030:リッツェルの宿

 そこは門構えも立派な、そう立派な……もしかしてここ、街の中でもでかい方なのでは……?という宿だった。


 2階建ての建物は、街壁のように漆喰を塗った壁に黒い屋根、焦茶の木材でアクセントを入れている。そもそもこの組み合わせは街の中の宿の共通らしい。街全体で統一感を出すため、とのことだ。


 広々としたファサードには、ピシッとした揃いのお仕着せを着た従業員が10人くらい扉の左右にずらりと並んで出迎えてくれた。扉のやや左側には店主らしき人がこれまたお辞儀をしながらたたずんでいる。


「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。」

「うむ」

「どうぞこちらへ」


 予約していたというカルラは慣れた手つきで懐から出した例の紹介状を宿屋の店主らしき人にに渡す。

 うやうやしくその封筒を押し戴いた店主らしき人は、一礼して従業員が開ける大きな扉を先にくぐる。


「お部屋は離れをご用意しております。この者がご案内いたしますので。お荷物などお預かりさせていただき、お部屋に運ばせます」


 店主に合図されたお仕着せを着た女性が1人前にでて、こちらに向かって一礼する。紺地の上着とロングスカートに施された金の縁取りと、その上につけている白いエプロンが優雅に揺れる。


「お荷物をお預かりいたします。どうぞこちらへ」


 訳がわからないまま俺たちは旅のかさばる荷物を渡すと、彼女は用意されていた台車に荷物を丁重に置いていく。

 台車を運ぶのは身体の大きい男性従業員だ。こちらも紺地の上下にボタンや袖口に金色があしらわれている。ギラギラするほどではなく、おさえめに光を反射している。


 入ってきた白を基調としたホールを抜け、手入れされた中庭を横切りながら、建物と庭の奥に隠されていた離れらしき棟に案内される。我々の後ろをついて来ている台車は不思議なほど音がしない。魔法がかかっているのだろうか。

 台車の音を消すために!?高級宿怖い……。




 案内された離れは、こぢんまりした平屋の館だ。家とかじゃない、館……。本館から視線を切るように建物にぐるりと囲まれた小さな庭もある。


「この離れはお客さまのみのご利用ですので、お気兼ねなくお過ごしくださいませ。このまま中の設備をご案内してもよろしいでしょうか?」

「いいぞ」

「では……ご案内いたします、どうぞ」


 入口の扉をを開けると小さなホールになっており、ソファとテーブルが据えられた向こうの窓からは中庭が見える。

 窓に使われているガラスは透明度が高いので、きっとお値段もそこそこするやつだ。中庭には季節の木や花が植えられ、暗い中、ともされた灯りでほんのりと浮かび上がり、幻想的ですらある。


 ホールから右手にのびた廊下から案内される。廊下の左右にひとつずつ扉があるが、本館側の方の扉を開け、従業員さんが中の部屋の説明をしていく。


「こちらは食堂でございます。朝晩のお食事はこちらにご用意させていただいております。お時間は後ほどお申し付けください」


 広めのテーブルには白い布がかけられ、4つの椅子がゆったりした感覚で置かれている。詰めれば倍くらい置けそう。

 くるりと振り向き、廊下の反対側にあった扉を開けて今度は中に入っていく。


「こちらは談話室と、奥に露天風呂をご用意しております。離れにも温泉を引いておりますので、いつでもご入浴いただけます。タオルなどは都度補充させていただきます。もし足りなければいつでもお申し付けくださいませ」


 落ち着いた色調の壁紙に、それに馴染む座り心地の良さそうなソファーセット。かたわらにはこちらも大きな窓から中庭が見える。明るくなったらきっと陽がさんさんと差し込むのだろう。

 その奥には扉があり、脱衣所と洗い場があった。さらに進むと中庭とつながった露天風呂がお湯を湛えていた。

 どうやら掛け流しらしい10人くらい入れそうな風呂は、湯につかりながら中庭を眺める事ができるらしい。中庭の向こうは高い塀で囲われ、外からは見えないようになっている。侵入出来そうな高い木などではなく、低めの植え込みがバランスよく配置されている。


 この離れだけでうちの実家の宿屋より広いのでは……?


「こちらは寝室になっております。お好きなお部屋をお使いください」


 また室内に戻り、今度はホールの反対側の廊下に進む。

 廊下を挟んで左右に3つずつ扉があるが、それぞれ半開きにされているので、中にでかめのベッドが鎮座しているのが覗き見えた。


「お好きな部屋をお選びください。そちらに荷物を運ばせていただきます」


 俺たちが見学している間、ホールで待機していたらしい台車を運んでいた従業員がいつの間にか廊下にいた。


「我はここにする」

「あ……じゃあ、俺ここかな……」

「俺ここで……」

「オレここがいいな」


 やや急いで決めたが、まあ不満があれば後で変更して貰えばいいだけで……不満なんてあるのか……?


「お食事は朝にもお持ちします。夜は……これからお持ちしましょうか?それとも少しおくつろぎになられてからの方がよろしいですか?」


「朝は二の鐘の頃に持ってきておくれ。夜は……どうする?おぬしら」

「……腹は減ってるが、先に汚れを落としたいかな……」

「そうだねえ、結構汚れてるから……」

「……風呂が先だな」

「じゃあ風呂に入ってから呼ぶゆえ、しばし待て」

「承知いたしました。ごゆっくりどうぞ」





 案内されている間、俺たちはずーーーっと口が開いたままだったと思う。






 結局腹も減ってるし、ゆっくりつかるのは後にして急いで身体を洗い、食事を用意してもらった。


 食卓は見たこともないほど豪華で洗練されていた。


 野菜を煮込んだあっさりとしたスープに、前菜として色とりどりの野菜の上に薄い生ハムやチーズなどを乗せたもの、魚料理と肉料理が1種類ずつ、デザートまでついてきた。


 おかわりもございますと言われ、つい1番美味かった前菜をおかわりしてしまった……。出された分だけでもかなりの量だったのに。


 満腹で動けず、しばらくしてからまた風呂につかる。しかもなぜか全員で。


「なあ……これ、ここ……とんでもないんじゃ……?」

「そんなことないぞ、ここは上の下くらいの宿じゃ。庶民向けとしては上じゃが、領主や王侯は見向きもせんぞ」


 こんな、こんな豪華な宿にもいたれりつくせりの対応にも余裕というか、いつも通りなカルラをある意味尊敬するが、比較対象がひどかった。


「俺ら庶民なので……じゅうぶんです……」

「比較対象がおかしいいぃ…………」

「これで庶民向けなのか…………」


 ずぶぶと湯に埋まる俺たちを責められまい。俺たちは初めて高級宿というものを知ったのだった。

 温泉は気持ちよかったです。






 せっかくじゃし3日くらい泊まるぞといったカルラを止めればよかった……まさかここまでのグレードだとは思わなかった……。と朝食を見てまた思った。


 ふかふかとやわらかい白パンに、カチカチではなくどっしりと中身の詰まった黒パン、3種類くらいのハムにチーズ、卵料理、温野菜のサラダ、黄色いもったりとなめらかな甘さのあるスープ。


 朝食としてはというより、普段の食事としても豪勢な料理を食べきり、俺は満足感と共にやや疲労していた。食べ過ぎなのだ。身体を動かしたくなってくる。



━━━金持ちって毎回こんな食事なんだ……太りそうだなあ……。






◇◇◇



━ 幕間の出来事 ━



「あ、宰相の。おはよう。ついでに宿の予約とってくれ。食事が美味くて風呂が広くて手頃な狭さのところが良い。4人分じゃ」

「はい?おはようございます……?お連れ様がいらっしゃるので……?」

「うむ!」



 びっくりしすぎてもう一回寝るところでした、と自室で寝ているところに乱入され叩き起こされた宰相は言ったそうな。

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