第19話 変な貴族

 ストラディに掃除をお願いした後、狩りと採集に出かけるつもりだった。

 しかし、冒険者たちが食材を置いて行ってくれたので手が空く。ならば、改装を進めるかなと思っていた。

 いたんだ。確かに思ってたんだよ。

 だけどさ。ここに来てから息抜きをすることが無かった。

 つい……ほら、さ。一応、マリーにも今日の昼過ぎまでは作業を止めようと言っている。

 

「ふいいい」


 思わず声が出る。

 極楽。極楽。

 ここは温泉。いい湯だな。

 岩風呂を作ってからこうしてゆっくりと浸かるのは初めてだ。

 温泉付きの宿で主をやるといつでも温泉に入ることができると思っていたが、現実はそうじゃなかった。


「あああああ。毎日温泉に浸かりてえええ」


 誰もいないのをいいことに叫ぶ。

 スッキリした。さて。お盆に乗せたオレンジでも食べるか。本当は一杯やりたいところだけど、この後に宿の業務が控えているから仕方あるまい。

 ガタン! 

 と音がして、ガシャーンと物凄い音が続いた。

 

「な、何があったんだろ」

「だ、大丈夫ですか?」

「マリーこそ大丈夫……?」

「は、はい。急いでいてすてんといっちゃいました」

「う、うん」


 無言で彼女から目を逸らし、自分の腰に巻いていたバスタオルをバサッとかける。

 俺の叫び声が悪かったのか。彼女も俺と同じことを考えたのか隣で入浴していたみたいだった。

 叫び声が思いのほか響いていたようで、彼女が血相を変えてそのまま駆け付けようとしたところで足を滑らせて転んでしまったらしい。

 急いでいるにしても、バスタオル一枚くらい羽織ってくればいいのに。俺だって一応男なのだし……。

 

「あ、あの」

「すまん。見るつもりはなかったんだけど……」

「い、いえ。あ、あの。か、隠してくださいいい」

「あ。俺よりマリーを隠さなきゃと思って」


 くるりと彼女から背を向け浴槽へトンボ帰りする俺であった。

 

「ふいいいいい」

「エリックさーーん!」


 ちょ。またかよ。

 今度は一体何が……?


「湯船に入ってますか……?」

「入っているけど」


 浴室の外から警戒した声を出すマリー。

 来いと言われればタオルを巻いて外に出るけど……。


「お客さんが来ています! エリックさんも着替えてくださいー」

「分かった。すぐ行く。マリーは服を着ているだろうな?」

「こ、これからです!」

「よく来客が分かったな」

「マーブルが尻尾をパタパタと振っていたので」


 それが合図なのかよ。すげえなマリーと猫って。

 と感動しつつも扉向こうのマリーの影が見えなくなってから、急ぎ着替えて宿の外へ向かう。

 

 宿の前には廃村に似つかわしくない豪奢な馬車が止まっていた。

 まだ馬車の主は降りてきていないらしく、降りるために周囲を警戒している兵士たちが俺に挨拶をしてくる。


「すまない。宿の主人か?」

「うん。ちょうど二人とも二階の奥に行ってて気が付かなかったんだ」

「いや。私たちこそ、事前の連絡もなく昼間に来てしまったのだ。宿の昼間といえば営業時間ではないだろう?」

「当宿もお客さんを入れるのは夕方以降だよ」

「準備中のところすまないが、一つ頼まれてくれないだろうか?」

「できることであれば……」


 兵士と思ったが、よくよく見て見たら騎士じゃないかな。この人。

 肩当てにS字のマークが入っている。S字の先はバラであしらわれていて、これってどこかの貴族家の紋章に違いない。

 紋章を見ても王家以外は分からないな……不勉強なもので。

 

 騎士様とやり取りをしていたら、ばあんと豪奢な馬車の扉が開きナポレオン時代の軍服のような衣装を纏った中年が降りて来た。

 腕、太ももが筋肉でパンパンに張り、ゴンザより太い首回り、ガイゼル髭に片眼鏡と独特過ぎる。

 胸に下げた徽章きしょうは馬車に掲げられた旗と同じ。よくよく見てみると、男の紋章は騎士様と似ているな。

 騎士様のもより意匠を凝らしている。

 ま、まさかな。

 さすがにここは俺から声をかけねば。

 

「民宿 月見草のエリックです」

「お初にお目にかかる。吾輩はクバート・キルハイムである」

「キルハイム……ま、まさか」

「キルハイム伯爵領を預かる者だ。領都はキルハイム。居城もそこにある」


 ま、マジかよ。

 俺とマリーが住んでいた街と同じ名前じゃないかよ。

 この人がキルハイムの街を含む領域を統べるキルハイム伯爵だったとは驚きだ。

 せいぜい当主の息子とか親戚と思いきや本人のご登場である。

 この辺りもキルハイム伯爵領とかで、一言物申しにきたのだろうか。参ったな。領主とやり合いたくはない。

 どう言葉を続けるべきか悩み黙っていたら、キルハイム伯爵が快活に笑う。


「このようなところに居を構えるとは、よきかな。よきかな。職人は偏屈である方が腕がいい」

「は、はあ……」

 

 意味が分からず、気の抜けた声を出してしまう。

 貴族の前で失礼だよな、と思っても後の祭りである。

 一方で当のキルハイム伯爵は愉快愉快とにこやかに両手を広げる。


「そう硬くなるでない。この地は我が領土であるが、管理を行っていない。人の住まぬ土地は税も無ければ官吏もおらぬ」

「そうなんですか。ホッとしました」

「して。我慢できずやって来たのだが、あるか?」

「あるかと申されましても」

 

 何この人……貴族ってみんなこうなのか……。説明がなきゃ分からんだろうに。

 ガイゼル髭を太い指でピンと弾いたキルハイム伯爵が続ける。


「吾輩は珍しい料理に目が無くてな。聞いたぞ。冒険者たちのギルドマスターから、この宿のことを」

「え、えっと。栗蒸しまんじゅうのことでしょうか」

「ほう。聞いたことのない名だな。所望したい。もちろん褒美は取らせよう」

「と言われましても。まだ仕込みもしていませんので……」

「ガハハハ。良い。良いぞ! それでこそ職人である。吾輩たちはお主の準備ができるまで待とう。手伝いが必要ならば、そこらを使うがよい」


 とっとと栗蒸しまんじゅうを作ってお引き取り願おう。

 マリーなんてさっきから猫耳をペタンとさして震えている。

 

 ◇◇◇

 

「感謝いたす。ほう。これが『栗蒸しまんじゅう』か」

「は、はい。他にも作りましたのでどうぞ持って帰ってください」


 騎士様から金貨を三枚も頂いてしまった。30万ゴルダ……もらい過ぎだと伯爵に突き返すわけにもいかないし、もらっておくか。

 このお金で人を雇って改築工事をしようかな。牛を買うのもいいかもしれない。

 

「うまいぞおおおお!」


 動き始めた馬車から伯爵の叫び声が聞こえた。

 ……。

 …………嵐は去った。俺は通常業務に戻ろう。

 

 変なおっさんが来てから、ちょこちょこと冒険者以外の人たちも宿泊に来るようになった。

 ようやく開店したポラリスの店も冒険者たちから修理依頼が入っているようでホクホク顔だ。

 更に彼は一般客向けに木彫りの置物とか燭台といった細工品も店に並べるようになった。

 そして、新たに店を開いてみようかな、という人も出てきたりと廃村は俄かに活気づいてきている。

 

 中心にあるのは我らが民宿「月見草」だ。

 

「いらっしゃいませー」


 マリーの元気のよい声が店内に響く。

 さあて。俺もお客さんを迎えることにしようか。

 

 いったんおしまい。

 ここまでお読みいただきありがとうございます!

 諸事情より文字数制限が、、。

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