第118話 とっておきをどうぞ
「マリーちゃん、清酒追加でー」
「はあい」
「こっちは魚だったら何でもいいやー」
「では揚げ物で持って行きますー」
ひっさびさに来たな、この感覚。今は民宿経営の中で最も忙しい時間の真っ最中だ。
民宿の夜は戦争である。数日休んでいて開店したにも関わらず、レストランはお客さんで一杯になった。
民宿の前に「本日営業」と掲げているだけで、営業しないするを知るにはそれを見るしかない。
民宿ではレストランのみの営業というものはやっていない。宿泊営業をやっていない日はレストランも営業していないのだ。
そんなわけで「本日営業」を掲げていなければ全ての業務を停止していることになる。
まあ、事前告知をしているわけでもないし、していたとしてもこの場にいない人に伝える手段もない。となると、当然のことながら営業をやってない日にお客さんが来ることもある。看板を見てやっていないと分かると野営をすると今日いるお客さんから聞いた。
今のところほぼ全てのお客さんが冒険者なので、冒険ついでになる。たまに休暇のために来てくれる冒険者もいるにはいるがまだまだ少数だ。
俺の知っている限りライザやゴンザ以外にあと1か2パーティいるかいないかくらい。今後きっと休暇を楽しむお客さんが増えてくるはずだ。
「清酒お願いー」
「こっちも清酒を頼む。冷たいのを」
「こっちは魚のアライってのを」
清酒がとても好評だ。お、「洗い」がまた出た。
まだまだ準備をしているから大丈夫だぜ。
「魚の洗い」とは、新鮮な魚を切って氷水で冷やし提供する刺身のことである。
生で魚を提供して大丈夫なのか、と心配することなかれ。
誰も知らないのをいいことに「洗い」とメニューに記載したんだよね。
「氷水で冷やして提供する」ってところだけ使わせてもらった。
清酒も洗いも氷でキンキンに冷やして提供する。
このキンキンなのが休業明け初提供になるので、みんな注文してくれているのだと思う。
冒険者って新しいもの好きな人が多いからさ。
多かれ少なかれ「未知の探検」という要素に惹かれて冒険者になったのだから、初物には興味を惹かれるものなんだ。
俺も、同じくである。
天才錬金術師から頂いた冷凍庫を活用すれば氷も容易い。
どうやらキンキンに冷えた料理も清酒も好評なようで追加注文が相次いでいる。
「ふう……落ち着いて来たか」
「はい! お料理の注文は止まりました! 後は飲み物がちょこちょこと」
「料理は出ている分で足りそうだな。俺たちの料理を準備し始めようと思ったけど、もう少し待ってもらっていいかな?」
「もちろんです!」
えむりんの鱗粉も十分な量があることだし。部屋の「お土産」に使うには不安が残るのだよね。
彼女の鱗粉は暖かくなると昇華し消えてしまう。痕跡も残さないので、味もなくなる。
鮮度が命の素材である鱗粉は使いどころを選ぶ。
だけど、砂糖の魅力は使い辛さなどなんのそのだ。
「先日と同じものになるけど、マリーも食べる?」
「いいんですか!? もちろん頂きたいです!」
「じゃあ、俺とマリーの分も作っちゃおう。そうだ、ついでにメリダとランバードにもおすそ分けしよう」
「お二人とも喜びます!」
ジョエルのメイドと騎士には渡して本人には渡さない対応をしても変な気を遣うこともなくなった。
彼は自分の舌のことを重々承知している。なので、逆におすそ分けを渡すと彼に気を遣わせてしまう。
だったら主人に渡さないのだから部下にも渡さないと考えるのが普通だろう。
しかしだな、彼はメイドのメリダと騎士のランバードにおすそ分けをするととても喜んでくれるんだ。
二人は恐縮しきりだけど、主人はにっこにこでさ。彼の顔を見て二人も受け入れてくれた。
彼は二人に「おいそうに食べてる姿が見たい」と言っていたっけ。
「みんな、甘いモノは大丈夫かなー?」
テーブル席に問いかけると「おお」と野太い声が返ってきた。
スイーツとは合わなさ過ぎる光景だよな。日本でたええるなら、場末の居酒屋でおっさんたちがグダグダ飲んだくれている、というのが俺の印象である。
冒険者はベテランでもせいぜい40代までで、若者の方が断然数が多い。
一番多いのは20代前半かなあ。
怪我をしたり、冒険者として稼ぎ生活していくことが困難になったりで20代のうちに引退していく者も多い。
体力の衰えが著しくなってくる40代で未だに冒険者を続けている者は例外なくそれなりの実力を持っている。
ある意味、40代のおっさんだからと言う理由で依頼を任せてもいいくらい。
「下ごしらえはしてある。あとは焼くだけだ」
生地は準備済みだし、クリームは冷蔵庫に入れてある。
そう、彼らにデザートとして提供しようとしているのはシュークリームだ。
氷は十分に味わってもらったが、えむりんの鱗粉はまだだっただろ。せっかく遠いところを来てくれたのだから精一杯もてなしたいと思ってさ。
「マリー、みんなに持って行ってー」
「はい!」
できたてホヤホヤのシュークリームを一人一個になるようマリーが手渡して行く。
若者も中年も揃って頬が落ち、カスタードと生クリームの甘さに酔いしれているようで何よりである。
見ていて癒される光景出ないことは確かだけど……。
俺はこの後、癒されるマリーの顔を見ることができるけどね。
彼女は本当に美味しそうに食べてくれて、見ているだけで嬉しい気持ちになる。
「みなさん、とっても満足してくださっているみたいですね! どうかされましたか?」
「いや、満足してくれているようで良かったって思ってね」
「もう蕩けるような甘さなんですもの! 絶対、絶対、みなさん気にいって頂けると思ってました! もう、想像しただけで頬が落ちそうです」
「甘いモノって中々食べられないから、余計においしく感じるものだよな」
「いえ、エリックさんが作るお料理だからですよ!」
面と向かって満面の笑みで言われると照れるな……。
マリーは笑顔だけじゃなく、猫耳をピコピコさせて尻尾もピンとして、全身で喜びを表現している。
思わぬところで食べる前に彼女の笑顔を見ることができて、こっそりテンションがあがる俺であった。
さあて、後は片付けをしてからご飯にしよう。
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