第1章 開かずの金庫と開かずの間

1 アキヨシのなんでも屋

1-1 天使な悪食と男装家の鍵師

「それで、どなたが鍵師さん?」


 その翌日の金曜日、午後五時半。

 横一列に並んだ僕らを、じとり、と舐めるように見て、その資産家――齋藤さんは言った。でっぷりと肥えた男性である。


 いやいや伏木さんの店を直接訪ねて依頼したんじゃなかったのか、とも思ったが、どうやら店の方に来たのは使いの人だったらしい。旦那様旦那様、と白髪頭のひょろりとした男性が、彼の後ろから、ひょこ、と顔を出す。たぶんこの人なのだろう。


「鍵師様はそちらの女性です。伏木様です」


 そう言うと、齋藤さんは「だーから」と面倒臭そうに眉をしかめた。


女なんだよ」


 どっちの。


 すなわち、(自称)スレンダー美女の伏木さんか、それとも白黒おかっぱの多々良か、ということだろう。そう思われたかもしれないが、恐らく違う。


 その証拠に齋藤さんは伏木さんを一切見ていない。何なら彼の指はさっきから僕と多々良を行ったり来たりしているのだ。


 つまりは、


 、どっちなんだと尋ねているのである。違う違う。僕は雄です。雄の妖怪です。多々良みたいなボクっ娘とは違いますから。


 伏木さんは確かに女性だが、先述の通り、少々すらっとしすぎているというか、いや彼女曰く「脱いだらすごいんだぞ!」らしいんだけど、それよりも紛らわしいのが、服装と言動である。


 彼女はいわゆる男装家というやつで、身体のラインを拾わない服を選んでいるとか、胸も本当はあるんだけどそれを押さえる下着を身に着けているらしいのである。脱いだところを見たことがないので、真偽の程はわからない。女性にしてはまぁまぁ背も高く、髪もさっぱりと短いし、男装している時は口調もそれらしくなるので、初見で女性と見抜く人はほぼいない。そしてもちろん今日も男物のスーツだ。せめて店のロゴが入った作業着くらい着れば良いのに(鍵を咥えた鷲か鷹のような鳥のワッペンがついたやつだ)。


 それに対して僕はというと――いや、女装家ではないです。断じて。ただ、ちょっと男にしては小柄で、全体的に色素が薄く、銀色の髪もくるくるふわふわの天パであるため、女に見えなくもない――というか、男には見えないそうだ。特に伏木さんが隣にいると高確率で、彼女か妹に間違われる。こんな見た目でも僕はれっきとした雄の妖怪だし、年は伏木さんよりずっと上だ。


「そんな天使みたいな顔して食べるんだから、ギャップがエグいよね、秋芳君は」


 というのは、僕のを見た伏木さんの言葉だ。あんなものとは何だ。僕にしてみたら、この世にあるものはすべて僕の食糧ご飯なんだぞ。


 だからこの中で性別を正しく認識してもらえるのは白黒おかっぱの多々良くらいなものだろう。本日もばっちり動物園のバクリスペクトの白黒コーデだ。


 さて、いよいよ伏木さんが痺れを切らした。


「わ・た・し・が! 『鍵のフシキ堂』代表の伏木明水あけみでございますけど!?」


 そんな怒るなら男装やめりゃ良いのに。


 とは言えない。

 口が裂けても言えない。

 僕は平和主義なのである。


 齋藤さんはその伏木さんの剣幕に圧倒されたのか、急にしどろもどろになって「し、失礼……、その、あまりに美しすぎて……?」などと余計なことまで口走っている。美しすぎたんなら最初から女性と認識してください。


「あらっ、そう? まぁ、そういうことなら?」


 そして伏木さんはチョロい。そこで喜ぶなら本当に男装やめりゃ良いのに。キャラがブレすぎでしょ。なんて絶対に言えないけど。


 さて、ちょっとご機嫌な伏木さんを先頭に、案内されたのは二十畳くらいあるだだっ広い和室である。真ん中に、汚れ防止だろう、ブルーシートが敷かれている。その上に置かれているのは、写真で見た金庫だ。印象としては、思ったよりでっけぇな、である。写真では比較対象がなかったのでわからなかったが、実物はかなり大きい。身長百五十センチの多々良とちょうど同じくらいで、奥行きは八十センチくらいあるだろうか。


 何が入っているのだろう。


「では、開ける前にですね、こちらの書類に目を通してくださいます? 同意していただける部分にレ点チェックを入れていただいて、最後にサインをいただけると」


 鞄からクリップボードに挟まれた書類とボールペンを取り出すと、齋藤さんはボードだけを受け取った。そして後ろにいる白髪頭の男性に「橋本」と声をかける。橋本と呼ばれた彼は、は、と短く答え、胸から革製の眼鏡ケースのような物を出して、その蓋を開け、「どうぞ」と主に差し出した。中に入っていたのは宝石のあしらわれた金色の万年筆である。それを見た伏木さんが、声にこそ出さなかったものの、口の動きだけで「うげぇ」と言い、多々良に至っては「わぁダッサ。いかにもな成金趣味ですねぇ」ときっぱり吐き捨てて呆れ顔だ。こらこら二人共。お客さんだよ?


「開けてもらえるならレ点だろうがサインだろうがいくらでもするがね、一体何に関する書類なのかね」


 それは目を通してもらえたらわかります、と言いたいところだが、我慢だ。いや、一応言うは言うのだ。目を通していただけたら、とは。それに、この手の書類に関しては文字だって少ない方だと思う。


 たぶん伏木さんもいま頭の中で「さらっとでも読んでから聞けや」くらいのことは思っているはずだ。あの貼り付けた営業スマイルは絶対にそうだ。


「ええと、簡単にご説明致しますと、まずはこちらの金庫を開ける際に、特殊な工具ですとか、薬剤を使用しますので、それについての承諾ですとか」

「ふん、そんなもの、いくらでも使ってくれて構わん。イチイチ承諾など――」

「そういうお客様ばかりならこちらも楽なんですけどね。中には、特に薬剤の使用に難色を示す方もおりまして。それと、解錠作業中に立ち入り出来る人間の制限と、作業中の鍵師、つまり私の半径五メートル以内に近付かない、手元は決して見ない、等。これは――まぁご理解いただけるかとは思いますが、防犯上の理由ですね」

「ふむ。当然だろうな」

「とまぁここまでは解錠に関する部分なんですが――」


 そこで伏木さんは言葉を区切って、ちら、と金庫に視線をやった。


「今回の金庫は曰くつきですので」

「だからそちらに頼んだんだ。そういうのも専門にやっとると聞いてな。金はいくらかかっても構わん」

「ありがとうございます。ま、そっちの対処は私じゃなくてこっちの妖怪の彼なんですけど。それでですね、あの通り、ペタペタと御札が貼られているわけですけども、もちろん開ける際に邪魔になりますので、剥がすか、もしくは切るか、になるわけですが――」


 齋藤さんが、ごく、と唾を飲んだ。一般人にとって、『御札』という単語はなかなかに物騒だ。中に入っている物は手に入れたくとも、あんなにも執拗にべたべたと貼られていては、気味が悪いのも当然だろう。


「かなり年月が経ってますからね、剥がした際に糊が残ることがあるんですけど、その場合のクリーニングは必要でしょうか」

「……は、はぁ?」


 何かもっとすごいことを確認されるとでも思ったのか、明らかに拍子抜けした声を発する齋藤さんに向かって、「どうしましたぁ?」と伏木さんはニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。


「い、いや、クリーニングは必要ない。中身さえ出してしまえば、金庫ソッチは処分するのでな」

「そうですか。たまにいるんですよ。歴史的価値がありそうだからって、きれいにクリーニングして保管される方」

「しない、しない。用があるのは中身だけだからな。もう良いだろう、レ点でもサインでも何でもするからとっとと――」

「最後にもう一つ」


 慌ててサインをしようとペンを構えた齋藤さんの声を、伏木さんが遮る。


「中身についてですけど」

「な、何だ」

「もちろん、中身はお客様のものですが、もし仮に、不要ながあった場合――、処理はどうなさいますか?」

「は?」

「よくあるんですよ。開けてみたら聞いてた話と違って、いらないものばかりだった、ってパターンが。まぁその場合でもこちらで提携しております古物商やリサイクルショップなんかもご紹介出来ますけど。その場合の紹介料は無料ですのでご安心ください」


 ただ、

 それでももし、

 が出て来た場合、

 ですよ。

 それの処分については、

 まぁ、

 別料金になるんですけど。


 わざとゆっくり区切ってそう言うと、齋藤さんは、すっかり伏木さんの雰囲気に飲まれてしまったのか、口をあうあうと動かすのみだ。白髪頭の橋本さんに至ってはなぜかカタカタと震えている。


「ど、どこにも持ち込めないモノって……例えば……?」

「それは個人情報ですんでね? 詳しくお伝えすることは出来ないんですけど、まぁ、ここまでべったべたに御札を貼って封じているわけですから、最悪、事態にはなるかと」

「い、命ぃぃっ!?」

「あ、あのっ、過去にそれでお亡くなりになった方などは……?」


 震えながらそれを尋ねて来たのは橋本さんだ。


「いますね」

「ひええええ!」


 伏木さんももう少しオブラートに包めば良いのに。まぁ、包みようがないのか。事実だもんな。


「ですから、書類にきちんと目を通していただきたいんです。その方はろくに見もせず適当にチェックしたものですから、肝心な部分が漏れてたみたいで。ただ、サインはしっかりいただいてましたんでね? 中のモノが原因で死亡してもこちらには一切責任はないわけでして」


 ぺらぺらとそこまでしゃべると、齋藤さんと橋本さんはそれこそ目ん玉をひん剥いて書類を読み始めた。もうしっかり声に出して読んでいる。ここはチェック! ここもチェックだ橋本ぉっ! はい、旦那様ァ! などと無駄に連携までして。齋藤さん一人でやれば良いのに。


 と、やっとすべての項目に目を通した頃には、二人共、どういうわけだかゼイゼイと肩で息をしていた。目もバチバチに充血している。大丈夫だろうか、特に橋本さんの方。

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