第32話 日本酒

「これで完了よ」

「米麹ができたのかな?」

「さあ。私に言われても」

「そうだった」


 彼女は熟成の魔法を使うことができるが、酒作りの工程を知っているわけじゃない。

 状態を確認するのは俺の仕事だ。

 樽の蓋を開けてみると、むわっと酒の香りが鼻を刺激しむせそうになった。


「この匂い。酒が既に出来ているのか」

「もう飲める状態になってるはずだけど?」

「な、何だって!」


 蒸した米を入れていた布を掴んで持ち上げてみたら妙に軽い。

 中を覗くと米の水分が完全に飛んでいた。

 いやいやまさか。蒸した米を入れるだけで日本酒が完成しているわけがないじゃないか。

 日本酒は蒸留をしてアルコール濃度を上げる工程もあったはず。

 格子の板を外そうとして、ハタと思い出す。

 そういえば、この樽。下部に栓があったんだった。

 ビーバーの細やかな仕事には驚くばかりである。

 

 水桶を持ってきて、樽の栓をゆっくりと抜く。

 

「たまらんな。この香り」

「確かに! ねね。試飲しないの?」

「もちろんする」

「私もー」

「飲むなとは言わないけど、新居の自室で飲んでくれよ」

「えー。噂の『清酒』を前にして、酷いわ」

「名称を清酒にしようか日本酒にしようか迷ってる。まあ、名前は後からにしよう」


 この後、民宿の仕事があるので一口だけにしておこう。

 小さなコップで酒をすくって口に含む。

 こ、これは。まさしく、日本酒!

 蒸留もしてないってのに、一体全体どうなってんだ?

 

「スフィア。熟成の魔法ってどうなってんだ? 蒸留する酒とそうじゃない酒があるだろ?」

「そこは調整よ。蒸留するものだと思って、熟成の魔法を使ったけど違ってた?」

「あ。いや。蒸留をせず、布から液体を絞らないタイプの熟成の魔法もあるの?」

「あるというか、調整すれば問題ないわ」

「マジか! だったら」


 投入し日本酒となった蒸した米は元々米麹に使うために作ったものだ。

 もう1セット蒸した米があるんだよね。こいつは別の酒にしてもらおうかな。

 そんなわけで、キッチンに戻り蒸した米を運び込む。

 

「おかえりいなさあい。エリックうー」

「飲んだな。飲んだんだろ!」


 しな垂れかかってこようとしているスフィアを華麗に回避し、彼女の肩を掴んで揺する。


「のんれなああい。わよお。だてえ。もう一回、熟成のまほおおをかけるんれしょー」

「その状態じゃ無理だろ!」

「らいじょうぶううよおお」

「分かった。ほら。瓶に清酒を注いでやるから。これ持って部屋に入れ」

「いやらああ。エリックもお飲んれえ」

「俺はこれから仕事なんだってば!」


 隙を見せた俺が悪かった。酒が好きで好きでたまらなくて、熟成の魔法を開発してしまった酒好きから目を離して、酒を飲まないなんてことは有り得ないよな。

 米があれば調味料も捗るってのに。

 一瞬で完成するので、明日にでもいろいろ試してもらうとしよう。ついでに大豆でもお願いしたいことがあるから、そっちも頼んじゃおっと。

 

「ごめん。マリー。遅くなった」

「いえ! 先ほど一組のパーティをお部屋にご案内しました!」


 桜色の花びらが舞う白を基調とした浴衣にかんざし風の髪留め姿のマリーがぐっと両手を握りしめる。

 最初はおどおどしていた彼女だったけど、今ではすっかり接客にも慣れ、堂々とした佇まいが頼もしい。

 さて、宿に戻ったわけだが、受付と案内はマリーにこのまま任せ、俺は料理に取り掛かる。


「エリックさん! お忙しいところすいません!」


 料理をしていたらマリーがキッチンに顔を出す。

 どうしたんだろう?

 

「お部屋が一杯なのですが、ライザさんとテレーズさんがお見えになってまして」

「んー。和室を解放しようか。女性客なら準備が整っているはず」

「はい! 問題ありません。料金が10ゴルダ割増で良かったですか?」

「うん。それでも良ければって聞いてみて」


 コクコクと頷くマリーに対し片手をあげ応じる。

 もう一方の手はフライパンを握りしめたまま。もう一組増えても夕食分は問題ない。

 ライザたちなら朝食のみかもな。

 あ。米をご馳走するって言ってたけど、何もゴンザらも揃った時じゃなくてもいいか。

 

「マリー。ライザたちに米を食べるか聞いてみて!」

「分かりましたー」


 幸い声が届いたようで、遠くからマリーの声が返って来た。

 

 ◇◇◇

 

「ふう……嵐が去った……」


 一息ついたところで、上を向き大きく息を吐く。

 後は部屋菓子用の「栗蒸しまんじゅう」をマリーに持って行ってもらって完了だ。

 いつの間にか「栗蒸しまんじゅう」は月見草に欠かせないものとなっており、部屋菓子が「栗蒸しまんじゅう」じゃない時は「栗蒸しまんじゅう」を購入できないかと聞いてくるお客さんもチラホラと。

 季節に応じて部屋に置くお菓子を変更する予定なのだけど、どうしたものか考えちゃうな。

 米が入ったのでお煎餅とかも置いてみたいなあとね。

 

「やほー。エリックくん」


 白地に茜色で楓柄が描かれた浴衣に身を包んだテレーズが小さく左右に手を振ってやって来た。

 彼女の隣には紺色の浴衣を着たライザの姿もある。


「二人ともよく似合ってるじゃないか」

「まさかのサプライズだったよ。10ゴルダと言うから何かと思ったら。いつも君には驚かされる」

「部屋着を準備したいと思ってて、やっと女性用だけ準備できたんだよ」

「これも可愛い」


 ライザに代わりテレーズが口を挟む。

 彼女は後頭部のかんざしを指さす。


「かんざしはサービスなので持って帰ってもらっていいよ」

「ほんと! 嬉しい!」


 テレーズが俺の腕に自分の腕を絡ませ、小躍りした。

 

「あ。そうだ。夕飯は要らないって聞いてたけど、少しくらいなら食べる?」

「そうだな。明日が長くなりそうだから酒を控えようと思っていたが、どうする? テレーズ?」

「軽いものだったらいいかなー?」

「よっし。じゃあ。もし食べられなかったら、明日の昼にでも食べてくれ」


 ご飯も炊けたことだし、せっかくだから米を食べてもらうことにしようか。

 作るのは本当に簡単な料理とも呼べないもの。

 手のひらに塩を揉み込み、ご飯を握る。

 一つは味噌。もう一つは味噌だまりを付けて焼く。これだけ。

 

「焼きおにぎりだよ。マリーももうすぐ来ると思うからみんなで食べようか。俺たちはおかずも食べるけどね」

「これが噂の米か。いい香りだな」


 漂う焼きおにぎりの香りに涎が出そうになる。

 マリー。早く戻って来て。

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