(うわっ、可愛い。お人形さんみたい……でも騒がれると困るな……)
「ごめんね、ここは君のお家?間違えて入っちゃったんだ。すぐに出て行くからお家の人には内緒にしててくれる?」
女の子が騒ぎ出さないようにできるだけ優しい声で話し掛ける。お願いだから大声を上げないでくれと願いながら。
「ん~?んん~?間違いなの?ソフィアの王子様じゃないの?じゃあ今からソフィアの王子様になって!」
ぎゅっとしがみつかれて途方にくれてしまう。どうしよう……兄弟がいないので小さい子の相手は今までしたことがない。突然現れた小さな女の子をどう扱って良いかも分からなかった。
「お嬢様!お嬢様!旦那様が探してますよ!どちらに行かれたんですか?」
少女を探す声にますます慌てる。
「ね、君、ソフィアちゃん?お願いだから離してくれないかな?頼むよ」
「やだ!絶対やだ!」
ふりはらうこともできずにもたついていると、結局見つかってしまう。
「まぁ!またこんなところに!一人でベッドを抜け出しちゃダメですよ!あなたは……?あら、庭師の子じゃないのね。新人さんかしら……」
「あの、私は……」
「その服、随分汚れて……あちこち怪我してるじゃない。……貴方、ずいぶん疲れた顔してるわ。わけありね?いらっしゃい。大丈夫。ここでは誰も貴方のことを詮索しないわ」
「あのね、ソフィアの王子様なの。やっと迎えにきたの」
「はいはい、ようやくお嬢様の王子様が見つかりましたね」
「うん。ふふふ」
少女に腕をとられながら屋敷の中に連れて行かれる。夢中で走ったため服は薄汚れあちこち破れてしまっていた。切れた膝や腕からは血が流れている。
「こんなに傷だらけになって。ほら、顔もこんなに汚れて……まずはお風呂にゆっくり入ってらっしゃい。話はそれからよ」
「はい……」
よく見ると頭に蜘蛛の巣が張り付いている。ひどい有様だった。
「ソフィアも一緒に入る!」
「お嬢様はダメです!レディは殿方と一緒に入浴いたしません!」
「ええー!つまんなーい!」
お言葉に甘えて風呂に入ると、大分気持ちも落ち着いてきた。本当はこんなことをしている場合じゃない。一刻も早く逃げなければならないのに……分かっているが体がどんどん重くなる。
何とか風呂から上がると、用意されていた真新しい服に着替える。シンプルなシャツとズボンは少し固く、多少縫製も粗いが動きやすい。
メイドらしき女性がてきぱきと傷を手当てしてくれる間思わずウトウトしていると、先程の女の子が心配そうに抱きついてくる。
「お嬢様。この子ずいぶん疲れているみたいですよ。ゆっくり寝かせてあげましょう。目が覚めたらお知らせしますから……」
「ぜったいよ?」
「はい、約束です」
少女は安心したように頷くと可愛く首を傾げてきた
「王子様のお名前をうかがってもよろしいですか?」
一生懸命丁寧な言葉遣いを心掛けてるのがとても可愛い。
「お姫様、私の名前はジーク……ジークです」
つい本名を名乗りそうになって慌てる。まだ自分がどこにいるのかも分からないのに!
「ソフィア・アルサイダーです。アルサイダー商会の一人娘です」
ぺこりとお辞儀をして名乗る名前に聞き覚えがあった。アルサイダー商会……確か国内外で手広く事業を展開している商家だったはず。取りあえず貴族ではないことにホッとする。
「さ、これでよし。ここでゆっくり休んでちょうだい。しばらくしたらお水や何か食べ物を持ってくるわ」
「ありがとうございます……」
無理やりベッドに寝かしつけられると途端にまぶたが重くなる。肉体的にも、精神的にも疲れ切っていた。
「おやすみなさいジーク」
小さな声に返事をする間もないほど、私は深い眠りに落ちていった。
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