第45話 ナポリタン

「これで発酵が済んでいるはずよ。開けるのそれ……?」

「もちろんさ」


 あからさまに嫌そうな顔をするスフィアと対照的に俺はもうワクワクが止まらないでいた。

 藁をオープン。

 ふむ。この臭い……いや香りは懐かしき朝のもので間違いない。どうやら種とした糸を引く大豆が功を奏したようだな。

 試験は成功。後は種を元にどんどん作っていけばいい。


「う……ちょっと、腐ってるでしょ、それ」

「いや、これが作りたかったんだ」

「そうなの? 調味料って聞いてたけど、腐った豆を作らされていたの?」

「作ってもらいたかったのは調味料だったんだよ。だけど、奇跡的に納豆が作れてしまったからさ」


 発酵した大豆こと納豆を一つ摘まんで引っ張ると糸を引く。

 そのまま納豆を口に運ぶ俺に対し、スフィアが一歩後ずさる。


「さ、さっきも食べていたわよね。あなたのお店の料理はおいしいけど、それはない。それはないわ」

「朝といえば納豆とご飯。これだよこれ」

「わ、私は遠慮しておくわ」

「調味料の方は引き続き実験に付き合って欲しい」

「納豆とやらは自分で作ってね」


 もちろんさ。

 納豆菌の種さえあれば、納豆を作ること自体は問題ない。

 発酵食料品はそれぞれ活躍する菌が異なるのだけど、元となる菌がない状態で成功させるには中々難しいんだ。

 この世界では何故かイースト菌を混ぜ粉まなくても、ふかふかのパンができる。

 なので、なんでも材料さえ準備すりゃ上手く行くと思ってたんだが、上手くいかないものもあった。

 

「ふんふんふんー♪」


 愉快愉快。へ、へへへ。

 納豆だあ。納豆があるぞお。

 民宿に戻り、誰もいないことを確認してから藁を掲げグルグル回って喜びを表現する。


「これで醤油があれば最高なんだがなー」


 我ながら贅沢を言い過ぎだ。もう食べられないと思っていたものがここにある。それだけでいい。

 ちゃんと感謝を伝えねば。

 

「納豆よ。よくぞ我が元に帰って来てくれた」


 一段と高く納豆を掲げ恭しく……あ。

 マリーが……いた。

 

「あ。こ、これはだな」

「ま、魔法の儀式ですか?」

「そ、そんなところだよ。これでおいしくなったはず」

「そんな秘密があったんですね!」


 猫耳をピンと立て満面の笑みを浮かべるマリーを直視できない。

 うまく誤魔化せたようだけど、「おいしくなる魔法を使わないんですか?」とか今後突っ込まれたら恥ずかしくて倒れるかもしれん。

 墓穴を掘ってしまった感がものすごくあるのだけど、明日の俺が何とかしてくれることを祈る。オーバー。

 

「ではさっそく……ご飯を炊かないとダメか」

「はい! そろそろお客様方がお見えになりますね! 着替えてきます」


 そうか。そろそろ夕方だったな。

 納豆の喜びで危うく本業を忘れるところだった。納豆の魔力恐るべし。

 

 ◇◇◇

 

「ふう……今日もお疲れ様」

「エリックさんも! お疲れさまでした!」


 終わった終った。

 さて、遅い夕飯であるが、生憎ご飯がもう残っていない。今から自分達の分だけを炊くのも手間だからどうするかな。

 もちろん、納豆は食べる。ご飯以外となると洋風で思いつくものを。


「マリー。これ、食べられそう?」

「う……苦手かもです……」

「だよなあ。マリーには納豆抜きにしよう」

「す、すいません」


 顔以上に猫耳と尻尾がもうダメって感じになっている。

 仕事が終わったことを察知したニャオーも納豆をくんくんして「ぎにゃー」と悲鳴をあげて逃げて行った。

 そんなに酷い香りなのかなあ。食べない人にとってはキツイ香りであることは認識しているけど……。


「ずっと和食だったし、パスタにしよう」

「楽しみです!」

 

 気を取り直して料理に取り掛かる。

 この世界には乾燥パスタがあって、街に行けばパスタを提供する飲食店が多数あるんだ。

 俺が作りたいパスタは決っているのだけど、納豆抜きではあまりおいしくないかもしれない。

 ならば、二種類作っちゃおう。日本式パスタの中でも多分一番食べられているものだ。

 タマネギにピーマン。ソーセージがないのでベーコンでいいか。お。シイタケもある。素晴らしい。

 ささっと炒めて、特製のトマトピューレに鳥ガラ出汁を少々混ぜ、ちょうど茹で上がったパスタを絡める。


「先にマリーから食べて。ナポリタンってパスタだ」

「うわあ。トマトの香りがおいしそうです!」


 マリーがにっこにこで食べる姿を横目に今度は俺の分を作るとしよう。

 俺の知る限り、ナポリタンを出している店はなかった。カレーと同様、ナポリタンは日本独自の料理だからだろうか。

 カレーの想像をしたら無性に食べたくなってきたが、納豆を眺め打ち消す。

 と、頭の中ではカレーと納豆が格闘していたものの、料理を作る手を休めてはいない。

 野山で拾ってきた様々なキノコ類をざく切りにしてっと。

 フライパンにオリーブオイルを敷き、ニンニクをパラリと振る。

 良い感じにニンニクがじりじりとしてきたら、キノコ類を一気に投入だ。

 味付けは塩と味噌だまりとシンプルに行こう。

 パスタと絡め、そしてお待ちかねの納豆をドバドバと盛り「納豆きのこパスタ」の完成であるぞよ。

 

 皿を持ってマリーの対面に座ると、彼女が無言で隣のテーブルに移動してしまった。

 

「エリックさん。ナポリタン? をメニューに加えませんか! きっとみなさん気にいってくださいます!」

「洋食だけど……まあいいか。では、いただきます」


 マリーの言葉も半ばほどしか頭に入って来ていない。

 お待ちかねの納豆きのこパスタを前に手を合わせる。

 

「お。おおお。これよ、これ」


 久しぶりに食べた納豆きのこパスタに舌鼓を打つ。

 今日もご馳走様でした。

 風呂に入り、ベッドに寝ころぶとすぐに眠気が襲って来て意識が遠のく。

 しかし、深夜……激しい悪寒がして、心臓を鷲掴みにされたかのような緊張感が走り飛び起きた。

 い、一体何が……?

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