第138話 閑話.エリックがいない間の釣り

 エリックさん、突然いなくなっちゃった。彼に限っては良くあることなのだけど、少し寂しい。

 ビーバーさんたちが筏を作って、ジョエルさんたちから水着をお借りして、やっと釣りを楽しんでいたところだったのに。

 彼がみんなに楽しんでもらおうと企画してくれて、北の湖まで来てようやくというところでだったんだ。彼だって本心ではこのまま釣りをしていたいと思ってくれているはず。

 だけど、彼は迷うことなくこの場を離れてしまったの。

 寂しいと思っていても絶対に顔には出さないように気を付けている。だって彼が突然予定を変更するのは誰かのためか宿屋のためなんだもん。わたしのための時もあるし、今回は見知らぬ誰かのためだと申し訳なさそうに頭を掻く彼から聞いた。

 とんだお人好しだよね? 街や村から遠くな離れた湖のほとりにいる怪我人なんて、「そうなることを覚悟してきた人」だってライザさんが言ってたよ。だからたとえ怪我をしても一緒に行動をしている自分たちの仲間以外には助けを求めることは無いんだって。何とかして生き残ろうと出来る限りのことをするらしいんだ。か、過酷だよね。

 冒険者はどこか見知らぬ土地で一人のたれ死んだとしても、それが運命だと受け入れる……んだって。

 わたしにはとてもじゃないけど、冒険者は務まらないや。ううん、そもそもわたしが冒険者のパーティに加わったところで何もできることがない。エリックさんは元冒険者ということもあって、狩や採集はお手の物なの。凄いよね!

 でも、彼が冒険者じゃなくて本当に良かった。彼が居なくなるかもしれないと思って宿で待っていることなんてわたしにはできないよ。

 彼には今、帰る場所がある。待っているお客様もいるの。だから、見知らぬ地で……なんて考えは持っていない……といいな。

 危ない目に合わないで欲しい、無事帰って来て欲しいと願わない日はない。彼は「怪我するようなことはしない」って言ってはいるけど、モンスターは怖いものだもん。

 ダメだ、わたし、自分のことばっかり。彼のように自分より人のことを大事に思える……なんて無理だから、せめて大切な人たちに対しては彼のようになれるよう頑張ろう!


「マリーさん! 浮が、引いてますう!」

「は、はい!」


 メリダさんが指差す方向は浮だった。

 彼女の言う通り、ピクピクと動いていた浮がグッと水の中に吸い込まれたの。

 エリックさんのことで気を取られていて浮の動きに気が付かなかった! 彼女だってわたしと同じように釣りの真っ最中で自分の浮を見なきゃならないのに。

 よ、よおし、浮をよく見て。

 すっと浮が水面から消えた。竿の引きはどうかな? 餌に喰いついて食べたとしたらその場から離れようと引きが強くなるの。

 今かな?


「えい」


 勢いよく竿を引っ張り上げたけど、急に反応が無くなっちゃった。

 う、うーん、逃げられてしまったみたい。

 引き上げた針の先には餌が付いていなかった。


「マリーさん、その辺りは魚が逃げちゃっているかもしれません」

「こっちの方が良さそうですか?」

「そろそろ魚も戻ってきているかもしれないので、そのままでもいいかもしれません。も、申し訳ありません! どっちつかずで」

「そんなことありません! わたしにもやっとメリダさんの言っている意味が分かりました!」

 

 メリダさんは恐縮したように犬耳をペタンとさせプルプルと首を振る。

 彼女は良く周囲を見ているなあ。

 メイドさんとして働いていると周囲を見る力がついたりするのかな? 

 宿のレストランでは何か所も同時に見なきゃならない時が多々ある。だけど……中々うまくいかなくて。彼女に聞いたらコツがつかめるかも?

 彼女が気づき、遅れてわたしもようやく分かったこと。

 それは先ほどまでスフィアさんが水面に立っていた場所だったの。魚は人の影や音をたてると逃げちゃうから、彼女が立っていた場所となると警戒心の強い魚たちは他の場所に泳いで行ったはず。でも、彼女が離れて少しの時が過ぎたからそろそろ魚が戻ってきているかもしれない。

 それにしてもスフィアさんが水面を歩いていたのを見た時、大きな声をあげて驚いちゃった。耳と尻尾も逆立っていたと思う。

 魔法ってすごい! わたしは魔法を使うことができないから、水面に立つことがどれほど凄いことなのか分からないけど、エリックさんもとても驚いていたから彼女にしかできないことなのかも。

 スフィアさんは冒険者の間でも著名な魔法使いだとエリックさんから教えてもらった。

 彼女のような可憐で凛とした人が大魔法使い様だなんて意外だよね。

 彼女はとても綺麗で見惚れてしまいそうになるのだけど、特に赤い髪の毛がどうなっているのか不思議でならない。

 とても艶々でどんなお手入れをしているのかなって。狸族だからなのかな?

 猫族は髪の毛が細く、真っ直ぐに伸ばすのも大変な人が多い。スフィアさんのように艶々のストレートはなかなかできるものじゃないんだ。

 

「マリーさん、引いてます!」

「きゃ! ま、また……えい」

「きゃ!」

「ご、ごめんなさい!」


 同じことを二回も連続でやっちゃった。スフィアさんのことを想像していて浮が沈んでいるのに気が付かなかったの。

 またしてもメリダさんが教えてくれたのだけど、慌てて竿を引っ張ると魚が逃げちゃって勢い余った針が彼女のスカートに引っかかっちゃった……。 


「き、気にしないでください」

「ジョエルさまとランバードさんの前で」

「お二人とも釣りに夢中で私たちから背を向けていますので」

「み、見られてなくてよかったです」


 頭を下げるわたしに対しメリダさんが朗らかに微笑みスカートから針を外す。


※明日、書籍版の一巻が発売となります! 試し読みだけでも是非美麗イラストをみてみてくださいまし!

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