第139話 海鮮鍋

「ラララー」


 優し気なハープの音色と共に歌声がキッチンにまで聞こえて来る。

 レストランを開くと待ってましたとばかりにさっそく冒険者と珍しく一般客も入り最初からキッチンはフルスロットルだ。

 歌っているのは旅の楽師ホメロン。彼の想い人エリシアが療養のため廃村に滞在していて、彼女がいる間は彼も付き添いでここで暮らすことになった。

 彼女の治療のお礼として彼は宿のレストランで音楽を奏でてくれている。

 満席になったレストランは喧騒に包まれていた。マイクなんて拡声器がないのだけど、彼の声は不思議と良く通り、キッチンにいてもハッキリと彼の歌声が聞こえてくる。

 普段の彼は芝居がかった仕草が濃すぎ、余り相手をしたくないのだが、音楽を奏でている時だけは別だ。

 料理に集中し、ふと息をついた時に彼の奏でるハープと歌声が耳に届きふっと癒される。

 居酒屋とかに行くと当たり前のようにかかっていた音楽だったが、この世界ではそうじゃない。

 なので歌を聞くことって結構贅沢なことなのだよね。

 貴族が自宅でお食事会なんてやる時には楽師も招かれるとか聞く。街中で歌っている彼のような旅の楽師もいるが、貴族専門のオーケストラ部隊で生計を立てている人もいたりする。

 何が言いたいのかと言うと、一般市民にとって音楽とは近くて遠い。

 音楽が嫌いな一般市民は少ないのだけど、聞こうと思って手軽に聞けるものでもない。劇場で定期的に音楽会が開催されているが、結構なお値段がする。

 劇場では音楽以外に演劇とかもやっていて、いつもにぎわっていると誰かから聞いた。

 そんな事情もあり、街中で誰かが音楽を奏でていたらたちまち人が集まり、投げ銭をしてくれる。

 道端で奏でる音楽は劇場と違って高い料金を払わなくてよいし、親しみやすい音色だしで一般市民にとって人気コンテンツなのだ。

 そんな旅の楽師が奏でる音楽をこうして場末も場末である廃村の宿で聞くことができるとなれば、どれほどのことか分かってもらえただろうか?

 治療の代金としては安すぎると俺は思っている。

 おっと、聞きほれている場合じゃない。

 

「海鮮鍋おかわりですー!」

「ちょうど完成したよ、持って行って」

「はい!」

「熱いから気を付けて」


 意外や意外。海鮮鍋が一番人気だ。獲れたてほやほやの魚介類を下処理してから放り込んで山菜、キノコを入れて味噌味をつけただけのシンプルな鍋である。

 他にも天ぷらとか焼き魚、つぼ焼きなんてものも準備しているが、まず鍋からなのだろうか。

 客層に冒険者が多いのも鍋が人気の理由かもしれない。

 冒険者は依頼を受けて冒険に出る時、極力持ち物を減らす。食糧は調味料に加え非常時の携帯食糧を最低限持つのみなことが殆どだ。

 移動中は馬車や馬のこともあるが、採集や狩をする時には徒歩になる。

 依頼を受けて何かを持って帰るのだから、行きより帰りの方が荷物が当然多くなるだろ。

 戦うことを想定し、装備も持って行く上に荷物も増える。

 となると、必然的に最小限の荷物で冒険に出ることになるんだ。

 食材は現地調達し、料理をするための道具といえば鍋を選択する。鍋だったら水を沸かすこともできるし、炒めることもできるだろ。

 調理の手間を考えると鍋で何かをぐつぐつ煮込む、これが最も多い。

 そう、冒険者にとって鍋とはソウルフードなのである。

 食事と言えば鍋。まず腹を膨らませるのに鍋があれば、飛びつくのも仕方のないことなのである。

 

「海鮮鍋おかわりですー!」

「はいよお」


 鍋の注文がしばらく続きそうだな。

 だが、腹が膨れたら注文は変わって来るに違いない。

 

 ◇◇◇


「今日は一段と遅くなっちゃたな」

「大盛況ですね」

「お休みもありましたし、みなさん開店をお待ちくださっていたのかもですね!」

「ありがたいことだよ。休むと忘れられないか心配になるけど、こうして来店してくれるってありがたいことだよな」

「はい!」

 

 あれ、一人多いと疑問に思ったかもしれない。

 間違ってないのだ。今は三人だからね。

 「大盛況ですね」と褒めてくれたのは廃村で鍛冶と細工屋を営むノームのポラリスである。

 今日は宿泊できないほどの人数のお客さんがレストランを訪れてくれた。おかげさまでザザから頂いた大量の魚介は自分たちで食べる用のもの以外は完売御礼だ。

 

「待っててくれてありがとう」

「いえいえ、エリックさんの料理を頂けるとなればむしろお礼を言うのはこちらですよ」

「ポラリスも相当忙しいだろ、呼び出しちゃっていいものか悩んだんだけど」

「それほどでもないですよ。『急ぎ』になるのは修理依頼くらいですから」


 ポラリスの店も宿と同様に訪れる客が増えたと聞いている。

 俺とマリーと違って彼は一人なので接客から鍛冶仕事まで全てワンオペになるだろ。

 依頼が増えて根を詰めて働き過ぎてしないか少し心配だった。言葉に出すと何だか上から目線になりそうで、彼に直接伝えることはしていなかったので少しホッとしたよ。

 この分だと自分のペースで無理なく店を切り盛りしていそうだ。

 

「エリックさん、しばらく空いてしまいましたが、珍しいものを手に入れたとか」

「珍しいと言えば珍しいのだけど、使い道があるのかなあって」

 

 鍋を運ぶマリーと入れ違うようにしてキッチンに向かい、冷蔵保存していたゲル状の液体が入った箱を持って席に戻る。

 

「これは使えますよ」

「生きている時は服を溶かすから何科に使えないかなと思って」 

 

 ゲル状の液体を指先に付け、クンクンと匂いを嗅いだポラリスが即答するものだから、こちらが逆に戸惑ってしまった。

 ゲル状の液体はステルススライムから採取したものである。ステルススライム……通称「エロスライム」は女性の服のみを溶かす変わったモンスターだ。

 一流のスカウトであってもステルススライムの気配に気が付くことは困難を極める。

 気が付いた時にはもう服が溶かされ始めているというその名の通り隠密性に長けたスライムなのだが、危険性はない。

 いや、危険性がない、は語弊があるか。

 怪我をする心配がない、が正確なところ。服を溶かされる側としたらたまったもんじゃないもの。

 何故か男の服が溶かされることがないことから、通称「エロスライム」と呼ばれている。

 一体、どのようなことに使えるんだろう?

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