第40話 いい湯だな(サービスシーン注意)

「ふう。今日もいろいろあったなあ」


 温泉はいい。今は岩風呂で囲いを付けただけの半分外のような作りであるが、いずれ別館を作ってそこに木製の湯船とサウナを追加し岩風呂は屋根だけある露天風呂にしようかなあ。

 一日の疲れを湯と共に洗い流すのだ。


「ああああ。これ最高じゃねえかあ」


 お盆に乗せたおちょこととっくり。粘土を捏ねてポラリスのところの窯で焼いた自家製のものである。

 中に入っているのは清酒だ。キーンと冷やすことができればよかったのだけど、保冷庫はあるが冷蔵庫はない。

 赤の魔導士なら冷却魔法とかで氷を作りだすことが出来たりするのかな?

 常温でも暖まった体には冷たく感じる。

 そんじゃま。もう一杯。

 とっくりからおちょこへ酒を注ぐ。残念ながらアテはない。湯の中に落としちゃいそうだし、温泉に浸かる前に腹いっぱい食べたからもう満腹である。

 ガサガサと竹の囲いが揺れ、何かが飛んできた!

 

 どぱん。


「何だこれ。リンゴ?」


 岩風呂に着弾したそれは緑色のリンゴだった。

 何故にリンゴが飛んできたんだ? 雨の代わりにリンゴが降って来るなんて聞いたことが無い。

 一個だけだし。

 

「うお」


 油断していたら更にリンゴが飛んできた!

 な、何奴。出会え出会え。リンゴの襲来であるぞお。

 ふざけていたら、竹の柵の隙間からにゅうんと灰色と黒の猫の顔が見えた。

 あんな狭い隙間から顔を出しちゃって。毛だけじゃなく顔の皮も引っ張られているじゃないか。

 と思ったら、頭が完全に前に出て、体もするりと隙間を抜けてきた。アメリカンショートヘアのような柄をしていることからマーブルだな。

 

「にゃーん」

「マーブルも入る? 洗ってやるぞ」


 立ち上がり両手をぐーぱーすると、プイっとすげない態度を取るマーブル。

 そのまま俺のことなど知らぬとばかりにトコトコ歩いて、反対側の囲いの隙間から出て行った。

 な、なんだよお。

 猫が温泉に入る姿は想像できないけど、別に温泉に入る猫がいてもいいじゃないか。

 

 ドシンドシン。

 今度は何だよお。竹の囲いがぐらぐらと揺れている。

 

「やめろお。倒れるだろお」


 慌ててうんしょっと囲いをズラす。竹の囲いを揺らしていた犯人はビーバーだった。

 全部で三体いる。

 道が出来たビーバーたちは俺の股の間を通り温泉にドボンと飛び込んだ。


「びばば」

「びびばばばば」


 な、なるほど。温泉に着弾したリンゴ狙いだったのか。

 10個以上は振ってきたからな。リンゴ。

 リンゴ風呂も良い香りがして悪くないか、なんて思っていたりした。

 ビーバーたちは器用に前脚でリンゴを挟み、湯船から出てリンゴを齧り出す。


「それはワタシのリンゴでえす!」


 竹の囲いの向こうから、ワオキツネザルが。ええと、高さ五メートルは出ているな。とんでもねえジャンプ力だ。

 無駄に能力が高い……。もっと違うことにその力を使えよ。

 もう、呆れて声も出ねえ。

 無言で湯船に戻った俺は、リンゴを掴み口につける。

 

「悪くないな。リンゴと日本酒。しゃりしゃりして美味しい」

「すみよんのリンゴでーす。エリックさんも食べていいでえすよお」

「食べないとビーバーたちが食べちゃうぞ」

「そうでしたあ。リンゴ甘いでーす」

「聞かなくても分かっているけど、一応聞かせて。このリンゴはすみよんが投げたんだよな?」

「その通りでえす。エリックさーんとたまには一緒にご飯をと思いましてえ」

「そ、そうか。俺の食事場所は風呂じゃなくて食堂な」

「それ、飲んでましたー」

「あ、ああ。そうね」


 生活習慣がまるで違うワオ族のすみよんに言っても仕方ないことか。

 彼は俺のためにリンゴを持ってきてくれた。その気持ちだけ受け取っておけばいいんだ。

 一緒に食事をしたい、ということは好意の現れだろうから。

 

「リンゴもう一個もらっていいかな?」

「どうぞお。すみよんのおごりでえす」

「このリンゴ。どっかから採って来たの?」

「そうですよお。エリックさんもリンゴ欲しいですか?」

「そ、そうだな。グラシアーノから仕入れているけど、山にリンゴってあったっけ」


 ブドウやら山には色んなフルーツが自生している。どれがあってどれがないとか最近分からなくなってきた。

 宿のお客さんが増えて、グラシアーノからの仕入れに頼る食材量が急増したからさ。

 彼だって馬車で廃村まで来るので仕入れる量にも限界はある。今の宿の規模だったら、彼からの仕入だけで八割以上は賄えているんだよな。

 仕入れると原価が高くなっちゃうけど、その分こちらの手間がグンと減る。

 畑だってまだまだだし、家畜の方なんて育てていたら肉にすることなんてできなくなってしまって……。

 だって、だって。俺の手をぺろぺろ舐めてくれるヤギを肉にするなんて無理よ。可哀そうじゃないかあ。

 そして俺は悟る。俺にもマリーにも肉にする家畜を育てるのは向いてないことを。

 

 しゃりしゃりと細かく口を動かしてリンゴを食べていたすみよんが一旦口の動きを止めた。

 

「ありまあす。少し遠いですよお。エリックさんの足だと行って帰って来れないかもしれませーん」

「宿を開けるわけにはいかないからなあ」

「リンゴ食べたいですかー?」

「ま、まあ。そうだな」

「すみよんに任せてくださーい。エリックさんには弟子がお世話になっていますからねー。ブドウも沢山いただきましたしー」

「リンゴ、倉庫にあるよ。次の仕入れまでもうすぐだからお裾分けしよ……」


 話が終わってないってのにリンゴが食べ終わったらしいすみよんは湯船からあがりペタペタと竹の囲いを倒して行ってしまった。

 ドシイインという嫌な音が虚しく俺の耳に届く。

 

「ジャンプで来たんだからジャンプで帰れよ!」


 元に戻す俺の身にもなってみろってんだよ。しかし、これだけ脆弱な作りだと女湯の方、覗かれたりしそうで怖いなとか思わないか?

 問題ない。女湯の方はちゃんとした壁だからね。男湯は当初完全なる露天風呂で、後から竹の囲いを付けた。やろうと思えば簡単に囲いを動かすことができる。


「エリックさんー!」

「どうした? マリー」


 本来なら壁越しに声をかけてくれたのだろうが、生憎今はすみよんによって囲いは倒されていた。

 囲いを掴んだ俺とマリーの目が合う。


「あ。あ。あう」

「ん。あ。ごめん」


 囲いで自分の大事なところだけを隠し、マリーに謝罪する。

 彼女は顔を真っ赤にしながらも、伝えたいことだけ何とか紡ぎ出す。

 

「ぼ、冒険者さんの目が覚めたそうですうー」


 ぴゅーっとマリーは走り去ってしまった。

 ゆったりとした時間を過ごすつもりの温泉が、大運動会になったな……。

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