第81話 キッチンは戦場である

「おかえりなさい!」


 う、うーん。笑顔が素敵なマリーなのだけど、今は笑顔なのか引きつっているのか難しいところ。

 帰ってくるとマリーが出迎えてくれたのだが、カブトムシが「よお」と脚を上げたからか彼女の尻尾の毛が逆立っていた。

 それで彼女は謎の笑っているような引きつっているような表情になってしまったのだ。

 厩舎の壁からそっと顔を出して引っ込るジョエルの姿も見えた。彼の近くにはメイドと騎士もいる様子。

 ちょうど太陽の光が彼らの影を作り、俺のいる位置から三つの影が確認できた。

 ジョエルは人見知りが激しいので、おっさん冒険者二人を連れているから遠巻きに見ているんだと思う。

 

「荷物を出すから台車をお願いしていいかな? あ、厩舎の外まででいいからね」

「す、すいません。ジャイアントビートルさんがどうしても」

「生理的なものだろうから仕方ないよ。乗ってみたら案外大丈夫になるかも」

「か、考えておきますう」


 ぴゅーと民宿の方へ走り去ってしまったマリーである。

 カブトムシは大きさは違えどまんま虫だからなあ。腹を向けて脚をうぞうぞしていると、苦手な人だったら卒倒するかもしれない。

 虫が大丈夫な俺でも巨体のカブトムシがひっくり返った姿を想像すると寒気がした。

 色がブルーメタリックだから平気なだけかもしれないと思い直す。

 鎮座していると虫というより車やバイクぽいものな。大きさは軽自動車に近いけど、中に乗り込むわけじゃないのでバイクなのかも。

 どっちでもいいか。

 バイクは難しいだろうけど、自転車って作ることはできないのかな?

 この世界で一般的なのは馬か馬車だ。他にはトカゲの大きなのとかもいたりする。

 テイマーが連れている騎乗生物を稀に街で見かけることがあったけど、大きな狼とかダチョウとトカゲの合いの子みたいなものも見かけたことがあった。

 俺の乗るカブトムシのように馬より速い騎乗生物もいたりして、地球とは比べ物にならないほど沢山の騎乗生物がいるのだ。

 地球だと馬、ラバ、ラクダ……くらいだっけ。

 バリエーション豊かな騎乗生物たちであるが、やはり生物は生物。人工物とは異なる。

 餌は必要だし、飼育するための小屋も準備しなきゃならない。

 馬か馬車が一般的と言ったけど、街の人が一家に一頭の馬がいることは珍しいんだ。

 移動が多い冒険者もテイマー以外の者が騎乗生物を飼育していることはほぼない、と思う。

 少なくとも俺の知っている冒険者たちは誰もが馬を持っていない。

 じゃあ彼らは移動する場合全て徒歩なのかというと途中まで馬車のことが多かったりする。

 話が逸れてしまった。街中で生活する場合に馬を飼育することは稀の稀であるので、移動は徒歩になる。

 もし自転車があったのなら、値段にもよるがすぐに普及するはず。

 これまで徒歩だった移動が自転車になると時間短縮にもなるし、物まで積むことができるんだ。それも、徒歩で持つより格段に軽く持ち運ぶことができる。

 台車には劣るけど、日常の買い物くらいだったら自転車の荷台で事足りるだろ。

 なんて妄想したが、自転車があってもここじゃそのまま利用することはできないな。いや、民宿から川までなら自転車で楽々移動できるか。

 そう、道が整っていないと自転車は使えない。廃村地域はともかく、その外に出ると不整地だもんな。

 馬車や馬ならなんとかなっても自転車じゃでこぼこ道は危ない。


「エリック、ここに一旦置けばいいか?」

「少しばかり休んでてくれ。台車を持ってきてからにしよう」


 妄想に華開いていたが、ゴンザの声で現実に引き戻される。

 

 ◇◇◇

 

「お。おお。こいつはたまらんな。変な形の魚、うまいじゃねえか」

「清酒ってやつは魚に合う。こいつはいい」

「だろお」


 本日の宿のメニューはもちろん北の湖で獲って来たばかりの新鮮な魚と貝、カニだ。

 小さいカニは素揚げして塩を振って、メゴチとカサゴは包丁を入れ捌いてこちらも天ぷらにした。

 パリパリとしたヒレの部分もおいしいんだよな。味見をしたけど、汽水とは思えぬほど海の魚ぽくてビックリした。

 今晩の食事のためにちょこっと味見をしただけに留めている。

 あああ。宿の仕事が終わるのが待ち遠しい。

 ザルマンのやつ、カニをバリバリしつつ清酒を流し込んでやがる。あれ、絶対おいしいやつだ。

 カニは親指の先ほどの小さなものだけど、小さいからこそああして素揚げで丸ごと食べることができる。


「ほい。追加もってきたぞ」

「お。なんだか黒い揚げ物だな」

「昼に食べただろ。海苔の天ぷらだ。結構いけるから食べてみ」

「おう。ありがとうな!」

「お好みで塩か、そっちの薄めた味噌だまりを使ってくれ」


 って。もうそのまま食べてじゃないか。二人とも。

 人の話を少しは……他から注文が入った。目の回るような忙しさだな。

 マリーもてんやわんやだし、二人でレストラン業務をこなすのも中々タフになってきた。

 嬉しい悲鳴ってやつだけど、実際仕事に追われまくっている時は恨めしくなる。

 ジョエルの滞在が終われば、ビーバーとすみよんが建築してくれたあのログハウスも利用して客室を増やしたいところ。

 そうなれば、俺とマリーだけじゃきつそうだなあ。

 先にマリーに給与を渡さなきゃ、だし。いろいろ後回しにしていることをやっちゃわなきゃな。

 

「エリックさーん。魚介スープを追加でー」

「あいよお」


 ああああ。鍋の火を緩めてこなかった!

 マリーからスープの注文が入り、鍋のこともあり慌ててキッチンに戻る。

 

「噴いてるう!」

「きゃ。エリックさん、どうされたんですか?」


 叫び声をあげたときにちょうどキッチンに戻って来たマリーに聞かれてしまった。


「火が強すぎて、味見してから出すからちょっと待ってね」

「もちろんです! 味見……」

「終わってからたんまりと食べよう。今は我慢の時、我慢するほどおいしく感じるものなんだ」

「そうですね!」

「って俺が自分にそう言い聞かせてつまみ食いするのを我慢してるんだけどな」


 あははと笑うとマリーも朗らかな笑みを浮かべる。

 さあ、あと少しだぞ。ゲームはもう終盤戦だ。

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