第105話 あ、はあい

「ほ、ほほう。ふぉ、ふぉふぉ」

「あ、あのお」

「これは、大発見だよ、チミ! 大発見! 分かるかね?」

「あ、はあい」


 何度目だよ、このやり取り。

 語彙はどうした、語彙は。錬金術師と言えばこの世界におけるインテリ層である。

 日本でたとえると大学や企業の研究所勤めの人と言ったところか。

 そんな知識溢れる錬金術師の中でも自称天才が大発見しか言わないとは何たることだ。

 あの冷凍庫にあった白い粉はやはりえむりんの鱗粉だった。

 彼女の鱗粉は空気に触れるとすぐに溶けてなくなってしまうのだけど、冷凍庫のものは残っていたんだ。

 しかし、氷が解けるがごとく常温に晒すとすぐに昇華して消えてしまう。

 俺にとっては幸いなことに彼女は冷凍庫で眠ることが気にいったようで、夜になると冷凍庫に潜ってスヤスヤと眠る。

 ならば、彼女が寝ている間に溜まった鱗粉を使わぬ手はないだろ。

 しかしこのままではカキ氷やシャーベットに振りかけることには使えても、他の用途には使うことが出来ない。

 彼女の鱗粉は昇華して消えてしまうと痕跡を残さないんだよね。何が言いたいかと言うと、砂糖と同じ用途で生クリームに混ぜたとしても味が残らない。

 限定的とはいえ彼女の鱗粉を利用できるようになったのは喜ばしいことである。

 冷凍庫の中に彼女の寝床も作ったので、鱗粉を集めるのも容易になった。

 それでだな、常温でも鱗粉を維持できないかとパリパリの水あめ、冷凍庫といった素晴らしい品々を発明した彼を頼ってみたのだが……。

 訪ねてみるとこの調子である。

 彼の家……じゃなかった工房はまだ建築途中であったが寝泊まりくらいはできる状態になっていた。

 今後内装を整えていくのかな? 錬金術だけじゃなく魔道具職人でもある彼は、多くの道具が必要だ。

 どのような道具を使うのか分からないけど、鍛冶をするぐらいの設備は必要なんじゃないかな?

 昨日は宴会だったので、今日は民宿経営して以来初のオフにした。マリーにもゆっくりと休んでもらいたい。

 といっても、家畜と畑の水やりはやってもらうことになっている。一方で俺は料理をするだけ。

 夜は二日連続で一般客を入れないのでゆっくりくつろぐことができるはず。

 たまにはいいよね? 

 収入はどうするんだって心配があるかもしれないけど、問題ない。繁盛しているし、昨日も今日もゴンザたちが宿泊料金を支払ってくれているからさ。

 

「大発見! 大発見だよ! チミ! 甘い、甘いじゃないか!」


 頭をこれでもかとかきむしってジタバタとする天才錬金術師ことグレゴールの姿はとてもじゃないけど、冷凍庫を発明した天才とは思えない。

 もう帰ろうかな……。せっかくの休日だし、明日は明日でゴンザらと冒険に繰り出す予定もあるしさ。

 

「そ、そろそろ、俺は……」

「エリックくううううん!」

「は、はい……」

「大発見だよ! 大発見なのだよ!」

「そ、それは分かりました……さっきから何やら色々試されてるようですし。ここにも冷凍庫があるんですよね?」

「あるとも、あるとも! ほほほ、保管するには冷凍の魔道具の中がいいだろうね。品質は重要だよ」


 そら、品質は重要だよ。

 さりげにこの人、冷凍保存すると鮮度が長持ちすることを分かっている。

 冷凍という技術自体はこの世界だと一般的じゃない。彼の発明した冷凍庫以外は全て魔法のなせる業である。

 じゃあ、氷は一般的じゃないのかと言うと、庶民の間では一般的じゃないとの回答がかえってくると思う。

 一部魔法使いや魔術師ギルド、そしてお抱え魔法使いがいる貴族なんかは氷が豊富に手に入る。もちろん、魔法で作り出した氷だ。

 魔法は氷を作り出すだけじゃなく、肉を冷凍することだってできる。だけど、それをそのまま保存するにはまた別の魔法が必要になっちゃう。

 なので、費用対効果を考えると、とんでもなくコストが高くなりとてもじゃないけど一般に流通するものじゃなくなっちゃうんだよな。

 冷蔵の魔道具は一般的になっているから、肉を保存するには冷蔵すりゃいいし。冷凍すると長期保管できるけど、その分魔法のコストが跳ね上がる。

 それなら、新しく肉を調達した方がいいってものだ。

 とまあ、一般的じゃない冷凍すると長期保管ができるってことを彼が知っていることに少し驚いたってわけなのだよ。

 

 立ち去ろうとしたら呼び止められてしまったのだが、どうすりゃいい?

 彼は鱗粉に意識を集中させていて、俺の方を見ちゃいないし。

 そのまま立ち去るのは失礼かなと思って、声をかけたら呼び止めてくるし……。

 のたうち回る天才錬金術師と窓から差し込む光を交互に見やり逡巡する。

 よし、このまま立ち去ろう。

 くるりと彼から背を向け一歩進んだその時――。

 

「エリックくうううん!」

「は、はい!」

 

 𠮟られた生徒のようにビクッとなる。

 後ろめたい気持ちなんて微塵もないのにな。これが前世の学校で染みついた条件反射とでもいうのか。

 決してグレゴールが先生だなんて思いたくはないぜ……。こんなのが俺の担任だったらと思うとゾッとする。

 

「大発見だよ! 大発見なのだよ!」

「そ、それは分かりましたから……」


 大発見はもう100回以上聞いたから。

 ちゃんと実験用の鱗粉を提供するつもりなので、のんびり研究をしてもらおう。

 いずれ常温でも使うことができるようになればいいな。

 ズズイとグレゴールの顔が迫って来て、俺の鼻に彼の鼻が引っ付きそうになり、思わず後ずさる。

 

「バターくらいかな。そうだね、バターくらいだね。これだと溶けないのだ。いや、溶けない……ではないな。昇華しないのだ」

「へ?」

「昇華は分かるかね? 昇華とはこう硬い物体が空気に変わることだよ。氷が水になりその後空気になるのだが、昇華とは液体にならずに空気になる事象のことだ」

「それは理解してますけど、バターくらいって? その、鱗粉が?」

「そうだとも! さっきから大発見だよ! と言っているじゃないか! これぞまさしく大発見だよ! さすが天才たる私だ。一発で開発してしまうとは我ながら才能が怖いのだよ」


 マ、マジかよ。

 確かにそりゃ「大発見」だよ! 

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