2 秋芳御一行、地獄の旅
2-1 その血は、誰のもの?
フシキ堂の開店時間を待って家を出た多々良がなかなか戻ってこないので、迎えに行こうと重い腰を上げたのがいまから一時間前のことだ。
ここ数年はお金の管理も多々良に任せているので、僕は基本的にお駄賃程度の現金しか持っていない。ちなみに本日の所持金は八百円である。これっぽっちではせいぜい牛丼屋やファストフード店に入るくらいしか出来ないだろうし、それにしても僕がある程度満足出来るほどの量は買えない。けれど、物は考えようというか、なんというか。何せ僕は悪食である。人間が食べられないもの、『食べ物』と認識されないものも食べることが出来るのだ。
だから、近くのホームセンターに行って、二十キロの砂利を買えば良いのである。あれならその時の価格にもよるが、八百円もあれば、だいたい三袋は買える。六十キロ分である。ただ、問題があるとすれば、さすがに六十キロもの砂利袋を抱えて歩けない、という点だろうか。せめて多々良がいてくれたら。いや、買わないよ。買わない。
まぁとにかく、もしもの場合はそういう手もある、という意味だ。
それに、何も無理に食事をしなくても良いのだ。朝ご飯はちゃんと多々良が用意してくれていたし、あと二時間は何も食べなくたって大丈夫。
そんなことを考えながらフシキ堂への道を歩く。
その途中で、
絡新婦というのは、普段はきれいな女の人の姿をしている妖怪だ。主食は主に人間の男なのだが、さすがに令和のこの時代、大っぴらに狩りをすれば事件になる。そこで、まぁ大きな声では言えないけれども、自殺の名所などに行ってこっそりと食べているらしい。世の中には、まるでスパイ映画か何かのように秘密裏に処理される人間というのも確かに存在しているらしく、そういう者の処理班として働いたりもしているのだとか。いずれにしても、悪食のように食欲が底なしではないので、地獄から迎えが来るほど食い散らかしているわけではないようだ。
「おやぁ、秋芳じゃないか。今日は休みなのかい?」
「うん、特に何も頼まれてないからね」
「それじゃぁあたいをちょいと手伝っちゃぁくれんかねぇ」
「糸衣那を? 少しなら良いよ。僕、多々良を迎えに行くところだから」
「なぁに、秋芳ならすぐよすぐ。報酬もちゃんとあるからさぁ」
「報酬?」
現金じゃなくて食べ物だと良いなぁ、そんなことを話しながら、歩いて五分の彼女の住処へと行く。住処と言っても仮住まいらしいけど。
他の妖怪とシェアしているらしい中古の一軒家である。かなり老朽化が進んでいるその家は、恐らく次の台風で飛んで行くんじゃないか、っていうのが、ここに住む妖怪達の定番のジョークらしい。さすがにそこまでではないものの、隙間風やら何やらが酷いのだとか。それでも妖怪は人間と違って色々タフだ。その隙間から入り込んだ小動物やら虫達なんかも捕食対象だったりするのでその辺は全く気にならないようである。むしろ鴨が葱を背負って来た状態ともいえる。
その、おんぼろ一軒家の居間に、ででん、と鎮座していたのは、
「え、何これ。どうしたの」
牛だった。
丸々一頭である。
すでに死んでいる。
「いただきものなんだ。知り合いの牧場主のね、大きい声じゃ言えない、ちょいと危ない仕事を手伝ったら、くれたんだよ」
「別に深くは聞かないけどさ」
「市場には出せない訳ありのヤツでね」
「だろうね、おかしな痩せ方してる」
「だろ。それでだ」
「うん。何を手伝ってほしいの?」
「解体だよ。秋芳、そういうの得意だろう?」
「得意じゃないよ、むしろ。僕は食べちゃう方だから」
「そうか。そうだったな」
まぁでもうまくいかなくても、後処理の方なら得意だろ? と言われれば、首を縦に振らざるを得ない僕である。
それで、あとから合流した
血抜きもされていない牛をあれこれしたせいで、僕の身体は上から下まで血まみれになってしまった。糸衣那が「風呂でも入っていくかい?」と言ってくれたが、身体がきれいになったところで衣服は血まみれだし、それに、ウチのものではない石鹸の香りをさせてしまうと、多々良がうるさいのである。
あとはまぁ単純に時間がものすごくかかってしまったから、とりあえず急がねばと思ったのもある。というわけで、せっかくの申し出を辞退して、牛の血を被ったまま、舌の届くところは舐めとりつつ、フシキ堂へ向かった僕なのだった。
「……というわけでね。これは牛の血。人間のじゃないよ」
さすがに血まみれのままではまずいだろうということで、風呂を借り、いつものように多々良にまるまる洗われた。伏木さんには「いやはや、相変わらずのバブちゃんだなぁ、秋芳君は」と呆れられたし、杣澤君には「ちび助ぇぇぇ! 代わってくれぇぇぇ!」と泣かれてしまったけれども。
「せめて! せめて服はこちらを!」
と差し出されたのが、明らかに杣澤君の私服だったけど、牛の血がパリパリに乾いた服に再び袖を通すことと天秤にかけたら、そりゃあ多少大きくてもそっちを着るだろう。
多少大きくても。
多少大きくても。
……多少?
「秋様、可愛いっ!」
多少ではない。ぶかぶかにもほどがある。ハロウィンのおばけの仮装のような仕上がりだ。シーツを被っているのと大差ない。何せ杣澤君は、僕よりも身長が三十センチくらい大きいのである。
借りたのは普段は絶対に着ない、真っ赤なチェックのシャツだが、僕が着ると、腿まですっぽり隠れてしまう。さすがにズボンは長すぎるのでハーフパンツを借りた。それでも
さっき、チラッと確認したけど、このシャツ、XLって書いてた。僕が普段着ているのはSサイズである。それでも少し大きい。杣澤君は「こ、これが……彼シャツ……」とごくりと喉を鳴らした。
多々良は多々良で頭から湯気を出し、プンスコと烈火の如く怒ったが、けれどもどういうわけか、
「ぐぬぬぅ……っ! ぶかぶかのシャツを着てるボス、たまらなく可愛いです……っ! クソっ、これは萌え! 長すぎる袖と丈ぇっ! けれど木偶助のシャツというのが腹立つですよぉ……っ!」
と、怒っているようにも、興奮しているようにも見える何とも複雑な表情で、むぎぃむぎぃと奇妙な声を上げながら、だんだんと足を踏み鳴らしている。
「だーっはっはっは! どうだ、ちび助ぇっ! お前の服ではこうはなるまいっ!」
仁王立ちの杣澤君が、勝ち誇ったように笑う。ねぇ、店番は大丈夫なの?
「ぐっ、悔しいですが、その通りですっ! ボクの服でも着れないことはありませんが、ジャストサイズだからただの女装ですよぉっ! あっ、でもよく考えてみたらそれはそれで!?」
「着ないよ?」
「何っ!? 秋様の女装!? いや、馬鹿を言うなちび助! 秋様は元々女子だろうが!」
「元々雄だってば」
「お前、まぁーだボスを雌だと思ってるですか! いい加減認めるですよ! ボスはですねぇっ、それはそれは立派な雄ですっ!」
「そうそう」
「違ぁ~うっ! 秋様は女子! ゆるふわきゅるるんの女子だ!」
「違うからね?」
二人共、僕の横槍なんてまったく聞こえていないようで、激しく口論を交わしている。前々からうっすら感じてたけど、もしかして君達案外仲良しなんじゃない?
あと、ゆるふわまではわかるけど、『きゅるるん』って何? 鳴き声?
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