2 名も無き世界

 ゆっくりと目を開けると、真っ青な空が見える。さっきまで何してたんだっけ。脳を覚醒させるべく今までの出来事を思い出す。

 確かフードを被った人に金槌で殴られて、異空の狭間とかっていう場所で神に会って、問題事をどうにかしろって言われたんだっけ。

 そこまで考えて正気に戻る。

 勢いよく起き上がり、辺りを見回す。そこに広がるのは草木。……一応自分の身体も確認する。怪我は何一つない。全く痛くもない。しかも何故か、神と話してた時は制服だったのに、いつの間にか普段着に変わっている。

「……やっぱり現実かぁ……」

 小さな一人言を呟くと、背後から低い声が聞こえてきた。

「急に起き上がったと思ったら、今度は一人言か。何だお前、そういう趣味の持ち主か?」

「……は?」

 凛花はゆっくりと振り向く。知らない男の人が、呆れ顔をして突っ立っていた。紫色の髪に水色のメッシュがあるその人は、上下共に真っ黒な服装をしていて、そのせいか柄が悪そうに見えてしまう。

「誰!?」

「こっちが聞きたい」

 その人は凛花の目の前に移動するとその場でしゃがみ、目線を合わせてくる。じっと見た後、黄色の目を細めた。

「……見ない顔だな。新人か?」

「いや、その前にここどこ? あんた誰!? なんで私こんなとこで寝てるの!?」

「それもこっちが聞きたい。はぁ……僕は空亜《くうあ》ネスだ。アネスと呼ばれる事が多いな。……お前、名前は何だ」

「え、えっと……橘凛花ですけど……」

 ふぅん、とアネスは興味無さそうにしている。そっちが名前聞いてきた癖に、なんだその態度は。そう思っていると、アネスはお構い無しに話を続ける。

「お前、ここがどこかと聞いたな。ここは名も無き世界だ」

「名も無き世界……」

 確か、あの頼りない神が言っていた名前だ。という事は、無事に異世界に着いたって事か。……嬉しいような、嬉しくないような。

 なんて事を考えていると、再びアネスがこちらに話しかけてくる。

「お前、行くあてがないならこっちに来ないか?」

「え、いきなり勧誘? 危ない宗教じゃないよね?」

 凛花はアネスを怪訝そうにしながら目を細める。当の本人は、訳が分からないとでも言いたげにこちらを見ている。

「何を言ってるんだお前。……まあいい。本当に何も知らんようだから教えてやる」

 アネスは立ち上がると、その場でふらふらと動きながら話し始めた。凛花もそれに合わせ、その場で正座をして話を聞く体勢になる。

「ここ最近……いや、かなり前からだな。ここには時計があるが日付という概念がほぼないようなものだから、明確に何年とは言えないが、ずっとチームのようなものを組んでいる奴らがいる。僕もその一人だ」

 アネスは再び立ち止まる。凛花が身構えていると、アネスは視線だけこちらへ向けて続ける。

「僕の組織は『アンハピネス』。この世界の崩壊を目的としている」

「崩壊……?」

 フッと乾いた笑みを零し、腕を組みながら凛花の方を向き、見下すような形を取る。

「この世界は異常だ。ここに住んでいる奴らは、嫌な記憶を持ったまま平然と暮らしている」

 そこまで言うと、アネスは凛花にぐいっと顔を近づける。凛花はその勢いに圧倒され、思わず身体を引く。

「それに、お前には何かの素質があるように感じる。だからこちら側に入れ。そしてこの腐った世界を壊すんだ」

 凛花はアネスの話を聞き、絶句する。同時に、いきなりヤバい人に会ってしまったんだと悟った。異世界に来て数分しか経ってないのに、こんな事になるなんて誰が予想出来ただろうか。

「き、急にそんな事言われても……」

「今は分からないだろうな。だが、そのうち分かる時が来る」

 アネスは一歩下がると、さあ、とでも言わんばかりに凛花の方へ右手を差し伸べる。まだこの世界の事を何も知らないのに、アネスに協力する事は出来ない。しかし、断ったら断ったでトラブルが起こるかもしれない。

(ど、どうしたら……)

 その時、どこからか別の人影が現れ、凛花の前に庇うように立った。

「ちょっと! その子怖がってるでしょ! ホントいつも懲りないんだから!」

 その人が現れた事で、アネスの目つきが変わる。まるで、この二人が対立しているかのようだった。

「大丈夫? アネスに何かされてない?」

 目の前の人物がこちらに振り向いて、話しかけてくる。濃いピンクの髪色に灰色のメッシュがあるその人は、エメラルドグリーンの瞳をきらりと光らせながら心配するように顔を覗き込む。覗き込んだ時にふわりとスカート部分が揺れ、リボンの結び目や靴下がアシンメトリーなその容姿は、自然と視線が引き寄せられるようだった。

「あ、えっと、大丈夫です」

「うんうん、怪我もしてないみたいだね」

 その人は凛花の無事を確認すると、凛花の前に立ってアネスを睨みつける。

 すると突然、アネスはその人の方へと高速で向かって来る。拳を正面に突き出して、凛花を狙って殴り込もうとする。急な襲撃に驚いた凛花は咄嗟の判断が出来なかったが、いち早く気づいたその人はそれを止めるようにして立ちはだかる。手のひらから盾のようなものを出現させ、アネスの拳を受け止めた。そしてお返しだと言わんばかりに、アネス目掛けて蹴りをお見舞いする。相当運動神経が良いのか、アネスは一瞬で躱していた。

 そこから、二人の攻撃はエスカレートしていった。凛花は巻き込まれないように後ろに下がっていたが、間近だった事もありかなり迫力が凄かった。彼女は次に鉄の棒のようなものを生成し、それを持ってアネスに殴りかかった。アネスは殴られる瞬間、背後に裂け目のようなものを出してその中へ入っていく。空振ったその女性の背後に同じ裂け目が出来たかと思うと、そこからアネスが飛び出して腕を掴もうとしたが、女性は瞬時に気づいて後方へ飛んで身を躱した。

 しばらくそのような戦いが続いたが、アネスは諦めたようにため息をつく。そして、凛花の目の前に立つ女性を睨んだ後に、こちらをちらりと見た。

「はぁ、今回は見逃してやろう。だが、次はないと思え……『ホープス』の人間め」

 こちらを睨みつけると、アネスは背後に現れた謎の空間に入っていき、そのまま空間ごと消えた。

 アネスがいなくなった後、目の前の人物は殺気を無くして緊張を解くように息を吐いた。その後、凛花の方を振り向いて、改めて無事を確認した。凛花はその人にお礼を言うべく立ち上がる。

「あの、ありがとうございます」

「いいのいいの! 貴方が無事なら良かったよ!」

 にこりと微笑むと、その人はこちらに向き直って自己紹介を始めた。

「私は鈴風すずかぜ有奏ありす! よろしくね!」

「えっと、橘凛花です」

「あはは、敬語使わなくてもいいよ。そっちの方がいいでしょ?」

「え、あ、うん」

 有奏はフレンドリーな性格のようで、とても話しやすかった。とりあえず状況整理をするため、質問してみる事にした。

「えーっと……色々聞きたい事はあるんだけど……まず、さっきのネス? アネス? って人って……」

「ああ、アネスの事? 聞いたかもしれないけど、アネスはこの世界を壊そうとしているんだ。アンハピネスっていう組織ぐるみでね」

 アンハピネス。先程もアネスの口から聞いた名前だった。アネスはこの世界が腐っていると言っていたが、壊されてしまってはあの神に申し訳ない。

「それを止めるために、私達『ホープス』がいるの!」

「ホープス?」

 そういえば、さっきアネスが言っていたような気がする。私達、という事は、他にもホープスに入っている人がいるのかもしれない。

「ホープスは、文字通り希望をモットーにした組織だよ! この世界で生きていて嫌な事もあるだろうけど、それを希望へと導いてあげたい。そんな想いから結成したんだ! ホープスは私以外にも、他にもメンバーがいるんだけど……まあ分かりやすく言うと、この世界を守る事を目的としているんだ。アネスみたいな人からね」

 なるほど。つまりアンハピネスよりは全然良心的な組織なのだろう。少し考えていると、「そうだ!」と有奏が言い、手をポンと叩く。

「ねえ、ここで話すのもあれだし、私達のアジト行こ!」

「え!? い、いいけど、迷惑にならない?」

「大丈夫大丈夫! 皆優しいから!」

「ちょっ、待って! そんな引っ張らなくても行くから!」

 有奏は半ば無理矢理、凛花をぐいぐいと引っ張って誘導した。引っ張られすぎて少しよろけながらも、懸命に足を動かした。あまりにも強引だったために、凛花には断る余裕すらも無かった。




 腕を引っ張られながら、異世界を歩いていた。この世界自体はかなり広いようで、森があったかと思えば街があり、住宅地のような場所もあった。ただ、その広さと反対に住人はそこまで多くないような印象だった。まあ、そこまで人と多くすれ違わなかったからというだけに過ぎないが。

「じゃーん! ここでーす!」

 有奏に誘導された場所は、森の奥深くにある、人が数名しか入れなさそうな小さな小屋だった。凛花は目を疑った。本当にここがアジトなのだろうか?

「……こんな所にたくさんの人が入るの?」

「うん、だって地下にあるから」

「地下!?」

 凛花はずっとこの小さい小屋に住んでいるのだとばかり思っていたが、どうやら地下があるらしい。有奏は何の躊躇いもなく小屋のドアを開けると、その先にあるハシゴを降りていった。凛花も慌てて追いかけた。

 着いた先はリビングのような広間になっていて、机やソファ、キッチンまでもがそこにあった。机の上にはいくつかコップが置きっぱなしになっていて、床にも少し本や紙が散らばっていた。キッチンのシンクにも、洗われていない食器が重なって置かれている。さらに部屋の奥には扉があって、このアジトがかなり広い事を証明しているようだった。

「その辺のソファに座っちゃっていいよ! 立ちっぱなしじゃキツいでしょ?」

「うん、ありがとう」

 凛花がソファに腰掛けると、有奏はその向かいに座った。

「えっと、まずはどこから話そっかな〜……」

 有奏は考えるように首を傾げる。しばらくして「決めた!」と言うと顔を凛花に向け、改まったように話し始めた。

「ここは『名も無き世界』。とある人が創った世界なんだけど、今はその人がいなくなっちゃったの」

 とある人、というのはあの神の事だろう。神のことは誰にも言うなと言われているため、凛花は黙って有奏の話に耳を傾ける。

「ここに集まるのは、現世で六から十八歳まで生きた人達ばかりなの。その理由は、このくらいの年齢で死んじゃった人達が、一番現世での未練が残りやすいから。つまり、ここにいる人達はほぼ全員現世で既に死んだ人ばっかりなんだ」

 その話を聞いて驚愕した。ほぼ、と言うのは、きっと凛花のような人が数名いるからだろう。ここの住人が少なかった印象を受けたのは、幅の狭い年齢層の人達しか来られない異世界だったからというわけだ。

 それにしても、まさかここにいる人達が全員現世で死んでいるなんて。

「本来なら、そのタイミングでここのお仕え天使達の所へ送られるはずなんだけど……凛花って、お仕え天使達に会った?」

「お仕え天使……?」

 凛花の反応を見て、有奏はお仕え天使に会ってない事を瞬時に理解した。そして急に真剣な顔になり、凛花は何を言われるのかと緊張する。

「その反応を見ると、凛花は例外かもしれない……ねえ、どうやってここに来たの?」

「えっ、えーっと……知らない人に金槌で殴られて、死んだと思って目を覚ましたら、ここに……」

 神の事は口が裂けても言えない。というか、言ってはいけない。ちょっとだけ不自然だった気もするが、有奏には気づかれていないようだ。

「完全に例外だね。お仕え天使に会ってないんだよね? それならまだ現世では生きてるはずだから、安心して良いよ!」

「え、私生きてるの!?」

「多分だけどね!」

「確定じゃないんだ……」

 それはそれとして、私は現世に帰りたい。

「だとしたら、ここにいる人達がどういう特徴を持っているかも分からないって事だよね」

 うーん、と再び考えるような仕草をする。不意に、有奏がパッと顔を上げてこちらを見た。

「そういえば、アネスに会ったのによく生きてたよね」

「え、そんなに危ない人なの……?」

 目が覚めたら突然目の前にいたのはびっくりしたけど、話した感じはそこまで悪い人とは思わなかった。世界を壊すとか言い始めてからは恐怖を感じたけど。

「前提として、私達は『アビリティ』という特殊な力と『スキル』という補助的な力を持ってるんだ。スキルはない人もいるけど、アビリティは皆必ず持っているものなの。お仕え天使達が、個々に合ったアビリティやスキルをくれるんだ! うーん、簡単に言うと、アビリティは自分だけの必殺技みたいな感じかな」

 つまり、ここにいる人達は全員超能力者みたいなものか。さっきの戦いで、勝手に物が生成されたりアネスが瞬間移動してたりしたのも、アビリティを駆使していたからか。……どうしてそんなもの作ったの、神。

「普通アビリティは一人一つなんだけど、アネスは何故か複数持ってるんだ。だから凛花が一歩間違えていたら、死んじゃってたかも……」

「えっ……」

 その言葉を聞いて、凛花は一瞬血の気が引く。有奏は安堵したように、凛花の両手を取って上下に振った。

「だからホント良かったよ〜! 危害を加えられる前に凛花を助けられて!」

 どうやらあの場面、受け答えを間違えていたら即ゲームオーバーだったらしい。よくやった、過去の私。そしてありがとう有奏。

「……そもそも、どうしてアンハピネスとホープスは対立してるの?」

 その質問に対し、有奏は少し考えてから口を開いた。

「根本的に目的が違うから、かな。アンハピネスはホープスに絡んでないで、さっさと世界壊したらいいじゃんって思うかもしれないけど、そうもいかないっぽい」

 どういう意味だろう、と思っていると、有奏は人差し指をピンと立てる。

「これは推測だけど、アネスみたいに頭の切れる人でも、私達みたいな存在がいると邪魔だって感じるんだと思う。後々計画していく上で邪魔する存在がいると煩わしいから、ホープスを壊滅させてから破壊行動をしようって思ってるのかも」

 あくまで有奏の推測に過ぎないが、そうだと仮定して考えるとアネスの行動にも納得がいく。きっと、かなりの慎重派なのだろう。

 ここまでの状況を整理しよう。まず、ここは『名も無き世界』という、俗に言う異世界。ここにいる人達は超能力者まみれだけど、ほぼ全員現世で死んでいる。そして、何も持っていない凛花は一人で歩いていると危ない。ホープスとアンハピネスという組織がいて、異世界の崩壊を企むアンハピネスを止めるためにホープスがいる。アネスはホープスがいると邪魔だから、ホープスを解散させてから異世界を崩壊させる気なのだろう。

 ……あの神が言っていた問題事というのは、アンハピネスの事だろうか。だとしたら、有奏に協力するのが一番手っ取り早い気がする。しかし特殊な力を持っていない凛花が、ホープスのために役立てるだろうか。そう思いながらも、恐る恐る有奏に聞いてみる。

「……ねえ、有奏。ホープスって私も入れたりしない?」

「え?」

「いや、その……私一人でこの世界を歩き回るのも危険だし、またアネスみたいな人に会うのも嫌だからさ。め、迷惑だったら、全然……」

 有奏は一気に明るい顔になり、キラキラした瞳で凛花を見た。

「いいよ! むしろ私は大歓迎だよ!」

「え、でも、多分何の役にも立たないよ?」

「大丈夫だって、ここには心強〜い味方がたっくさんいるからさ!」

 そう言って立ち上がり、有奏は凛花の手を一度離して隣に移動する。

「となると、やっぱり一回お仕え天使の元へ連れて行った方が良さそうかな」

「え、でも私死んでないんじゃ……?」

「うん、多分死んでないよ。言い忘れてたけど、凛花みたいな例外に当てはまる人でも、アビリティは貰えないけどスキルは習得出来るんだ。仕組みは分からないけど」

「そうなんだ……」

 ホントに何でこんな事したの? と突っ込みせざるを得ない状況な気がする。その張本人(神)いないけど。

「そうと決まれば、お仕え天使の所へレッツゴー!」

 そのまま有奏に手を引かれ、凛花はよろめきながらも移動を始める。お仕え天使とはどんな存在なのだろうか。困惑しつつも、少しだけわくわくしている自分がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る