10 暴走する本能

「ふん。相変わらず呑気な連中だな」

 アネスは、空間を通して凛花達の行動や話している様子を見ていた。こんな奴らに、自分がやられてたまるか。そう思いながら、アネスは“あの部屋”に向かって行った。バタンと豪快に扉を開けば、空がこちらをじっと見ながら首を傾げている。

「さあ、お前の出番だ。奴らは噴水広場にいる。僕も後で向かうから、先に行って戦え」

 その言葉に、空は無言で頷いた。そして、アネスが創り出していた空間に入って行った。空間を縮め、様子を見るように覗き込んで不敵に微笑んだ。

「さて……実験開始だ」




 突然、四人の前に裂け目のような黒いものが現れた。それがアネスによるものだと気づいた有奏が、即座に立ち上がって凛花の前に移動し、戦闘態勢に入る。三人も慌てて立ち上がって、警戒を続ける。ホープス以外の周りの人達は、何かを察したように慌てて噴水広場から出て行ってしまった。

 中から出てきたのは、緑髪黒目の少年だった。田舎の学校にありそうな、ちょっとシワのある赤っぽいジャージを着ている。全体的に田舎臭い感じはしていたが、それを象徴するように鼻にはテープが貼られていた。

「お前達がホープスだな? オラがやっつけてやるから、覚悟するんだぞ」

 どこか虚ろな目をしていて、こちらに対して敵意を剥き出しにしている。恐る恐るといった感じで、葵が腰を低くして話しかける。

「あの〜、どちら様ですか?」

「オラは握力空あくりきそらだぞ。アネスから、お前達と戦うように言われたんだぞ」

「アネス……って事は、アンハピネスからの刺客って事?」

 刺客、という言葉を聞いて、空は怪訝そうに首を傾げる。

「しかく……? 漢検一級なら昔持ってたんだぞ」

「それは普通に凄い。……ってそっちの資格じゃない!」

 本当にこの人が刺客なのだろうか? そう疑ってしまう程、どこか抜けていた。だが、アネスの名前を聞いたからには放ってはおけない。

「仕方ない。ゆっくり休みたかったけど、戦おっか!」

 有奏が皆にそう呼びかけて構える。すると、空がこちらに待ってくれと言わんばかりに手のひらを見せる。

「その前に、オラの力が衰えていないか試させてせて欲しいんだぞ」

 空はそう言うと、広場の近くにあった大きめの岩の前に立つ。そして岩に向けて拳を突き出して、

「うおおおおおお!!」

そのまま粉砕した。

「…………は?」

「え、私達今からこの人と戦うんだよね?」

「うちら終わったんじゃない? これうちらの骨粉砕されるやつだよ?」

「葵、戦う前から怖い事言わないで」

 凛花達は確信した。この怪力少年に、敵うわけがないと。四人が若干引いていると、慌てて空が弁明する。

「ま、待つんだぞ? 勘違いされてると困るから先に言っておくけど、今のはただの素で、アビリティとは関係ないから安心するんだぞ」

「え、素であれ? あんな事できるの?」

「私達終わった……骨砕かれる……」

「砕かないんだぞ……!? 確かに握手はするなって言われてるし、物も持つなって言われてるけど……」

 どうやら、空は自分の怪力のヤバさに気づいていないらしい。ますます戦いが怖くなってきたが、ここで引き下がる訳にもいかない。

「さあ戦うんだぞ。そっちが来ないのなら、先にオラからやるんだぞ」

 そう言うと、空は両手で空気を圧縮してボールのような形にして、そのまま菫の方へ投げてきた。菫は一瞬驚くが、すぐにるるのアビリティ『守備』のバリアを展開して防いだ。パキッという音はしたものの、何とか防ぐ事は出来たようだ。

「うん。これは手強いかも」

 菫はバリアにヒビが入っている事を確認すると、それを消して空の方を見る。

「彼のアビリティは『圧縮』かな? 空気を圧縮して、それをボールにして飛ばしてるんだと思う」

 空は何で分かったんだ、とでも言いたげに菫を見る。どうやら正解らしい。だが、空は「まだまだだぞ」と次の攻撃の用意をしている。

「次は連続でいくんだぞっ!」

 まるで機械から出ているかのように飛んでくる透明なボールは、四人の方へ次々にやって来る。必死に避ける凛花だったが、ボールが当たった床を見ると見事に抉れていた。

「当たったら即死だこれ……」

 猛攻撃が止んだタイミングで、菫は突破口を考える。あの攻撃を掻い潜り、空を捕らえる事はできるのか。

(……なら、一か八か、あの力で)

 菫は勢い良く空の方へ向かって行く。

「えっ、ちょ、菫ちゃん!?」

『大丈夫。僕に任せて』

 困惑する葵に菫がテレパスで語りかけると、空は菫に向けてボールを放つ。それらは全て菫に当たる事なく、どんどん距離だけが縮まっていく。

 さすがの空でも距離が近すぎると為す術がないのか、攻撃をピタリと止めてしまった。

「ふふ、残念だったね」

 菫はそのまま空の腕を掴み、葵の『解除』の力を使ってアビリティを封印した。

「な、なんでなんだぞ……!? オラの圧縮ボールを全部避けるなんて……」

「『逃避』を使ったからね。これなら、いくらボールが飛んできても避けられる。ちなみに、『解除』も使ったから、腕を振りほどかない限りアビリティは使えないよ」

「つ、強いんだぞ……」

 菫は、一瞬のうちに解決策を見出して空を完封した。これだけの強さを持った空を、一人で捕まえられるなんて。菫の実力、そしてアビリティ『演技』はかなりのものだ。

「さて、有奏。空はどうするの? 広場を派手に壊しちゃったけど……」

 菫の言う通り、噴水広場の周辺はかなり荒れ果ててしまっている。

「それなりの罰は与えなきゃかな。とりあえずアジトに……」

 そう言って、有奏が空に近づこうとした時。

「その必要は無い」

 突然、どこかから別の男の人の声が聞こえてくる。辺りを見回していると、五人のいる真ん中辺りが裂け、中からアネスが現れた。裂け目が消えてから、アネスは菫と空の方へ近づく。

「……ネス、どうしてここに?」

「お前には関係ない。……いや、これから関係があるのか。お前達にはある実験に参加してもらう。最初の被験者は、そいつだ」

 アネスは空に近づくと、菫を謎の力で弾き飛ばす。菫は驚きつつも再度アネスの方へ近づこうとするが、アネスによって凛花達の元へ戻されてしまった。アネスは右手から出す黒い靄を、空に見せている。

「僕の持つアビリティの一つ、『暴走』の力を試すための実験体になってもらう。理性も情も無くなるが、まあ問題はないだろう?」

 ニヤリと笑うアネスに、空が目を見開く。

「まっ……待つんだぞ。そんな事聞いてないんだぞ!」

「言ってないからな。だが、実験に参加すると言ったのはお前だったよな。そして、文句も言わない約束だ」

「そ、それは……」

 空はそれ以上何も言えなかった。あの日、きちんと話を聞かず、アネスに「強くなれる」と言われただけで実験に参加すると言った事を後悔した。部屋に軟禁されてからも、強くなれるからと自分に言い聞かせて我慢していた日々は、何だったのだろうか。

 しかし今更考えても、何もかも遅かった。

「じゃあ、実験開始だ」

 アネスは不気味な笑みを浮かべると、靄を空に纏わりつかせた。徐々に身体が靄に侵食されていく毎に、空の意識も薄れていく。葵達もできるなら助けたかったが、アネスのせいでその場から一歩も動けなかった。

 黒い靄に完全に侵食された空は、不気味なオーラを纏いながらゆらゆらと身体を揺らしている。異様とも言える空気に、四人はただ呆然と見つめるしかなかった。空はゆっくりと顔を上げ、こちらを見つめる。

 その黒い瞳は、狂気に満ちていた。

「……まずは一段階目。成功だな。おい、四人を目掛けて『圧縮』の力を使ってみろ」

 アネスにそう指示された空は、同じように空気で圧縮されたボールを作って四人に向けて投げた。全員何とか避ける事は出来たが、あれは先程とは比べ物にならない力になっていた。

「な、何これ……さっきとは大違いじゃん……」

「この異様な感じ……ネスは一体何を……?」

 菫はアネスの方を見て睨む。アネスは再び右手に黒い靄を出したかと思うと、ぐっと右手を握りしめ、悪びれもなく黒い笑みを浮かべている。そんなアネスに対し、凛花は沸々と怒りの感情が出てくる。アネスは凛花に気づいているのか気づいていないのか、ちらりと視線を向けた後に再び空へ指示を出す。

「さあ、後はお前のやりたいようにやるといい。奴らさえ殺してくれればな」

 その言葉を聞いた空は、空高く飛び上がって大量の圧縮ボールを四人へ投げつけた。すぐに菫が対応し、素早くバリアを展開した。しかしそれも程なくして、数と勢いに耐えきれずに破壊されてしまった。ほとんどは菫がバリアで守ってくれていたため、全員被弾せずに済んだ。

「お前達もせいぜい頑張るといい。まあ、お前らが死ぬか、こいつが死ぬかの二択しかないがな」

 アネスは不気味な笑みを浮かべながら、背後に現れた裂け目の中へ消えていった。空はこちらに敵意のある視線を向けながら、次の攻撃を仕掛けようとしている。

「もうっ、アネスは空に何をしたっていうの!?」

 有奏は怒りながら、空をどうにかしようと考えを巡らせる。菫は、先程の会話から何となく空に何が起きたのかを推測し、伝えてみる事にした。

「さっき、ネスは自分のアビリティの一つである『暴走』の実験体になってもらうって言ってたよね。もしかしたら、それを使って空のアビリティ『圧縮』の力を最大限に引き出したんじゃないかな。……理性を失う程に」

 それを聞いた三人は、アネスがどれだけ非道な事をしたのかを思い知らされる。同時に、アネスに対しての怒りの感情が強くなる。

「とにかく、空を止めないと! アビリティの力なら、葵のアビリティで止められないかな?」

「やってみる価値はある! けど、どうやって近づけばいいんだろう?」

「私達で引きつけるから、その隙に背後に回る、とかは?」

「やってみようか。やらないよりはいいだろうからね。あ、凛花は危ないから下がってて」

「え、でも……」

「ふふん、こういうのは先輩であるうちらに任せちゃいなさい!」

 三人にそう言われたため、凛花は大人しく後ろの方で見守る事にした。まず最初に仕掛けたのは菫だった。『演技』の力により、星那の『逃避』を駆使してボールを全て避け切る作戦だ。有奏も必死に空を煽り、注意を引きつけている。そうして上手く葵が背後に回り込み、『解除』を使った──はずだったが、何故か空の攻撃は一切止む事がない。

 それどころか、背後にいた葵に気づいた空は標的を変え、至近距離にいる葵に向けて圧縮ボールを投げようと構えてきた。流石に避け切れない、と葵が目を瞑ると、何とか菫が葵を抱えて有奏達の元へ避難させた。ボールは誰にも当たる事なく、一直線に飛んで行った。

「ふぅ、ギリギリだったね」

「すっ、菫ちゃん、ありがとう!」

「怪我はなさそうだね、良かった」

 葵を降ろすと、菫は黄色の瞳を光らせて、空を注意深く観察する。感じる敵意、正気を失った瞳、アビリティの威力の異常な強さ──

「……断言は出来ないけど、未莉澄の時と似てるような気がする。けど、解除が効かないとなると話は別だよね。どうやって空を正気に戻すか、だけど……」

 菫が顎に手を当て、考え込む。しかし、有奏はアネスがいなくなる前に言った言葉が脳裏に過ぎる。

「でもアネスは、私達が死ぬか空を殺すかの二択しかないって言ってた。そんなのって……」

「そうと決まった訳ではないよ。今は分からないけど、必ず突破口はあるはず。まずは空を止める事が先だ」

「……そうだね、必ず空を救ってあげよう。だってうちらはホープスだし! 人助けもできなくて何になるっていうのさ!」

「だね! よし、気を取り直していこう!」

 菫達は再度立ち直し、空を救うために全力を尽くす事にした。凛花だけは何も出来ず、ただ四人を眺めるだけになっている。

(私にも何かできる事があったら……)

 いや、考えるのはやめよう。とにかく今は、有奏達が何とかしてくれる事を祈り、応援しよう。

 空が圧縮ボールを次々に作り出し始め、今にもこちらに向けて発射してきそうな勢いだった。有奏が咄嗟に鉄の板を作り出し、飛んできたボールを跳ね返す。カウンター攻撃は予測していなかったのか、空は動揺していた。その隙を狙い、菫が『植物』の力で蔦を出し、空の身体を拘束した。その影響でアビリティの力が弱まったのか、用意されていた圧縮ボールは次々に消えていった。

 しかし、それもごく僅かな時間だけだった。元々強力な怪力を持っていた空は、演技の力で再現しただけだからとはいえ、いとも簡単に蔦を引きちぎってしまった。そうして自由になった両手を存分に使い、『圧縮』によって固められた空気の壁が三人を地面に押し潰した。空気によるもののため、見た目では分からないが、三人は全く起き上がれずに苦しんでいた。そんな三人を見ても尚、空は感情のない瞳でただアビリティを使っているだけだった。

 やりたいようにやればいい、というアネスの言われるがままに。

「うっ……動けな……」

「ホントに、うちら死ぬって、これ……」

「……ぐ……っ、さすがに、この、まま、じゃ……」

 このままじゃ、皆が──

『お前らが死ぬか、空が死ぬかの二択しかないがな』

 凛花は動いた。空の方へ、真っ直ぐに。皆が目の前で殺されるのなんて見たくない。そう思ったら、そこからの行動は速かった。

「りっ、凛花……!?」

 凛花は空の元まで辿り着くと、思いっきり突き飛ばした。空は押し倒されるままに地面に叩きつけられ、その拍子にアビリティの力が消えた。有奏達はすぐに立ち上がり、凛花の元に駆け寄った。

 しかし、ゆっくりと起き上がった空が有奏達を吹き飛ばす。そして、凛花に近寄れなくするように空と凛花の周りを圧縮した空気の壁で覆う。再び駆け寄ろうとした有奏達は、その透明な空気の壁に隔たれてしまった。

「凛花ちゃん!!」

「落ち着いて。まずはこの壁をどうにかしないと。でも、どうしたら……」

 その会話の間に、凛花は壁際まで追い込まれ、そのまま押さえつけられてしまった。力は空の方が遥かに上で、逃げられるはずもなかった。

「……っ!」

 凛花には攻撃手段がない。かと言って、逃げられる状況でもない。完全に詰みだった。

 目の前の人物は、最初に出会った少年と同一人物とは思えない。

 ただ、目の前の敵を殺すためだけに、本能のままに動いている。

(どうして?)

 最初に会った時から、敵意は感じていた。しかし、アネスの力によって生物兵器のようになってしまった。

(こんな事は、空だって望んでないはずなのに)

 自分は今、殺されるかもしれない。そんな恐怖の状況に陥っているはずなのに、何故だか空から目を離せない。否、離してはいけない気がした。

 空は凛花の首元に右手を置く。この手が凛花の首を握ったら、間違いなく死ぬだろう。しかし、凛花は自分が死ぬという恐怖の感情より、空に人殺しをして欲しくないという感情の方が大きかった。

「ねえ、あなたは本当にこんな事がしたかったの? もっと違う想いがあったんじゃないの?」

 空は答えない。虚ろな目を向けながら、腕に込めた力を強めていく。

「お願いっ、聞いてよ……! っ、こんな事、本当は……したく、ないんでしょ……!」

 動きは止まらない。力が強まっていく。

「……っぐ、ぅ……空!!」

 一瞬、空の目の焦点が合い、凛花と目が合った。その瞬間、凛花以外の時が止まったような感覚に襲われる。そのまま今いる空間が歪んでいき、奇妙な感覚に目を瞑った。




 気がつくと、凛花は学校の教室にいた。いると言っても、自分の実態はなく、誰かが体験した世界を遠目で見ている感覚だった。自身の学校かと思ったが、雰囲気を見る限り凛花が通っている学校の教室とは違う。教室はがやがやとしていて、時計が指す時間的に朝のホームルーム待ちだと思われる。

 ガラガラとドアが開き、先生と思われるスーツの男性が名簿を持ちながら入ってくる。

「おい、席に座れ。今日は転校生を紹介するぞ」

 入っていいぞ、という声と共に、一人の少年が教室に入る。

山田やまだ貴之たかゆきだ。よろすくお願いします!」

 その少年は、どことなく空に似ている気がした。

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