名も無き世界でみるものは

白井 みかん

1 異世界の頼み事

 平凡な暮らしを送るはずだった。


 学校に行って、ご飯を食べて、遊んで、寝る。そんな暮らしを望んでいたはずなのに……


 いとも簡単に、崩れていった。




 たちばな凛花りんかは、ごく普通の高校一年生だ。五月に入り、新しい人間関係にも慣れ、成績優秀とまではいかずとも、落ちこぼれる事もなく、それなりに学校生活を楽しんでいた。

 一般的な人の暮らしから考えたら、これはとても幸せな事。凛花もそれは分かっていて、自身も幸せを実感していた。

「おーい、一緒に帰ろうよ〜!」

「ちょっと待って、今準備してるから」

 帰り支度をして、友達である来栖くるす真穂まほのいる教室へちらりと顔を出した。

 凛花と真穂は小学生からの知り合いで、家が近いと知った時には二人して驚いたものだ。どこかへ遊びに行くとなれば、必ずと言っていいほどお互いにお互いを誘っていたし、勉強をする時だって教え合っている。ほとんど離れる事はないくらいだ。

「今日の数学、全然分かんなかったんだけど」

「ねー。あの先生教えるの下手なんだよね。後で一緒にやる?」

「やろ。先生に教わるより、凛花に教わった方が百倍いいし」

「それは大げさでしょ」

 二人は今日も、小走りで駅へと向かって行く。

 電車に乗り、最寄り駅まではスマホを見ながら会話する。ネタ呟きが面白いとか、あの有名人が結婚したとか、くだらないニュースとか。

「うわ、何これ。『女子高生が連続で後頭部を金槌で殴打される事件が頻発してる』だって」

「え、ヤバ。犯人何考えてるんだろうね」

「知らん。死者は出てないらしいけど、気をつけるに越したことはないかな」

「そうだね。私も注意しとかなきゃ」

 ニュースを閉じながら、真穂は少し笑って冗談めいた事を言う。

「こんなので死んで、気づいたら異世界にいましたーなんて事になったらシャレにならないし」

「もう、何言ってるの? それはアニメとか漫画の話でしょ?」

「あー……うん、そりゃそうだけども。まあいいや、忘れて」

「?」

 真穂の言葉を不思議に思いながらも、電車が最寄り駅に着いた事を告げているので、出口へと向かう。最寄り駅に着いてから十分ほど歩くと、二人の家が見えてくる。

「そっちの家でいい?」

「大丈夫、さっき許可取ったから」

「助かる。じゃ、支度したらすぐ行くから」

「了解、待ってるね」

 凛花は部屋に駆け込むと、早速準備を始めた。数学の教科書とノート、そして宿題のプリントを探していると、玄関のチャイムが鳴った。

「凛花、真穂ちゃん来たわよ」

「お邪魔します」

「はーい、私の部屋でいいよね?」

「いいよ」

 真穂が分からないと言っていた、一次関数やグラフについて詳しく教える。納得したタイミングで、凛花の母親が丁度よく差し入れを持ってくる。チョコレート菓子を食べながら、楽しく勉強をする。

「そういう事か。やっぱり教えるの得意だよね」

「あはは、そうかな。ここら辺は予習しといたからさ」

「流石。これなら次のテストも余裕じゃん」

「真穂はやれば出来るんだから、もうちょっと真面目に授業受けたら?」

「授業内容によるかな……」

 そんな事を言いながら勉強会を終え、「じゃ、またね」と明日も登校を共にする約束をして真穂は帰っていった。

 明日の支度をしていると、板書をするためのノートが足りない事に気づく。どうして帰る時に気づかなかったんだと後悔しつつ、「ノート買ってくる」と母親に告げて家を飛び出した。ここから近い場所に、ノートが安く売っている場所がある。そこに行って帰って来るだけ。そう思っていた。

 突然、後頭部に衝撃を受ける。何が起きたかを考える間もなく、頭に激痛が走った。頭を抱えながらその場に倒れ込み、薄れゆく意識の中で後ろをちらりと見た。フードを被った人が、こちらを見てニヤリと笑っている。その手には、金槌が握られていた。

 ふと、真穂の話が脳裏に浮かぶ。『女子高生が連続で後頭部を金槌で殴打される事件が頻発してる』、だったっけ。今まさに、自分がその状況だ。

 やられた。どうして私が? そんな考えが浮かんでは消えていく。周りがやけに騒がしくなる。反対に、意識はどんどん無くなっていく。

 そしてそのまま、意識を手放した。




「ん……? ここに誰かが来るなんて、久しぶりだなぁ」

 何かの声がぼんやりと聞こえてくる。

 ──これは……夢?

「おーい、生きてる? それとも死んでる?」

 どんな声の掛け方なんだ、と思いつつも、凛花はゆっくりと目を開けた。ヒラヒラとしたマントのような真っ白な布が後ろで揺れていて、左足には水色のリボンのような長いものが、ゆったりと巻かれている。黒い靴下を履いていて、靴はヒールらしく歩く度にコツコツと音が鳴っている。目を擦り、身体を起こしながら見上げると、黄緑色の髪をした人が桃色の瞳で不思議そうにこちらを見ていた。

「うわっ!? 誰!?」

「あれ、驚かせちゃった?」

 その人はあはは、と笑いながら、「立てる?」と問いかけながら凛花に手を差し伸べる。凛花は戸惑いつつ、素直に手を掴みながらお礼を言った。

「えっと……ここは?」

「ここは『異空の狭間』って呼んでるんだけど、本来は絶対来られない場所なんだよね」

「本来は絶対来られない……?」

「失礼だけど君、ここに来る前に死にかけた? それとも死に直面するような出来事があった?」

「え、急に何を……あれ……?」

 そこまで話を聞いて思い出した。確か私、知らない人に後ろから……

「そうだよね!? 私急に金槌で殴られて意識失ったよね!? 何で傷一つないの!? というかそもそもここ何なの!? あなた誰!?」

「えっと、ちょっと落ち着いて……?」

 そう声をかけられ、軽く深呼吸をして息を整える。しかし、そう簡単に気持ちが落ち着くはずもなく……

「……私やっぱ死んでるよね? じゃなかったら、こんな知らない場所に来ないよね?」

「大丈夫、君はまだ生きてるよ。だって、『異空の狭間』にいるんだから」

 言ってる意味がまるで分からない。頭の中ではてなマークを浮かべていると、目の前の人物がゆっくりと説明を始めた。

「君はここへ来る前、誰かに頭を金槌で殴られたと言ったよね。それは即ち、死にかけた、もしくは死に直面するような出来事に当てはまる。そうだよね」

「う、うん」

「ここに来られるのは、何らかの要因により現世で意識不明になった人だけなんだ。それも、六から十八歳の人だけだ」

 その人──とりあえず今は“神”って呼ぶ事にしよう──は、こちらへ視線を向けるとにこりと笑った。

「君に悪い知らせがあるんだけど、聞きたい?」

「出来れば聞きたくないです」

 睨みながら神を見る凛花に、神は慌てた様子で謝罪を述べる。

「いやあの、ホントにごめんね? 君を驚かせようとか、何かに陥れようとかって話じゃないんだ」

「普通そこは良い知らせと悪い知らせがあるって言う所でしょ」

 神はあはは、と悪いと思っているのか分からない笑いを零す。

「……あ、というか、名前教えてなかったよね。私は橘凛花。君っていうの堅苦しいから、凛花でいいよ」

「凛花か。いい名前だね。僕は……うーん、今はやめておこうかな。とりあえず神って事にしておいていいよ」

 ホントに神だった。

「えっと、話の途中だったね。悪い知らせっていう言い方が悪かったかな。うん、悪かったね。ここに来て急にこんな事を頼むのも悪いんだけど、僕のお願いを聞いてもらえないかな」

 ここまでの飄々とした雰囲気とは変わり、真剣な表情で凛花を見た。その表情からは、神と言うだけあるようなただならぬ気配がした。

 一体何をお願いされるのだろう、と思いながら、凛花はゆっくりと頷いた。

「ありがとう。実は、僕が創り出した世界があってね。俗に言う異世界ってやつなんだけど、そこで少し厄介な事が起きていてね。あまり詳しく言えなくて申し訳ないんだけど、そこで起きてる問題事をどうにかして欲しくて」

「自分で創ったなら、自分で何とか出来るんじゃないの?」

「本当ならね。でも、その問題事を起こそうとしてる人に狙われているんだ。つまり簡潔に言うと、僕が表立って何かしようとすれば、もっと問題が大きくなる可能性があるんだ」

「要するに、自分で何とかしたくても出来ない状況って事か……」

 そこまで聞いて、凛花は考える。何が起きているのかは分からないけれど、少しくらいなら付き合ってもいいという気持ちはある。だが、どちらかと言えば一刻も早く元の世界に帰りたい。

「……ところで、私が元の世界に帰れる保証はあるの?」

「ある……って言いたい所なんだけど、実は僕にも分からないんだ。そもそもここに来る人がホントに少ない……というか、一人? 二人? くらいしか来た事ないし、どっちみちあっちの世界に行ったっきりだし」

「え、つまり生きて帰れる保証ないの!?」

「それどころか、帰れるかどうかも分からないね」

 無責任すぎないか、この神。

 言いたい事は色々あるが、どちらにしても今すぐ元の世界には帰れない事が分かった。というより、分かってしまった。

 最早ここまで来たら、選択肢は一択も同然な気がする。嵌められたような気がしてならないが、そもそもここに来てしまった自分が悪いような気もする。意識失いながら何をしてるんだ私は。

「あーーーーもう! 分かった! どうせ帰れないんなら、異世界ライフを充実させちゃえばいいや! 漫画でもよくある展開だし!」

「えっと、何言ってるか分からないけど……つまり、了承してくれるって事でいいの?」

「どのみちそれしかないっぽいし、いいよ」

「ありがとう!」

 凛花はやれやれと思いつつも、何とも頼りなさそうな神をこのまま放っておく訳にもいかないと思った。そもそも、普通に帰れない事が確定してるし。

 こっちだよ、と手招きする神の方へついて行くと、ぐにゃぐにゃした謎の空間が広がっている変な場所があった。

「ここから飛び降りたら、いつの間にか着いてるはずだよ。僕はそっちには行けないけれど、時々会えるから安心してね」

「え、会えるってどうやって……? そっちには行けないはずじゃ……」

「そのうち分かるよ」

 ふふっ、と意味深な笑みを零しながら、神はこちらへどうぞと言わんばかりに謎の空間に誘導した。

「あぁ、一つ言い忘れていたけれど、僕の事はあっちの世界の誰にも言わないで欲しいんだ。あっちに行ったら、目が覚めたらここにいたとでも言ったら大丈夫」

「わ、分かった」

 ちらりと謎の空間に目を向けて、少し怖気付く。それに気づいた神は、微笑みながら凛花に言った。

「怖がらなくても大丈夫だよ。ここの人達はいい人ばかりだから。詳しい事は、きっと誰かが教えてくれるよ」

「最後まで人任せのような……」

「僕は説明が苦手なんだ」

 凛花が顔を覗き込み、様子を確認しようとしたが、こちらからは何も見えないらしい。多様な色が混ざり合ったマーブル模様が見えるだけだ。飛び込んでみなければ、異世界の全貌は分からないようだ。

「……そういえば、この異世界に名前とかないの?」

 ふと疑問に思った事を聞いてみると、神は考えるような仕草をした後、「ないね」と答えた。

「ないの……?」

「うん。でも皆は、『名も無き世界』って言ってた気がする」

「それは……名前があるんだかないんだか……」

 名も無き世界。正直それだけでは、どんな場所なのかが判断出来ない。この先不安でしかないが、最初に声をかけてくれる人が親切な人である事を心から願った。

 意を決して、凛花は謎の空間に飛び降りた。色んな感覚が歪み、何が何だか分からなくなる。目を開けることすらままならない。何かを感じる間もなく、凛花は空間の中へと消えていった。




 凛花を見送った後、神は謎の空間に背を向ける。自分で創り上げた世界なのに何をする事も出来ず、ただ呆然と空を見上げた。

「次は……次こそは、上手くいくといいな」

 凛花に対する期待や不安を考えながら、そう呟いた。

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