3-2 憂火と嗄音
多々良の言う通り、伏木さんの「
威針というのは江戸時代辺りに生まれた妖怪で、その『威張ることで相手を委縮させ、平伏させる』能力しか備わっていないため、相手を選んで個別対応する、というよりは、その場にいる人間すべてを全力で潰そうとする。威針に限らず、弱い者ほど持てる力を全部使おうとするのだ。もう少し、せめてあと百年二百年と研鑽を積めば妖怪としての知名度や地位も上がって、屈服させたい相手だけにピンポイントで力を使えるようになるかもしれないけど。ただまぁ、現代は人の世だったりするからなぁ。下手に人間に喧嘩なんか売れば大変なことになる。鬼なんて暴れすぎて一時絶滅の危機にまで追いやられかけたからな。
じゃあ伏木さんのアレが、わざと家洲さんだけを狙ってだったのかというと、そんなことはない。家洲さんがぺらぺらとしゃべっていたからである。本来はもっと肺を潰さんばかりの力で押しつけられるため、しゃべれるはずがないのだ。
つまりは、あまりにも弱くて、家洲さんにしか届かなかった、ということである。
そこから考えられるのは――、
「半妖、なんじゃない?」
言いつけ通りに外へ出て、解錠班のいる部屋の窓を目指して歩く。防犯目的で敷いているらしい砂利に足を取られつつ歩きながら、話題になるのはやはり伏木さんのことだ。
半妖、俗にいう妖怪とのハーフというやつである。人間に擬態している生粋の威針の線もないわけではないのだろうが、やはりそれにしては能力が低すぎる。
「ボクもそう思います。生粋の威針にしちゃあ叫鳴が雑魚すぎるですよ」
「だよねぇ。それに半妖なんだとしたら、僕の食事を見ても平気だったのも頷けるし」
「それで、ボク、気付いたんですけど」
妖怪達を刺激しないようにと、人間の姿になった多々良が、ここですね、と窓に手をかけ、ぴょん、と跳ねて中を覗き、そこに人がいることを確認してから言った。
「あのフシキ堂のマスコット」
「ああ、あの鷹なのか鷲なのかわかんない鳥?」
「そうです。確か、フッシー君とかそんな雑な名前がついてたと思うんですけど、あれ、もしかして威針なんじゃないですかね?」
「言われてみれば」
威針は元々、容姿のモチーフとしては『
「うすうす気付いてはいたけど、多々良、お前鋭いな」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。何せボクはボスの右腕ですからねっ! これくらい朝飯前ですよ!」
「すごいな。僕の右腕の代わりをやってくれるのか。あ、だからいつも食べ物を口まで運んでくれるんだな。僕、右利きだもんね」
右手をグーパーさせながら、成る程、そういうことだったのか、と納得していると、多々良は、もう何といえば良いのかわからない複雑な表情をしてから、ふぅ、とため息をついた。
「まったく、ボスってばそういうところがまた可愛いんですよねぇ。この五百年、ここで何を学んで来たですか」
「何をって言われても。そもそも教わる気もなかったしなぁ。ああ、でも昔、仙人に霞だけでお腹を膨らませる方法は聞いたけど。『秋芳殿、我慢ですじゃ』しか言わなかったから、あれは何の参考にもならなかったなぁ」
「くうぅ~! 我慢出来ないボス、萌えぇ! なんですか、このバブちゃんは! 推す! 一生推す!」
「僕は一生雄だよ」
「くはぁ~っ!」
額をぺちん、と叩いて奇声を上げ、多々良は、「もう、そういうところがっ!」と言いながら、地団太を踏んでいる。足元の砂利がうるさいし、足を勢いよく下ろす度にこちらに飛んで来たりして危ない。
「まぁ、それは置いといてですよ」
勝手に盛り上がってぜぇはぁと荒くなった呼吸を整えつつ、多々良が空を見上げる。
「やっぱり威針なら空から来ますかね」
「どうだろ。
「とすると、徒歩で?」
「別行動の可能性もあるしな。でもさ、その威針だけど、伏木さんと――」
どういう関係なのかな、と僕が言った瞬間。
ばさり、と大きな羽音が聞こえた。
その音で、反射的に視線を上に向ける。
大きな翼が太陽の真下に来て、僕と多々良は大きな影に包まれた。急に空が暗くなったように感じる。
何かを思い出しそうになって、ぞわ、と背筋が寒くなった。
「……た」
多々良、と手を伸ばす。
指先が冷えて仕方がない。
黒い空が怖い。
多々良が嬉々として見せて来るどんなホラー映画よりも、あの黒い空が怖い。ゆっくりと訪れる夜の暗さじゃなく、さっきまで明るかった空が、牙を剥くように暗くなるのが怖い。僕はきっと、この後に続く恐ろしさを知っている。
「ボス? どうしました? お腹空きましたか? 空いてますね?! といやぁ!」
「――むごぉっ!」
尋ねて来た癖に、僕の返事も待たずにきんつばをねじ込んでくる。
さすがは僕の右腕だ。確かに僕は基本的に自分が現在空腹かどうかなんて右手にいちいち尋ねないし、答えだって待たないもんな。反射のように食べ物を口に入れるだけだ。
もぐもぐと咀嚼しながら、震える膝を軽く叩く。そうしているうちに、それは太陽の下から逸れ、僕らを取り囲んでいた影が去る。それと共に徐々に僕の指先にも温度が戻って来る。大丈夫、僕は大丈夫。
ばさりばさりと羽ばたくそれが、地上に降り立った。羽を畳んでも、僕よりも一回り――いや、二回りは大きな、猛禽型の妖怪である。
ふさふさと温かそうな首周りの羽毛をかき分けて、にょ、と顔を出したのは、頭部が蛇の妖怪蛇寧だ。どうやら威針の背中にしがみついていたらしい。かなり小さく見えるが、それは威針との対比だろう。いや、それにしてもまぁまぁ小さめの固体だ。
「ちょ、
もふもふと肩の辺りを叩きつつ、僕を指差す。千の声を持つと言われる蛇寧の地声はあどけない少女のようだった。どうやら雌のようだ。
「叩かないでよ
えぇ……。
がおぉ、って何だ。
威針の鳴き声は「どうだ」と決まっているはずだろう。
とはいっても、単純な腕力とか、そういうのでもない限り、妖怪に妖怪の能力というのは効かない。だから、妖怪同士なら、ゴルゴンと見つめ合ったって平気だし、豆腐小僧の豆腐をいくつ食べても身体にカビなんて生えないのだ。だから、あえて「どうだ」とは鳴かなかったのかもしれない。
いや、それにしても「がおぉ」はなくない?
「がおぉ、がおぉぉ、怖いだろう。ほらほら、鳥の妖怪だぞ。食べちゃうんだぞぉ」
羽をばさばささせながら、今度は「食べちゃうぞ」と来たもんだ。いや、それむしろ僕の台詞だよ。君達が生きてるうちは食べないけどさ。
「え、多々良。何かさ、思ってたのと違わない?」
ひそ、と多々良の耳元でそう囁くと、彼女は、こくこく、と小さく何度も頷いた。
「そうですねぇ。威針の癖に全然威圧感ないですよ。下っ端臭がプンプンします」
「下っ端に臭いってあるんだ? どんな臭い? ていうか、もしかしてあれかな、身体が大きいってだけで実はまだ幼体とか?」
「さすがにそれはないんじゃないです? ――おい、お前。憂火とか呼ばれてましたか」
おい、シカトしねぇで答えるですよ、ヘイ、と多々良が睨みつけると、その、三メートルはありそうな鳥型妖怪は「ひぃ!」と羽を震わせた。
「嗄音ぇ、何か全然怖がらないよ。どうなってんの?」
「ビビってんじゃねぇよ憂火! どう見たって人間のガキだ。オレ達は妖怪だぞ? もっと堂々としてろ」
そう言って、ぺしり、と頭を叩く。立派なトサカが、へにょ、と萎れた。
「そんなこと言われてもぉ」
成る程、この二匹のパワーバランスは理解した。
ただ、ええと、嗄音だっけ?
残念ながら僕達は人間のガキではないのである。
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