第2章 トキテレビの人気バラエティ番組
1 杣澤君が受けた依頼
1-1 鍵のフシキ堂のお留守番
***
「お待たせしました、こちら合鍵です。それから、こちらがお預かりした元鍵ですね」
ではお会計が――、と少々古い型のレジスターを操作する。タッチパネルではない。値段別に『合鍵A』『合鍵B』『合鍵C』とランク分けされているキーを押す度にガションと音が鳴って、『預/現計』キーを押すと、チン、と釣銭の引き出しが飛び出すという、昔ながらのものである。もちろん釣銭だって自動で出て来ることもない。
高校生の頃にアルバイトしていた個人商店のレジだってこれよりはずっと近代的だった、と思いながら、ジジジ、と吐き出されたレシートをビリリと破る。テレビで見た駄菓子屋のレジみたいだと、レシートを破る度に彼――
「これ、社会科の資料集で見ました。二層式洗濯機と同じ、化石みたいなものですよね。ていうか、これ使えるんですか? オブジェじゃなくて?」
とうっかり口を滑らせ、「馬鹿野郎! どっちもバリバリ現役だ! 特に二層式洗濯機には伏して詫びろ!」と社長である
「社長は黙ってりゃすげぇ美人なんだけどなぁ」
そう呟いてから、いやいやいやいや! と
黙って、尚且つ、女の恰好をすりゃ、の間違いだ、と。何せ彼女は男装家なのである。
ここで働き始めてかれこれ二年だが、彼はまだ一度も明水が女性らしい恰好をしているところを見たことがない。スカートはもちろんのこと、パンツルックだとしても、レディースのものを身に着けてはいない。女性らしい凹凸など、どこにもない。押さえているのか、元々ないのかはわからないが、胸もぺったんこである。常に
なぜそこまで、と首を傾げる。
聞いてみたいが、初日にありがたく頂戴した蹴りの重さに怯んでしまって聞けないのである。あれがもし『そのための蹴り』なのだとしたらとんだ策士だ。
けれどまぁ、男の恰好だろうが何だろうが、腕が良いのは確かだ。彼女が「無理だ、開かん」と投げ出すのはジャムや佃煮の瓶くらいなものである。いままで、どんな鍵だろうが金庫だろうが、彼女は難なく開けて来たのだ。腕は良いのだ。
そう思い直す。
お客がいなくなったところで、鍵付きの棚にしまってある工具箱を取り出した。もちろん彼の方の工具箱だ。
「道具は常に手入れしとけよ、欽」
彼を見下ろしつつ、明水はいつもそう言う。
けれど彼女の身長は百七十しかない。女性にしては高いのだろうし、それよりも低い男性だっている。ただ残念なことに、欽一は百九十あるのだ。彼女が欽一を見下ろすためには、脚立を使うか、彼を座らせなくてはならない。
「ええい、図体ばかりデカいやつめ」
と言われる度、些か大きく育ちすぎた我が身を恨み、彼女が何か言う際には自主的に正座をするようになった欽一である。強制されたわけではない。何なら明水の方でも「いちいち座らんでも良いのに」とは言うのだ。けれど身体が自然にそうなってしまうのである。
「その棚の社長の工具も磨きましょうか」
ごますりなどではなく、単純に、気を利かせたつもりだった。自分のを磨くついでにやりましょうか、と。そこまで忙しい店ではない。さすがに閑古鳥が鳴くほどではないが、行列が出来るような店でもないのである。新生活シーズンに多少合鍵の依頼が増えるかな、という程度だ。なので時間的余裕はある――というか割と暇な時間の方が多いのだ。
けれど明水はそれを断った。
「良いか、欽。その気持ちだけはありがたく受け取るが、命が惜しくば、その棚の私の工具箱だけは絶対に開けるな」
ただでさえ低めのハスキーボイスをさらに低くし、そう言われた。言われた、というか、脅された、が恐らく正しい。開けるなと言われたら、開けたくなるのが人間だ。だから彼もご多分に漏れず、開けたいとは思っている。
だが同時に――
命は惜しい、とも思っている。
普段、物事にあまり頓着しない(古い鍵や金庫にはするけど)社長がそこまで言うのだ、きっと何か恐ろしい秘密があるに違いない。そう思って、自分を律している。何せ彼にはまだまだ死ねない理由がある。
車で十分程度の距離にある便利屋にいる、ふわふわとした銀髪の見目麗しい妖怪である。嘘か真か五百年も生きているらしいのだが、そんな年齢を感じさせないほどに若々しい。そして彼は、秋芳のことを雌の妖怪だと思っている。何度否定しても、だ。素っ裸になって証明すれば良いのかもしれないが、対欽一セキュリティシステムとでもいうべき夢喰い獏の多々良がそれを許さない。欽一曰く『白黒おかっぱの忌々しいちび助』は、彼が秋芳に近付くだけでも敵意と殺意を剥き出しにして、威嚇してくるのである。
彼だって、人間は人間と、妖怪は妖怪と一緒になった方が良いというのは理解しているつもりだ。けれども、愛は時に種族をも越えるのである。人間と妖怪が種族の垣根を超えて夫婦となり、子まで儲けたケースというのは、実は少なくない。ただ、妖怪と人間の子というのは、外見上はきれいにどちらかに分かれる。つまり、妖怪か、人間か、である。ハーフだからといって――例えば母親が河童だからといって、頭に皿、あるいは水かきのある人間は生まれないのである。河童に生まれるか、人間に生まれるか、だ。
だから、妖怪の親に似た者は、例え能力的にはほとんど人間であっても妖怪として生き、また、人間の親に似た者は、どんなに特殊な能力、趣味嗜好を持っていたとしても人間として生きなくてはならない。結局のところ、どちらの社会に属するとしても、大抵の場合重視されるのは見た目なのである。そうなるとやはり大変なのはその子自身だということで、生まれてくるであろう子のことを考え、泣く泣く別れを選ぶカップルも多い。
だけど自分と秋様の子ならば――、と欽一は考える。
秋様はパっと見、ただの美女(さすがに五百歳を美少女とは言えない)だし、そちらに似たとしても、髪が銀色というだけの普通の人間だ。秋様だって人間社会にうまく溶け込んでいるのだし、絶対にうまくやれるはずだ。
そう結論を出したからこそ、欽一は会う度にプロポーズをしているわけなのだが、問題は、秋芳に全くその気がないということと、何度も説明しているように、彼は雄の妖怪だということである。
あんなに可愛いのだから、雄のはずがない、という完全なる偏見によって、彼の中で秋芳は雌の妖怪であり続けているのだった。
ウエスを使って工具を丁寧に磨き上げ、ふと顔を上げる。何の気なしに視界に飛び込んできたのは、棚の中にある明水の工具箱である。とはいえ、あれは普段使うものではない。ここで金庫を開ける時にも、出張で新規の鍵を取り付けに行く時にも持って行くことはない。月に数度、彼女にしか開けられない曰く付きの何かを開ける際に持ち出されるのである。
だからきっと、あの中には、
そんなことを考えて、ぶる、と震える。やはり、触らぬ神に祟りなしである。
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