第31話 赤の魔導士
「ビーバーたちすげえ……」
丸太ハウスに入ってみると、すでに俺の身の丈ほどある酒樽が四つも置かれていた!
それだけじゃない。一抱えほどの樽も部屋の隅に置かれていて、奥には別の扉もあったのだ。
奥はスフィアの寝室予定とのこと。今は藁のベッドなんだそうだ。
一日でここまでやってのけるとはビーバーの集団ってとんでもないな。
ビーバーたちが木を切り倒して道を拓く能力があることを俺はしっていたじゃないか。
ただ、彼らに何をして欲しいのか伝える力が無かっただけのこと。
となるとだな……未だに弟子ではなく俺の背中にぶら下がるワオキツネザルあってのこと。いやいや。スフィアがビーバーたちにお願いしたんだよな。
「師匠が頼んでくれたの」とさっき聞いた彼女の言葉を思い出し、首をブンブン振る。
頬にすみよんの長い尻尾が当たりアピールしてくるが、俺は現実逃避をしたいんだ。
「エリックさーん。ビーバーたちはやりますねえー」
「だな。まさか大工仕事までできるなんて驚きだよ」
「木材限定ですがー。あの鋭い牙で加工もお手の物でえす。幸い丸太も沢山ありましたし」
「ま、まさか。俺が乾燥させていた丸太を使ったのか? でもまだあれは、乾いてないぞ」
俺の疑問に対し今度はスフィアがふふんと鼻を鳴らしビッと人差し指を立てる。
「そこは問題ないわ。『熟成』と同じよ」
「仕組みはよくわからないけど、魔法で丸太の乾燥を一気に進めたんだな」
「そんなところ」
「その魔法。人間にも使えたりしないよな?」
「使えないわよ! 怖い事言わないでよ!」
顔を青くして応えるスフィアを見てホッと胸を撫でおろす。
熟成の魔法の応用で丸太の乾燥が進む……ことから、彼女の熟成を促す魔法ってのは特定の空間の時間を加速させたりするようなものなんじゃないのかなって推測したんだ。
もしそいつを人体に適用すると、恐ろしいことになる。
どうやら、彼女は熟成魔法でバッタバッタとモンスターを倒していたわけじゃないみたいだな。
微妙な沈黙が流れ、すみよんがしゅたっと俺の肩から床に降り立った。
「エリックさーん。お腹が空きましたー。ブドウくださあい」
「ブドウなら背負子に入っているだろ」
すみよんは背負子に乗っかっていただけで、ろくに動いていないのに腹は減るのか。
肉を食べない分、腹持ちが悪いのかもしれない。
やれやれと思っていたら、スフィアが思わぬことを口にした。
「ワインを作るの? ワインなら何度も飲んだことがあるけど……残念だわ」
「え。もう作ることができるの?」
「もちろんよ。ビーバーたちが樽も作ってくれたし。材料を準備してくれればいけるわよ」
「お。おおお。芋焼酎を頼みたいところだけど、サツマイモは次の仕入れまで待たなきゃならない。畑で育てているけど、まだまだかかる」
「じゃあ。しばらく待ちね」
「いや。米がある。そいつで清酒を作りたい」
「米? 聞いたことがないわ。果物? 穀物?」
「小麦のように主食になりうる穀物の一種だ。でんぷん質に富んでいて酒になる」
「それは……今すぐ作りましょう!」
「夜になったら民宿の営業がある。それまで仕込めるだけ仕込もう」
後数時間しかないけどな。
本当は少し休憩をしてから宿泊客用の夕飯と部屋用のお菓子の準備をするのだが、スフィアがやる気になっている時を逃さぬ方がいいだろう。
正直なところ清酒……日本酒をどうやって作るのか分からない。作ったことも無いんだもの。
だけど、材料は大まかに把握している。芋焼酎の時は酒作りに炊けた職人に任せ、サツマイモを蒸すと伝えただけで完成した。
自家製で素人が作るとなるとかなりハードルが高いだろうな。魔法でどこまで対応できるのかが肝だ。
上手く行かなかった場合は、芋焼酎を作ってくれた職人を頼ることにしよう。
さて、材料だが。
蒸した米と米麴だった……はず。
麴菌をどうしようかと思ったのだけど、味噌が出来たように麹菌の素を使わなくても何とかなるんじゃないかと思う。
まずは米麹からだな。
といっても、やることは米を蒸すのみ。
しばらく水に浸した米を蒸し、布で包み樽の中に入れる。
樽は半ばほどで細かい格子状の板が挟まれていて、当然ながら布はその板より下に行かなくなっていた。
袋を絞る時に使うものなのかもしれない。
「これが米なのね。その布に入った米を絞ったら清酒? が出て来るの?」
「いやまずは米麹を作ろうかと思って」
「何それ?」
「ビールで言うところの酵母みたいなもんで、熟成発酵させるための」
「私は職人さんじゃないから、よくわからないわ。とにかく、米を熟成させればいいのよね?」
「うん。試しにやってみて欲しい」
使った樽は一抱えほどのサイズのものだ。米の量に限りがあるし、失敗前提となると大量に米を使うことを控えることにした。
それでも5リットル以上の米を使っていると思う。
「そこ、踏んでるから少しだけ下がってもらえる?」
踏んでる? 何を?
足元を見てみたら、赤い線が引かれているのが確認できた。
何やら複雑な文様を描いているようだけど……これって。
「魔法陣?」
「そそ。樽の中を熟成させると決めておいたら、魔力を節約できるし、もかかる時間も短縮できるの」
「本当の本当に魔法使いだったんだな」
「最初からそう言っているじゃない。まだ酔っ払っていた時のことを……」
「どうしても頭から抜けなくて」
「その悪しき記憶を塗り替えてやるんだから。見てて」
二本の枝がお互いにグルグルと巻き付いた棒を掲げるスフィア。
棒の上側先端はハート型になっていて、中央部分にエメラルドがはめ込まれていた。
あれは棒じゃなく、魔法使いの魔法をサポートする杖だな。
魔法使いは杖だったり指輪だったりを使っているけど、どれが一番サポートに適しているのかな?
俺は回復術師なので特段これといった道具は使わない。
手のひらから暖かな光が漏れ出し、傷を癒す。これ一本である。
彼女は掲げた杖を降ろしトンと杖の先で床を叩く。
次の瞬間、ぶわっと赤で描かれた魔法陣が淡い光を放ち始めた。
「我が結界よ。願いに応じて。ファシリテーション」
呪文が紡がれ、魔法陣の淡い光が強くなり天井へ抜けていく。
余りの光に眩し過ぎて思わず目を閉じた。
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