8 微妙な空気感

 広間へ戻ると、未莉澄がソファで寝かされていた。穏やかな表情とは言えないものの、ぐっすりと眠っている様子だった。菫は椅子に座りながら、その様子を真剣な表情で見ていた。

「……ひゅみちゃん、大丈夫かな……」

 葵が不安そうに、未莉澄の顔を覗いている。菫は葵を安心させるように、少しだけ微笑んだ。

「大丈夫だよ。今は眠ってるけど、この様子なら明日には復活してるはずだよ」

「それなら良かったです。……あら、るるちゃんはどこへ……?」

 るるの姿が見えない事に疑問を持ったろろは、きょろきょろと辺りを見回す。事情を知っている有奏が、ろろに話してあげた。

「るるなら、気分転換に行ったよ。疲れている様子だったから、今はそっとしておいてあげて」

「有奏ちゃんがそう言うのなら……」

 ろろはそれでも心配していたが、あまり干渉してはいけない事は分かっていたため、どうにか自分を納得させた。

 星那はどうなったかというと、騒動が収まったと同時にどこかへいなくなっていた。元々アンハピネス側ではあるため、特に皆気に止めてはいなかったのだ。

 皆の顔を見るとなんだか安心して、急に疲れが襲いかかってきた。その様子を見た菫が、皆に優しく呼びかけた。

「ほら、皆もう疲れてるでしょ? 今日はもう休むといいよ。未莉澄は僕が見ておくからさ」

 そう菫に促され、メンバー達は次々に広間の奥の扉へと向かって行く。凛花はどうしようかと思っていると、有奏に扉へと手招きされる。何をするんだろう、と思いつつ、有奏について行った。

 廊下の先には下へ行く階段があった。そこを降りていくと、かなり長い廊下の左右に多くの扉がある。その扉の前には、メンバーの名前が一人ずつ書かれている。

「凛花に部屋をあげようと思って! まだまだ空いてるから、名前が無い場所ならどこでも使って大丈夫!」

「あ、ありがとう。いいの?」

「当たり前でしょ! 凛花はもう、立派なホープスの一員なんだから!」

 さあさあ選んで、と有奏に促される。廊下の右の扉の部屋は、手前から葵、菫、未莉澄と書かれている。左の扉の部屋は、手前からろろ、るるだった。突き当たりまで行くと、有奏と書かれた扉がある。

「う〜ん……じゃあ、順当にろろの隣にしようかな」

「へい! まいどあり!」

 その言葉に、凛花は不審そうに有奏を見た。

「……お金取るの?」

「取らないよ、言ってみただけ!」

 有奏はあはは、と笑いながら、「もう入っちゃっていいよ!」と言った。中は思ったよりも狭かったが、ベッドが最初から配置されていて、かつしっかりと必要最低限のものは揃っていた。

「すご……意外としっかりしてる……」

「意外と!? 最初はどう思ってたの!?」

「いや、床かなって」

「私にだってちゃんと心はありますぅ〜!」

 冗談だよ、と凛花は笑った。有奏はちょっとムスッとしてたが、しばらくすると部屋について色々説明してくれた。要約すると、壊さなければ何をしてもいい、との事だった。

「多分もう少ししたら葵が夕ご飯作って持ってきてくれると思うから、それまでゆっくりしていて大丈夫だよ」

「分かった、何から何までありがとう」

「ううん! 何かあったら奥にある私の部屋にいつでも来ていいからね!」

 そう言うと、有奏は扉を閉めて自室へ戻って行った。何か問題さえ起きなければ、個人の時間もある事に驚いたが、凛花にとってそれはありがたくもあった。凛花はベッドに寝転ぶと、そのままゆっくりと目を閉じた。

 今日は色んな事がありすぎた。頭を金槌で殴られて意識をなくして、気づいたら異世界に来てました、だなんて誰が信じるのだろうか。神と名乗る不審者から頼まれて異世界の問題事を解決する羽目になり、いきなり敵のヤバそうな人に出会ってしまったり、かと思えば有奏に助けられたり。そして教会に連れてこられたかと思えば、いきなり戦うことになって……まるでフィクションのようだ。

 まあ、全て身をもって体験してしまった事なんだけど。

(改めて考えてみると、今日だけで色々ありすぎでは……?)

 他にも振り返る事はあったような気がするが、疲れが溜まっていたのもあり、凛花はそのまま眠りについてしまった。




 トントントン、とノックの音が響く。その音に、凛花はうっすらと目を開けた。

「凛花ちゃん、入るよ」

 目を擦りながら起き上がると、葵がお盆を持って部屋に入って来た。お盆の上には、ご飯と味噌汁が乗っている。

「あはは、このくらいしか用意できなかったんだけど、大丈夫だったかな?」

「十分だよ、ありがとう」

 葵が机の上にご飯と味噌汁、そして箸を置く。凛花は再度お礼を述べ、床に座って「いただきます」と言うとそれらを食べ始めた。しばらく食べていると、葵が真剣な顔で話しかけてくる。

「……ひゅみちゃん、普段はもっといい子なんだよ。今回の見て、怖いって思っちゃったかもしれないけど、ホントは……」

 葵は未莉澄の事を庇うように、必死に弁明していた。だが、凛花にはそれが必要ないくらい、未莉澄がいい人だって事は分かっていた。

「大丈夫。あんな事する人じゃないっていうのは、この数時間でも分かってるつもりだから」

「……そっか。なら、いいんだ」

 どうやら、葵は未莉澄の事についてかなり気にしているらしい。未莉澄に悪い印象がついているかもしれないと思い、誤解を解きに来たつもりだった。だが、凛花は葵が考えているよりも遥かに優しかった。そして、理解してくれていた。

「ひゅみちゃんは自分から誰かを傷つけたりなんかしないし、悪いこともしない。るるくんも分かってはいると思うんだけどね」

 そういえば、るるは未莉澄が嫌いなんだっけ。

「……るるってどうして未莉澄が嫌いなの?」

「う〜ん……正確には分からないんだよね。多分うるさいからだと思うよ」

「ああ……」

 いい人なのも分かっていたが、同時に未莉澄の騒がしさと奇想天外な性格も分かっていた。

「他の子にもご飯届けなきゃだから、そろそろ行くね」

 葵がドアを開き、凛花の部屋を出た。あの感じからして、葵はかなりの仲間思いなんだろうな、と考えながら、凛花はご飯を完食した。

「……ごちそうさまでした」

 空の食器と箸を持ち、部屋を出ると誰かの会話が聞こえてくる。廊下で話しているようで、所々話し声が耳に入った。声のする方へ顔を向けると、ご飯と味噌汁が乗ったお盆を持つ葵と、帰ってきていたらしいるるがいた。

「だから、今日は夕飯いらないから」

「でもお腹空いてるでしょ? 少しでもいいから食べ……」

「いらないって。余計なお世話。……今日は疲れたから、このまま寝させて」

 バタン、と扉が閉まった。葵はお盆を持ちながら、心配そうに扉を見つめていた。凛花は声をかけようとしたが、葵はすぐに気持ちを切り替えたのか、広間の方へと階段を上がって行った。

 しばらく呆然と階段を見つめていた凛花だったが、食器を置きに行くという目的を思い出して慌てて階段を上る。広間が近づくにつれて、なんだか騒がしくなっている気がした。不審に思いながらも扉を開けると……。

「お、凛花じゃん。よっ」

 一番最初に視界に入ったのは、ソファから起き上がり、片手を上げている未莉澄の姿だった。

「未莉澄!?」

 凛花は思わず声を上げた。まさか、もう目を覚ましているとは思ってもいなかった。見た感じでは、かなり元気なようだった。

「凛花か。見ての通り、未莉澄がさっき目覚めたんだ。念の為異常がないか見てみたけど、特に問題は無さそうだから大丈夫だよ」

「そうそう。正直記憶ないから何があったか分からんけど」

「覚えてないんだ……」

「大丈夫、いつも通りのひゅみちゃんだよ」

 どうやらこれでも正常らしい。葵と菫は、未莉澄の扱いに手馴れているようだった。未莉澄も既にソファから離れて普通に立っていて、思いっきり伸びをしている。

「葵、なんか食べるものある?」

「ああうん、すぐに用意するから……」

「そのお盆のやつでもいいけど」

「これ、ホントはるるくんのやつなんだけど……」

「あーね。断られたんだ。じゃあ貰うわ」

 葵の静止も聞かず、未莉澄はお盆のご飯と箸を持って食べ始めた。葵ももう諦めたようで、味噌汁も机に置いてお盆を返しに行った。凛花と菫は、その光景に苦笑するしかなかった。

 そういえば、と凛花が手に持った食器を台所の方へ持っていく。すると、近くにいた菫が「僕が洗っておいてあげるよ」と、食器を持って行って洗い始めた。シンクには、他のメンバーの食器も置かれている。

「そういえば、結局みり……ひゅみりすが暴走したのってどうしてなの?」

「いや無理にひゅみりす呼びしなくていいから。素直だなお前」

 あなたが強要したんでしょ。何なんだこの人は。

「ひゅみちゃんが持っているスキルの中に、『リミッター』っていうものがあるの。リミッターは、アビリティを使う毎にアビリティが強化されていくんだ。でも使いこなせていないと、使う度に力の制御が出来なくなって暴走しちゃうの」

「そ。たまーに制御範囲超えて使っちゃってやらかすんだよね。今日みたいに」

「それでああなってたんだ……」

 未莉澄の謎も解け、その後も他愛のない会話が続いた。丁度いい時間になった所で、凛花も寝る事にした。おやすみ、と広間に残っている葵達に声をかけ、部屋に戻った。

 ベッドの上に寝転んで、目を瞑る。現世ではちゃんと生きているみたいだけど、正直実感が湧かない。あっちでは、両親や真穂に心配をかけているかもしれない。確かめようもないから、分からないけど。

(……考えても仕方ないか)

 今日はもう寝てしまおう。そう思い、凛花は眠りについた。




 莉子は緊張していた。ただでさえ命令を実行する事が出来なかったというのに、あのような醜態を晒し助け出されてしまうなんて。きっとこれから待ち受けているのは、自分の処分なのだろう、と。

 少しだけ怯えているようにも見える莉子を見ながら、アネスは腕を組みじっとしていた。その表情からは、何を考えているのかは分からない。怒っているようにも見えるし、平然としているようにも見える。

「……莉子」

「……はい。処分でしたらいつでも構いません。ワタシは逃げませんので」

「いや、お前の処分はしない」

「……えっ?」

「むしろ、処分するメリットがない。お前はそこそこ優秀だからな。それに、今回は想定外に近い。……僕もそこまで非道じゃないからな」

「……ありがとうございます」

 莉子は安心した表情で、「失礼します」とその場を去った。アネスはその背中を見送った後、背後にある扉を開けて場所を移動した。しばらく廊下を歩き、ある扉の前まで来た後にそれを開けた。中には緑色の髪をした少年がいて、虚ろな目でアネスの方をじっと見ている。

「今度はお前の番だ。実験に参加すると言った以上、何が起きても文句は言うんじゃないぞ」

「分かっているんだぞ。実験に参加すれば、オラも今よりもっと強くなれるって聞いたんだぞ」

「ああ、その通りだ。だから僕の指示通りに動け」

 アネスは人影に向けてニヤリと笑い、右手から黒い靄を出す。

「だが、一先ず様子見だ。握力空あくりきそら。その時が来たらまた呼ぼう」

 靄を数秒間じっと見た後、右手をぐっと握りしめて薄く笑う。そして、人影には目もくれずに部屋の扉をバタンと閉めた。

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