第57話 発酵だよ
出会いはいつも唐突に。いや、知っている人だけど。
よくやく今日の料理ラッシュが終わり、マリーと遅い夕食を取っていたら、彼女がやって来た。
覚えているだろうか? 俺はなんとか記憶に残っている。
狸耳の酔っ払い……じゃなく最高クラスの冒険者の称号を持つ赤の魔導士ことスフィアだ。
酒を片手にした様子もなく、素面に見える。
素面じゃなきゃ、すぐさま追い返していたところだけど、何やら深刻そうだな。一体どうしたんだろう?
「夕食がまだなら一緒に食べる?」
「いいの? じゃあ、遠慮なく」
挨拶も早々にまだ残っていた大鍋に入ったシチューとアコヤガイの貝柱フライにおにぎりと迷ったがふかふかのパンを彼女に提供することにした。
食べ始めるや「おいしい!」と呟くものの、げっそりした顔で嘆く。
「変な人がうちに来たの。エリックくんの知り合い?」
「変な人と言われても、誰のことやら」
ごめん。嘘をつきました。俺の知っている変な人は二人いる。
そのうち一人は現在廃村で錬金術屋を作るとか言っていた。
「嘘だー。その顔。絶対知ってる!」
「いや、たぶんそうかなあという人はいるけど、ひょっとしたら違うかもしれないじゃないか。冒険者たちの顔ぶれは毎日違うし」
「冒険者ではないわ。白衣なんて着ないでしょ」
「金縁のゴーグルに髪の毛がこおおんな感じになっていた?」
「やっぱり知っているんじゃない。エリックくんのお友達なのね」
「決して! 決して! 断じて! お友達ではないよ」
身を乗り出す俺の勢いにスフィアの顔が引きつっている。
服装から彼女の言う変な人は、自称天才錬金術師のグレゴールで間違いない。
彼女もまた俺と同じように興奮した様子で机越しに身を乗り出してきて、狸耳が鼻先に当たりそうになった俺が思わずのけぞる。
俺の仕草に彼女がハッとなり、元の体勢に戻って目を反らした。
素面の時の彼女は酔っ払い時と真逆の反応をするんだよ。信じられないことに。
手でも触れようものなら恥ずかしいのか必要以上に離れて挙動不審になるほど。
ただし、酒が絡む時は除く。
触れようが額がごっつんこしようがまるで動じない。どうも、集中する事柄だと周りが一切見えなくなるのだと思う。
この集中力が赤の魔導士とまで呼ばれるほどになった彼女の原動力なのかもしれない。
もちろん、それだけじゃないことは分かっている。
恵まれた才能にたゆまぬ努力と集中力があって、今の彼女があるのだ。
努力の方向性が全て酒に向かっているのはどうかと思うが、俺的にはアリよりのアリである。
材料があれば一瞬にして酒にしてくれるし。
そんな彼女だが、わざとらしく唇に指先を当てた後ふうとため息をつく。
「突然やって来て、『ほ。ほほほ』とか言うのよ!」
「『チミ』とかも言ってなかった?」
「言ってた! やっぱり知り合いなんじゃない」
「知ってはいるが、お近づきになりたいのとは別の話だろ」
「まあそうね」
「それで、自称天才錬金術師様は何を?」
両手をこれでもかと広げ、ブンブン身振り手振りを加えながらスフィアが説明を始める。
天才錬金術師は金縁ゴーグルを装着し、極端な前傾姿勢ですんすんと鼻をひく付かせながら酒蔵にやって来た。
スフィアと目が合うも挨拶や会釈をすることがなく、床に手を付き左右を見渡す挙動不審さを発揮したそうだ。
うん、彼ならやる。
そして多分……。
「それで突然、『チミの酒蔵かね!』と叫んだの」
「やっぱり……叫ぶか、笑うかどっちかだと思った」
「私だって相手をしたくなかったけど、居座られても困るし、『そうよ』と答えたの」
「それでそれで?」
挨拶もそぞろに唐突に「発酵」「発酵」と金縁ゴーグルを剥ぎ取り振り回したらしい天才錬金術師様。
変人と天才は紙一重というか、何というか、彼は酒蔵における発酵過程が魔法によるものだと見抜いた。
「素晴らしい魔法だ! さっきエリックくんにヒントを貰ったものがあるのだよ。これだよ。これ」
などとわけのわからないことを言い始め、言われるがままいくつかの瓶に発酵の魔法をかけさせられたのだと。
「……もうわけがわからないったら。魔法をかけたらすぐに帰ってくれたけど、ちゃんとあの人に言い聞かせておいてよね」
「お、俺は無関係なのに。俺の名前を出したのか。あの変人め」
自称天才錬金術師……確か名前はグレゴールだったか。
風評被害もいいところだよ。
いや、でも、俺も一枚噛んでると言えなくもないか。納豆を見せたわけだから。
しかし、しかしだ。
俺はスフィアのことを知らせてないし、彼が勝手に彼女のログハウスを訪れることまで想定できないって。
頭をかかえると、被害にあったスフィアもはあと顔を下に向けた。
その時――。噂をすればなんとやら。
「エリックくん! 発酵だ! 発酵だとも!」
扉が勢いよく開けられ、絶叫が聞こえてきた。
この印象的な声は姿を見るまでもない。自称天才錬金術師様その人である。
「エリックさん。あの人!」
「来てしまったな……」
「他人事のように振舞っているけど、あの人はあなたの名前を呼んでるわよ」
「どうやらそのようだな」
仕事終わりの食事時にスフィアはともかく何であの錬金術師の相手をしなきゃなんないんだよ!
そして俺は考えるのをやめ、黄昏ているってわけさ。
ふ。今日は夜風が身に染みるぜ。
「発酵だよ! 発酵」
「うわあ」
世捨て人になっていたら、いつも間にか錬金術師グレゴールの顔がドアップになっていた。
近い、近すぎるだろ!
俺の反応など見る気もない、いや、自分の興味があること以外は見えない彼はいそいそと瓶を机の上に置いた。
「これは?」
「ほら、チミが言っていただろう」
主語が無いと何のことか分からないだろう、と突っ込む前に瓶の中身がチラリと目に映る。
これ、この色……もしや。
「大豆を発酵させて作ったんですか?」
「そうとも。チミがあったらいいな、と言っていた発酵の魔法がすぐそこにあったのだよ! 美しいお嬢さんが瓶に魔法をかけてくれたのだとも!」
それ、スフィアの前で言う?
分かってるよ。グレゴールには彼女の姿が見えていない。今彼の頭の中にはこの瓶しかないからね。
後は喋っている相手の俺の言葉が辛うじて聞こえている程度だと思う。
「う、美しい、だなんて。そんな」と彼女が照れていたけど、もちろん彼の目には映っていない。
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