余談

齋藤某氏の『すべて』

 僕と多々良が庭で焚火をしていた時のことだ。

 その日の午前中に、常連の佐々木さんのお使い依頼を受けたのだが、そのお礼にさつまいもをどっさりもらったため、早速焼きいもにして食べようということになったのである。僕は生で食べても良かったんだけど、


「ほっかほかのおいもにバターを乗っけるです!」


 と多々良が譲らなかったのだ。

 そこで、せっせとさつまいもにアルミホイルを巻き巻きしているところへ、「秋様ぁ!」という聞き慣れた声が飛び込んで来た。杣澤そまざわ君だ。


「秋様ぁ! 今日もご機嫌麗しゅう! 何してらっしゃるんですか?」


 生垣からひょこりと顔と右手を出して、満面の笑みである。僕の足より太そうなその腕をぶんぶんと振りながら。多々良待ちなさい、その火ばさみをどうするつもりだ。


「何って、これからさつまいもを焼くんだよ。暇ならアルミホイル巻くの手伝ってくれない?」

「喜んでぇ!」


 そう言うや、彼は生垣から顔と右手を引っ込め、だだだだだ、とこちらにまで聞こえるほどの勢いで回り込んで来た。


「巻きます! 秋様、あなたのために! 何百本でも、何千本でも!」


 急に走ったからだろう、はぁはぁと息を弾ませてやって来る身長百九十センチの巨漢の首に、「それ以上ボクのボスに近付くな」と多々良が火ばさみを突き立てる。


「下がりなさい。近すぎです。ホイル巻きは手伝わせてあげますが、近付いて良いとは言ってないです」

「出たな、ちび助。ちびすぎて視界に入らなかったわ」

「図体ばかりの木偶助でくすけめ。電柱の方がまーだ役に立つですよ」


 開幕からこれである。

 もうさ、僕は一刻も早く焼いもを食べたいんだけど?


「多々良も杣澤君もよしなさい。喧嘩してる暇があったらアルミホイル巻いてよ。僕もう限界なんだけど」


 生のさつまいもを齧りながらそう言うと、杣澤君に対して射殺さんばかりの視線を向けていた多々良が、「はわ! ボスってば生で食べてますね!? 我慢出来ないなんて、全く、バブちゃんなんですからもうっ! 可愛くて仕方ないです!」と目尻を下げる。そして不動明王みたいな顔で多々良を見下ろしていた杣澤君までも「はわぁ、秋様が小さなお口であんな大きなさつまいもを! あああ一口大にカットして差し上げたい!」とアワアワしている。


 ねぇ、君達の中で僕って何歳児の扱いなの?


 とにかく、二人の喧嘩はどうにか収まり、第一陣であるホイル巻きのさつまいもを焼きながら次の準備をしていると、ああそうそう、と杣澤君が思い出したように口を開いた。そういや彼は何の用があって来たんだろう。


「こないだの資産家の金庫の中身なんですけども」

「こないだの――ええと、齋藤さんだったっけ」

「そうですそうです。あの時の金庫の中に入っていたものが何だったかわかったので、それを知らせに来たんです」

「別に良いのに。毎回毎回、君も酔狂だね。伏木さんだって特に気にしてないのにさ」

「そうなんですよ。何でですかね、普通気になりません?」

 

 もしかしたら歴史的大発見かもしれませんし! と杣澤君はさつまいもを持った手を振り上げる。


「気にならないかな」

「あれ? 嘘ぉ?!」

「ボクもまーったく気になりません」

「何でぇっ!?」

「何でって言われても、なぁ多々良?」

「何でって言われても、ですよねぇボス?」


 お互いに首を傾げて視線を合わせると、「だぁぁ」とその間に手刀を割り込ませてくる。


「くそ、ちび助! 俺の秋様とイチャつくな!」

「へっへーんだ、お前のではないです! ボクのボスなんですよねぇ!」

「僕は誰のものでもないけどね」


 それで? と促す。正直気にもならないしどうでも良いけど、このままほっとけばまた喧嘩が勃発してホイル巻き作業が進まなくなってしまう。僕、早くほくほくの焼いもが食べたいんだけど。


「そうそう、そうなんですよ。んもう、結局秋様だけですよ、俺の話を聞いてくれるの」

「うん、まぁ、そうかもね」

「それでですね、金庫の中に入っていたのは、古い小銭がぎっちり詰まった壺と、着物。それから掛け軸ですとか、書類関係だったんですけども」

「そうだったね、そういや」

「まず、小銭は恐らく単なる齋藤氏の貯金なのでは、ということでした。特に歴史的価値のある古銭とかでもなくてですね、当時流通していたものだったので」

「焼酎のペットボトルとかに小銭を貯めるおじちゃんとかいますもんねぇ」

「助川のおじいちゃんもやってたね、確か」

「しかも、十円とか一円とかばっかりなんですよね。百円玉が入ってるの見たことないですよ」

「そんなにじろじろ見るんじゃないよ」


 まぁ、そういう感じのやつです、と言って、杣澤君はくるくると手を動かす。彼は案外しゃべりながらでもちゃんと仕事をする男だ。


「で、着物は恐らくは彼の余所行きのやつですね。かなり上等なやつでした。まぁ……ちょっと色んなアレで汚れてしまっているので、価値は下がっちゃいましたけど」

「だろうね。たとう紙には包んであったんだろうけど、所詮は紙だもんなぁ」

「そうなんですよ。それで、もちろんこれは推測になるわけですけど、齋藤氏が夢の中で言っていた『ワシのすべて』に該当するもの、というのがですね、まぁその小銭貯金とか着物もそうなんでしょうけど、俺的には『掛け軸』を指していたんじゃないかな、って思うんです」

「何、よっぽど有名な人の作品だったとか?」

「ていうか、大層な資産家のはずなのに、『すべて』がコツコツ貯めた小銭貯金と着物ぽっちってしょぼすぎですよ。国宝級の掛け軸の一つや二つでもないと――」

「そう言うなよ多々良。金持ちであればあるほど、案外そういうものかもしれないだろ。財産と呼べるものは全部家のもので、個人が好きに出来るのはそれだけだったのかもしれないじゃないか」

「成る程! ボスはさすがです! さすがの推理力! シャーロック・ナントカも真っ青ですよ!」

「逆に馬鹿にしてるだろお前」


 あのー、続けて良いですかね、と杣澤君が手を上げる。ごめんごめん、どうぞ、続けて?


「その掛け軸、その齋藤さんの作品だったんです」

「へぇ。何、彼って画家? 書家? とか、そういう人だったの?」

「いえ、ただの資産家です」

「ただの資産家なのに?」

「どうやら、まぁ、いわゆる……趣味、ってやつでしょうかね。まぁ、本当はそっちの方で名を残したかったっぽくてですね。書類も色々入ってたじゃないですか。それがその、掛け軸が自分が描いたものである、という証明と言いますか。水墨画だったんですけど、自分の死後、これが有名になった場合は自分の名前で記念館を建てて――みたいなことが書かれてたんですよ」

「成る程。てっきり土地の権利書とかそういうのかと思ったのに」

「その掛け軸も金庫になんて入れなけりゃ、いまごろ日の目を見ていたかもしれないのに、馬鹿なことをしたですよ」


 多々良がそう呟くと、杣澤君はふるふる、と首を振った。


「いや、あれは駄目だ」

「何でですか」

「俺でもわかるくらいに駄目だった」

「はっ、そんなの木偶助のおめめが腐ってるからですよ!」

「いーや! 一応知り合いの画家にも見てもらった! その画家も、『はっきり言ってこれは売れない』って断言してた!」

「それは、色んな液でぐちゃぐちゃになってたからとかじゃなくて?」

「それもあるにはあるんでしょうけど、判別出来る部分を拾ってみても、素人以下の作品だったみたいで」

「成る程ねぇ」


 だけど、本人とっては、宝だったのだろう。

 彼が本当にしたかったことは、お金儲けではなく、それだったのかもしれない。だけどそれだけでは食べていけないから、まずは自分が好きなことを好きなだけ出来るような環境を作って、それから、ゆっくりと画の世界で生きるつもりだったのかもしれない。


 だけど、人の生は短い。本当にしたいことを後回しにしているうちに終わりが来る。

 

 結局のところ、なぜあの中に齋藤氏が入っていたのかはわからない。書類を解読してみても、遺書らしき記述はなかったとのこと。


 だからやっぱりその先は想像するしかない。


 もしかしたら齋藤氏は、自分の命がもう長くないことを知って、死後の世界で有名になるつもりだったのではないか。自分が自由に出来る金と、余所行きの着物、それから自身の作品を全部持って。


 だから彼が、その子孫である齋藤さんに言った「やり残したことが山ほどある」という言葉の中には、もっと画を描きたい、というのがあったのかもしれない。


 けれどそれを知ったところでどうなる。

 齋藤さんが了承してどうにかあの核を体内に収めたとしても、生前と同じように描けるなんて確証もないのに(そもそも生前だって大して上手くなかったみたいだし)。それに、僕に見つかった時点で、終わりなのだ。持ち主が食べても良いと言えば、それは僕の『食べ物』である。

 

 人の無念とか未練とかそういったものは、食べられなくはないけど、心に重く溜まるだけで、僕の空腹を完全に満たしてはくれるわけじゃない。腹が重くなるなら嬉しいけど、心が重くなったって良いことなんかないのだ。


 だから僕は、これからも何も知らなくて良い。

 ただひたすらに空腹を満たすことだけを考えられるよう。


 手に持った生のさつまいもを、がり、と齧ってそう思った。

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