第140話 スライムの体液

「ステルススライムの体液を冷暗所で保管すると、このように滑らかな液体になります」

「ゲル状だけど、滑らかなの?」

「べたつかなくなっているんです。触れてみましたか?」

「いや、何となくこう」


 ほら、とテーブルに置いた箱をずずいと前に押すポラリス。

 この個体はテレーズの衣服を溶かしたステルススライムとは異なる。

 これまで何を溶かしてきたのか分からないので、触れるのは少し……。


「特に毒などはありません。万が一何かあってもエリックさんにはヒールがありますよ」

「あ」

「問題ありませんよ」

「だな」


 先にポラリスがステルススライムの液体に手の平を乗せた。

 ここまでされて触れぬわけにはいかない。

 考えてみれば、ステルススライムにとって服を溶かすことって食事みたいなもんだよな。

 俺が熊を狩猟して焼いて食べたり、毛皮を剥いでなめしたりする際に熊が食べたものなんて全く気にしない。

 ひょっとしたら人食い熊とかかもしれない、何てことは考えもしないものな。

 もっとも、この世界で熊にやられる人がいる……とは中々考え辛い。街の人が単独で外に出ることは危険だからまずないし、危険の理由も熊ではないからね。

 言うまでもなく、旅人もモンスターも恐れるものは熊じゃなくモンスターである。

 熊を見つけたら今晩の食事発見って感じだな。

 底辺回復術師だった俺でも熊なら余裕で狩れる。

 基礎能力の点で日本とここではまるで異なるのだ。熊の強さは地球の熊とこの世界の熊はそう変わらないのだけど……。

 熊が不遇だって? いやいや、そんなことはないぞ。

 ただの熊ではなく熊型モンスターってのが多数いるのだ。

 その中でも有名なのがケーブスベアと呼ばれる種族から出た突然変異種「グロブ」だろう。

 ドラゴンとガチンコしていたオブシディアンのようにグロブもまたネームドと呼ばれる種族平均を大きく上回る能力を持った強者である。

 ケーブスベア自体、モンスターランクCからBとそれなりに強い。

 俺がソロで打ち倒せるレベルではないな。

 モンスターランク平均がCからBのケーブスベアのネームド「グロブ」のモンスターランクは堂々のSだった。

 一時、グロブに挑戦した冒険者たちがいたものの、大怪我を負うものが続出し終には死者まで出てしまって事態を重く見た冒険者ギルドはグロブへの挑戦を厳禁する事態にまで発展する。

 グロブの方からしたらいい迷惑だろうが、縄張りの中に入った冒険者たちはもれなく襲いかかられるそうだ。

 ケーブスベアは狩りの対象だったから、グロブと遭遇してしまう。

 ケーブスベアの棲息するペインテットケイブスは「王国にとって」素材採集に欠かせない場所だったので、ネームドオブシディアンのようにはいかず多数の冒険者に狙われたってわけさ。

 全く勝手なもんだよな、人間って。

 んで、グロブは結局「湖の賢者」に討伐されたと聞く。人間の欲望は果てしないってね。

 随分と話がそれてしまった。

 ポラリスが液体から手を離すのと入れ替わるようにして俺も手を触れる。

 冷やしていたから、ひんやりとして心地よい。

 これ、袋に入れてベッドに敷いたら気持ちよさそうだ。程よい弾力もあるし。

 ひんやり差はすぐに無くなってしまうのが残念なところ。

 

「ステルススライムの体液は転写に使うことができるのですよ」

「転写?」

「語弊はありますが、脱色や漂白剤に似たようなものと考えていただければ」

「へえ。俺の服の色を抜くこともできたりするのかな?」


 試しにやってみるか。

 液体をスプーンですくうとプルルンとプリンのように震えた。

 硬さはプリンくらいのようだな。

 色のついた服か。とりあえず自分のシャツにぺトンとステルススライムの液体……スライムゼリーとでも呼ぼうか。

 スライムゼリーを服の袖につけてみた。

 変化なし。変化なしですよ、隊長。

 スライムゼリーに向けていた目線をあげポラリスを見やる。


「すいません、先に言っておくべきでした。いきなり試されるとは思っておらず」

「手順があるのかな?」

「はい。魔力を通すと変化します」

「錬金術の類いかな? 生憎錬金術関連の魔法は一切使えない」

「いえ、ステルススライムの液体については複雑な手順は必要ないです。単に魔力を通すだけです」

「やってみるよ」


 魔力を通すか。俺の場合、一番やりやすいのはヒールの手順だ。

 目を瞑り意識を集中させる。

 集中。祈り。念じろ。

 いつもはヒールと詠唱するが、手の平から魔力だけを流す。

 やはりヒールの動きが魔力を集めるに良い。

 さて、どうだスライムゼリーは?

 お、おお。服の袖に触れた部分からじわじわと青色が上がって来た。

 スライムゼリーを服の袖からのけてみたら、服の青色が薄くなっているが完全に色が抜けているわけじゃないようだ。


「お次は、ここにステルススライムの液体を乗せてみてください」

「うん」


 ポラリスが置いた真っ白なハンカチの上に青色が滲んだスライムゼリーを乗せる。

 俺にも彼の意図が分かったぞ。再び集中し、スライムゼリーに魔力を流し込む。

 すると、スライムゼリーから青色が消えた。

 スライムゼリーを取ってみたら、ゼリーを置いていた部分がうっすらと青色になっているではないか。

 なるほど、これが「転写」ってことなんだな。

 色を抜いて、色を他の布に移すことができる。

 スライムゼリーはペイントツールのスポイトのような機能も持っているというわけかあ。

 こいつは面白い。

 じっと俺の様子を見守っていたマリーがふと思いついたように口を挟む。


「エリックさん、スライムの液体は怪我や傷跡を吸い上げてくれるのでしょうか?」

「う、うーん。色を抜いてくれる効果だから、いや、でも、水より肌に盛ることができるか」


 水より体積が大きいのでヒールの効果が強くなるかもしれない。

 試してみる価値はあるな。俺だけにしかできない持続力のあるヒールの活用する道は多ければ多いほど良い。

 良し、そうと決まれば。

 ぐうう。

 そこで盛大に俺の腹が悲鳴をあげた。

 食事のために集まったのに、まだ食べてなかったよ。

 ポラリスとマリーに「ごめん」と一言断ってから用意していた料理を暖める俺であった。

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