第64話 ヤギの強襲

 マリーとビワゼリーを食す昼下がり。すみよんとの約束であったリンゴとブドウは東の渓谷より更に東へ行ったところにあったんだ。

 彼が「遠い」と言っていたので覚悟していたが、カブトムシの速度をもってすれば昼には戻って来ることができた。

 予定していた時間より早くなるとこうしてノンビリした時間を過ごすことができる。

 あああ。いいなあ。こういうスローライフ的な昼下がりって。

 この後はマリーと家畜の様子を見て料理の下準備をする作業くらいだ。

 

「おいしいです!」

「ビワの在庫はたんまりある。客室用のも下処理済みだし、明日もビワゼリーでよければ……いや」

「ビワゼリー、大歓迎です!」

「同じものばかりだと飽きるかなって。パリパリする水あめもあるから、色んなお菓子に挑戦しようかなって」

「わああ。楽しみです」


 尻尾がピンと跳ね、喜びを露わにするマリー。

 

「めええええ!」

「めえええ!」

「ちょ。おま!」


 マリーと家畜を見に行ったのだけど、ヤギたちがやたらと俺にアタックしてくる。

 ヤギの「めええ」が、呑気なものではなく、剣呑なものなんじゃないかと思うほど。

 俺のズボンをひっぱる二頭のヤギを引っぺがし、その隙間にマリーが手を伸ばす。

 するとヤギたちが途端に大人しくなり、彼女の手をぺろぺろと舐める。

 

「ダメですよー、舐めたら」


 「あはは」と朗らかに笑いながら彼女がヤギたちを窘めた。すると、ヤギたちは舐めるのをやめ、首を上にあげ「めええ」と鳴く。

 さっき俺に向けた「めええ」とは異なり、呑気なものとなっていた。


「げ、元気そうだな。ありがとうな、マリー」

「聞き分けの良いいい子たちなんですよ!」

「そ、そうだな……ははは」

「動物のお世話をすることは大好きなんです。みんな可愛いですし」

「お世話といえば猫たちも聞き分けがよくて驚いているよ」


 マリーが猫の獣人だからだろうか、猫たちは彼女のお願いしたことをちゃんと守ってくれるんだよ。

 廃村はいつ猛獣やモンスターが出現してもおかしくない。何しろ、警備員もいなけりゃ柵もないからね。

 なので、猫たちが自由気ままに出歩くと危険な目に合うかもしれないから、彼女に宿の周辺から離れないようにお願いしてもらったんだ。

 例外は小人が乗っている時だけ。小人たちもマリーと同じく猫と意思疎通できるようだから、彼らが猫を使役している時にはお任せしている。

 彼らは猫のことを「ケット」と呼び、いたく大事にしているから危ない目に合わせるなんてこともないだろうからね。

 

 ヤギを撫で、幸せそうな微笑みを浮かべるマリーを見ていたら猫の獣人だから猫たちが彼女のお願いを聞いてくれるわけじゃなく、彼女の愛情が猫たちに伝わっているからなのかもと思い直す。きっと猫だけじゃなく、ヤギも彼女のお願いを聞いてくれるはず。

 さっきだって、俺にやたらとアタックしてくるヤギを止めてくれたし。

 ヤギはヤギで気持ちよさそうにマリーに撫でられるままになっている。首まで下げちゃってもう。

 

「めえええ」

「お、俺は何もしてないだろ」


 マリーに撫でられていない方のヤギが俺を威嚇してくる。

 撫でられなくて拗ねているのは分かるが、俺に当たるのは筋違いってもんだろ。

 順番に撫でようと思っていたのか、マリーがしゃがんで俺にアタックしているヤギと目を合わせるや、あっさりと俺からそのヤギが離れる。

 ま、全くもう。

 期待通りに撫でられたヤギは満足気で、またしても余ったヤギが俺に向かってきた。

 

「めえええ」

「だから、何で俺に来るんだよ!」

「あ。エリックさん」

「ん? 仕方ないさ。マリーは一人なんだし」

「はい。わたしは一人ですが……」


 そう言う意味で言ったんじゃないんだけど、ま、まあいいや。

 曖昧な笑みを浮かべていたら、気を取り直した彼女が続きを口にする。 


「貝に付着していた黒い藻? はいつまで干しておきましょうか?」

「全部お任せしてしまってごめん。そろそろ行けると思う。見に行くよ」


 忘れていたわけじゃないんだ……。

 先日、テレーズとライザにお呼ばれして湖まで行った時に大量にとったアコヤガイがあっただろ。

 あれに付着していた藻のようなものを集めてマリーに天日干しにしてもらったんだ。

 踵を返すと、マリーが後ろから元気よく声をかけてきた。


「わたしもご一緒します! 次からは一人でできるように」

「アコヤガイは俺一人じゃ取って来れないから、次はいつになるやら。なので、覚えなくても大丈夫だよ」

「いえ。できることを一つでも増やしたいです!」

「お、おう。俺が言うのもなんだけど、気負い過ぎないでくれよ」

「ご心配なくです! 楽しいんです。ここでの毎日が。お客さんも、できることも、エリックさんのお料理も、増えていって」

「俺もだよ。宿の経営に舵を切って本当に良かったと思ってる」


 冒険者時代も前世日本時代に比べたら激動だと思っていたけど、宿の経営は冒険者時代以上だ。

 ある程度落ち着いたら変化の余りない毎日が続くのかな、なんて宿の経営を始める前に考えていたが、まるで違う。

 まさか冒険者時代に会うことがなかった、超強力な存在にも会っちゃったし。それだけじゃなくて、コーヒーのおすそ分けまでもらっちゃったんだよな。

 今晩飲もうかななんて考えてた。

 おっと、コーヒー豆じゃなくてコーヒーキノコな。味わいは同じなので、コーヒーと言っても問題なし。

 コーヒーを初めて飲んだ時、マリーは一体どんな顔をするだろか。眉をひそめるのか、それとも、気にいってくれるのか。

 今晩が楽しみになってきたぞ。

 

 一人変な笑みを浮かべていたら、遠くから俺たちを呼ぶ男の声が聞こえてきた。

 

「もし。店主殿はいらっしゃるか?」


 「なんだろう」とマリーと顔を見合わせる。

 

「干した藻はもう回収していいと思うのだけど、先に来客からかな」

「ご一緒します」


 再度、呼びかける声に対し、足早に移動する俺たちであった。

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