第49話 ぷるぷるだね
「ほ。ほほほ。ぷるぷるだね。ぷるぷるだね」
「は、はい。そ、そうですね」
「(お代は)これで足りるかね。ぷるぷるしておるね」
「多すぎです」
平和な宿の昼下がりが一変して異様な空気に包まれた。
静寂を打ち破ったのは壮年の変な錬金術師ことグレゴールである。
彼は金縁のゴーグルにオレンジのスカーフ。更に白衣の下が素肌と見た目が風変りなのだが、仕草もぶっとんでいる人なのだ。
最近、お昼の時間に多少なりともゆったりした時間が取れる日が出てきたんだよね。
グラシアーノからの仕入れ、畑や家畜の世話、料理の下準備などやることは変わってない。
しかし、採集に出かけていただろ? 野山に向かう探索がカブトムシによって一回で大量に持ち帰ることができるようになってね。
かつ、カブトムシは馬より速いから行動範囲も増えて、採集にかかる時間が格段に短くなった。
難点は未だにマリーがカブトムシを怖がっていることくらいかな。
彼が来てからいつの間にかポラリスと冒険者二人はいなくなっているし、マリーはおやつタイムの後に再び羊に世話に行ってしまった。
俺一人でこの変な人の相手をしなきゃならないのだ。お客様であるので無碍にするわけにもいかないからなあ。
それに確か彼は砂糖のヒントを持っていた記憶だ。変だけど腕は確かなはずなので、超細く長いお付き合いをしていった方がいいんだよね、多分。
打算とかは俺に似合わない。なるようになるさ。ははは。
彼は変なだけで、別に俺やマリーにとって害になるわけでもないもの。
俺の内心など推し測りもしないグレゴールはビワゼリーをプルプルさせて「ほ。ほほほ」と声を出している。
目がランランと輝き、不気味ったらありゃしない。
そっとお釣りをテーブルに置き、キッチンで皿洗いでもしようとさりげなく彼の席から離れようと……。
「エリックくん。場所はどこでもいいかね?」
「場所……? あ。工房ですか?」
まさか本気だったとは。確かにグレゴールは工房を作ると言っていた。
それならそれで、俺も彼に頼みたいことがある。
どこがツボにハマったのか分からないけど、背骨が折れそうなほど背を反らしたグレゴールはカクンと元の体勢に戻った。
怖いって……。
「そうとも。そうとも。ほ。ほほほ。すぐに大工を連れて戻ってきたんだよ」
「そうですね。広場を挟んで反対側がいいんじゃないかと」
「ふむふむ。そうだった。食材はまだあるかね?」
「まあ。それなりには」
「是非とも君の手料理を外の者たちにも振舞ってもらえないかな。今のぷるぷるだけでも問題ないとも」
「おやつ程度でいいってことですか?」
「一応、食材は持ってきているからね。ほ。ほほほ」
そう言って突如立ち上がったグレゴールはビワゼリーを吸い込み、完食する。
もうどこから突っ込んでいいのか、俺は無になることを決めた。
そして外に行くのかと思いきや、ずかずかとキッチンに向かっているじゃないか。
「そこは従業員専用になってまして」
「そうだったか。この前振舞ってくれた『焼きおにぎり』、あれは発酵した何かを使っているはずだ。そうだね?」
「確か大根の浅漬けと焼きおにぎりには味噌を塗っていた……と思います」
「ほ。ほほほ。発酵は素晴らしい。この天才錬金術師魂を揺さぶると思わないかね?」
「あ。はあい」
「そうかね。ほ。ほほほ。発酵。チーズやヨーグルトは我々にとって大発見だったことだろう。しかし、しかし、しかああし。発酵の魅力はそれだけではない」
何か語り出したけど、全部右から左だよ。
キッチンの物に触れたりはしないぽいし、このまま喋り疲れるのを待つとしようか。
「エリックさん。エリックさんー」
「……。マリー。餌やりは終わったの?」
再び無になっていたら、マリーに声をかけられて意識がこの世に戻って来る。
対する彼女はコクリと頷き、笑顔で籠を掲げる。
「卵も持ってきました」
「ありがとう。あの変な人は……一体何をしているんだろうか」
「あの藁って……」
マリーの細い眉が思いっきりハの字になった。
グレゴールがくんくんしているのは納豆の入った藁だな。
「発酵! 発酵かね。これも。腐っているように思えるが、これも発酵……?」
「食べ物です。俺は気にいっているんですけど、余り受けが良くないです」
「そうかね。こいつを食べさせてもらってもいいかね? お。こっちは。瓶に……これは大豆を発酵させているのだな」
「それは、中々うまくいかなくて。調味料を作ろうと思ってます」
「ほ。ほほほ。近い味の調味料はあるかね?」
「味噌だまりといって、焼きおにぎりに塗ってもおいしいですよ」
「ふむふむ。少し味見をさせてもらえるかね?」
「納豆ですか? それとも味噌だまりを?」
「調味料の方を頼めるかね」
本人が真剣なのは分かるのだけど、金縁のゴーグルを忙しなく動かすのが気になって仕方ない。
なんか発酵食品に詳しそうだし、味噌だまりを小皿に少し垂らしてグレゴールに差し出した。
すると彼は手の甲を皿に向け、小指の爪を味噌だまりにつけちゅぱちゅぱと味見する。
「なるほおおおどおおおお。こいつは確かに良いものだね。だね?」
「あ。はあい」
顔が近い。怖いってば。
唾が飛びまくって、顔がしめる……。
「よおおおし。この天才に任せたたまえ。錬金術でちょちょいと作ってみせようじゃないか」
「錬金術で発酵を?」
「発酵は自然に任せるしかないとも。しかし。錬金術があれば、味の調整をすることができるのだよ。おそらく私にしかできないだろうがね」
「発酵は魔法で、なんですかね?」
「発酵を魔法で代替できるのかね!」
「で、できたらいいなあって……」
「できないのかね! 残念だ。残念だ。大豆ならば、持ってきていたはずだ。そうだね。一週間ほど待っていてくれたまえよ」
背骨が折れそうなほど背筋を反らしたグレゴールはふわりと元の体勢に戻り、額にあった金縁ゴーグルを下にずらす。
そして、止める間もなく民宿から走って出て行ってしまう。
「え。えええ。納豆とか大工の人への食事とかどうするんだ……」
「外に出てみましょうか」
呆気にとられる俺にさすがのマリーもため息が出そうになっているようだった。
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