第63話 明日、逝きましょうー

 キノコの畑なのか栽培所なのか、どっちでも良いのだけど、アリアドネの居室の奥には結構な広さの空間があって、そこにズラッと枯木が並べられている。

 トコトコと淀みなく歩く彼女の後ろをついて行こうとしたのだけど、地面に転がっている小さな枯木に足を取られそうになった。

 キノコの空間は壁と天井がぼんやりと光っていて真っ暗闇ってわけではなかった。

 それでも、薄暗いからちゃんと地面を見ながら歩かないと転んでしまいそうだ。俺が転ぶのは全然構わないが、キノコを潰してしまったら一大事である。

 慎重に進まないと……って。

 

「すみよん。キノコの上は歩いちゃダメだぞ」

「大丈夫でえす。踏んではいませんー」


 キノコの生い茂る枯木をてくてくしていたすみよんに向け苦言を呈す。

 対する彼と来たら、長い尻尾を首に巻き付けてどこ吹く風だ。

 確かに、彼の通った後に倒れたキノコはない。元のままだ。わざわざあんな狭い隙間を縫わなくてもいいと思うのだけど……。

 

 俺の視線が気になったのか、彼は長い尻尾を伸ばし俺の腕に絡めると肩の上に乗って来た。


「別に気にしなくていいわよ。外に生えているものばかりだから」

「ですってー。エリックさーん」

「気遣いで言ってくれたんだってば。畑を管理するのって中々大変なんだぞ」


 どやーとするワオキツネザルのおでこを指先でピンとする。

 それが妙におかしくなってきて、ついつい笑ってしまうと彼もつられてゲヒゲヒと笑う。

 笑い声汚いな……。もっと愛らしくできないものだろうか。

 アリアドネは口が裂けて喉の奥をギギギと鳴らすのが彼女にとっての「笑い」なのだが、慣れてきたけど正直まだ怖気が走る。

 モンスターに遭遇して、意気揚々と襲いかかろうとした時の咆哮を彷彿するんだよな、アレ。

 彼女の場合はモンスターの吠え声と異なり、人間の笑い声程度の音量なのだけどね。

 なんか裏ボスの嘲笑みたいでさ。慣れよう慣れようと思っても、なかなか難しいんだよ。

 

 きょろきょろしつつ足もとを気にしながらおっかなびっくり歩いていたら、アリアドネの歩みが止まる。

 彼女が止まったのは部屋の角で、左右の壁から光が降り注ぐ栽培所の中では最も明るいところだ。明るいといっても、外に比べれば暗い。

 魔法の光で照らした宿のレストランと比べたら、半分くらいの光量かなあ?

 キノコを栽培するにしては明るいのかもしれないくらいかも。キノコのことは良くわからないので、何とも言えん。


「これよ」

「粒々してるんだな」

「はい。どうぞ」

「ありがとう」


 枯木から掬い取るようにして集めた黒い粒々を手渡しで受け取る。

 これ……コーヒー豆と同じくらいの大きさだな。親指と人差し指で一粒挟んでみたところ、硬い。

 ギュッと押しても潰れない。市販されているコーヒー豆くらいの硬さがあるかもしれない。

 コーヒー豆って飲むことができるようになるまで複雑な工程があったと思うのだけど、詳しくはまるで分からないんだよな。

 といっても、街でコーヒー豆を見たことが無いので、入手自体が困難そうだ。


「一つくらいだったら潰してもいいわよ。それをすり潰して煎じたのがさっき出した飲み物よ」

「いや、硬いよこれ。すり鉢か何かでやらない……え」


 アリアドネが軽く握ると、手の中にあった黒い粒が全て粉々に砕け散ったじゃないか。

 指で挟むより握りつぶす方が遥かに難易度が高い。一体あの細腕にどれほどの握力があるのか……俺の腕を本気で掴まれたら千切れそうだよ。

 

「エリックさーん。どうしましたー?」

「あ。いや。キノコなのに硬いものもあるなんてって驚いていたんだよ」

「そうなんですかー」

「そうなんだよ」


 すみよんめ。ドキッとしたじゃないかよ。

 誤魔化すように頭をかき、話題を変えるべくアリアドネに尋ねる。


「黒い粒状のキノコの名前を教えてくれないか?」

「特に決めてないわよ。ワタシ以外は楽しむこともないし。ここには多数のキノコがあるでしょ。いちいち名前を付けていないわよ。もちろん名前が付いているものもあるけど」

「じゃあ勝手に呼び名を決めてもいい?」

「構わないわよ。アナタとワタシの間で通じればいい」

「コーヒーキノコでどうかな」

「よくわからないけど、それでいいわよ」


 アリアドネは名前には余り拘りがないようだ。

 俺としては煎じるとコーヒーになるキノコだから、安易にコーヒーキノコと名付けたに過ぎない。

 この後、アリアドネから煎じ方を教えてもらって、栽培のコツなんかも聞いたんだ。

 ちょっと栽培するには難易度が高そう。洞窟の中だからこそ、適度な湿度と気温が維持出来ていると思うんだよな。

 あ。廃村の近くにちょうど洞窟があるじゃないか。広大だけど、少し奥に入れば温度が一定のはず。

 モンスターや野生動物に荒されなきゃいいけど……。試してみる価値はあるな。

 もらった半分は飲んでしまって、残り半分は栽培に使ってみることにしよう。

 

「霧に浮かぶ魚を見せたかったんだけど……」

「それは遠慮しておくよ」

 

 渓谷の入口まで戻って来て、アリアドネと握手を交わしカブトムシに乗り込む。

 彼女に手を振り、いざ帰路についた。途中でビワをとって帰ろうかな。

 気分良くカブトムシを走らせていたら、すみよんの長い尻尾が俺の首に絡んできた。

 

「エリックさーん。忘れ物ですよお。アリアドネのところに戻らないと」

「お土産も頂いたし、これ以上何かってのは無かったよな」

「リンゴでえす」

「あ。そういや、東の渓谷にリンゴがあるって言ってたな。他のところにはないの?」

「ありますよお。ブドウもありまーす」

「じゃあ、そこに行こうか。遠いんなら明日だな」

「少し距離がありまーす。明日、逝きましょうー」


 「行く」がまたしても不穏な発音だったのだが、気のせいだよな。


「あ。イノシシがいる!」

「アタックでえす」

「え。えええ。おいいい。止まってくれ」

「いけいけどーん」


 カブトムシの元主人であるすみよんが手綱を握ったらしく、カブトムシが俺の言う事をまるで聞いてくれない。

 願い虚しく、カブトムシは角の生えたイノシシにひき逃げアタックを敢行する。

 ドシイイイイン!

 イノシシの角が粉々になって、首もあらぬ方向へ曲がっていた。

 もちろん、一撃でイノシシは絶命している。

 ピクリとも動かないイノシシをありがたく頂き、今度こそビワを採集して宿に戻ったのだった。

 行きでビワを回収したんじゃないかって? 残念ながらカブトムシとすみよんが全部食べちゃったのだよ。

 あ。余談であるが体当たりしたカブトムシには傷一つ付いてなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る