第四の湯 ドレーク→リッツェル

025:突然の来訪者

 石造の堅牢な城の廊下に、ふわりと赤が舞い降りる。


 廊下に敷かれた絨毯の上に降り立ったその赤は、勝手知ったるといった風情で歩き出した。


 横幅は人が10人ほど並んでも足りるほどの広さがある廊下には、等間隔で見事な意匠が彫られた石柱が立てられており、明かり取りの窓からは昼下がりの陽光が差し込んでいる。

 石柱の延びる先の天井は高く、ドーム状になっており、普通なら足音が反響しそうな廊下だが、わずかな音も聞こえない。

 差し込む陽光に小さな埃がキラキラと光を反射し、重い静寂を包んだ廊下を彩る。



 それを破るのは、石柱の間にある扉から出てくる、役人の制服を着た人間だ。書類やスクロールを抱え、静まり返った廊下を忙しそうにかつかつと渡っていく。



───堂々と廊下を歩く赤い人影には気づかないまま。



 そして、赤い人影はひときわ凝った意匠の扉の前に立った。

 ふう、と息を吐くとぎぎぎ、と扉が開いていく。




「久しぶりよな」


 赤い影こと、カルラクルルはつかつかと室内に入っていった。


 ここは王城内にある宰相の私室である。ゆったりと取られた広さの室内には、大きな窓を背に、シンプルだが質の良い木を使った机と、革張りの背もたれと肘掛けのついた椅子。そしてそれに座っているこの部屋の主。


 机の前には低めのソファとテーブルが応接用に置かれ、少し離れた奥側に衝立が立てられ、その脇に侍従が1人待機していた。

 衝立の奥には仮眠用のベッドが置かれているが、天蓋付きらしく、衝立の上から少しはみ出た天蓋の意匠が見えている。



 机の前まで歩いて来たカルラクルルに、初めて気づいたとでもいうように、この部屋の主である宰相セオドア・オクセンリュークは読んでいた本から顔を上げた。


「おや……貴方様は。珍しいこともあるものですな。雹が降るのでは?」

「ふん、そのようなもの空の上ですべて溶かしてくれるわ」


 ぱちぱちと何度か目を瞬かせ、カルラクルルに向かって目を細めて微笑む。そうすると、線が細く削ぎ落とされた頬がゆるんで、硬質だった印象の顔が少し柔らかくなる。


 セオドアは先日40歳を超えたところで、宰相としては若い部類に入るのだが、その笑顔は裏のない子供のような微笑みだった。

 実際、目の前にたたずむこの燃える赤カルラクルルに比べれば、幼い子供のようなものだ。


「ははは、城は燃やさないでくださいよ。で、どうされました?何か御用があったのでしょう?」


 しかし人間としては齢を重ねた者として、静かな侵入者に要件を問いただす。

 カルラクルルがこの城に寄り付かなくなってしばらく経つ。前に訪ねて来たのはいつだったか。10年はいかないが、ずいぶん前だ。

 何事かあったのだろうかと、セオドアは少し考えるが、目の前の存在の考えを推し図ろうとしても無駄なのは分かっているので、素直に聞いてみることにした。


「うむ、ここの隣の隣に温泉街があろう?豪勢なやつ。あそこに泊まろうと思ってな。おぬし顔がきくじゃろう?紹介状を書け」


 案の定予想外の発言が飛び出した。セオドアは意表をつかれて、少しびっくりした顔になる。

 いつものように自信満々の表情で早くしろとふんぞりかえるカルラクルルに、セオドアはなんとか体制を持ち直す。


「ええ……?あそこのリゾート宿ですか?なんでまた……まあいいですけど。ああ、紋章入りのセットを頼む」


 温泉街に?泊まる?このひとが???


 一体何の趣向だろうと疑問符しか浮かばないが、ひとまず依頼されたことを速やかにすませることが肝心なので、部屋の隅でピシリと固まっていた侍従に言いつける。

 全身を一度震わせて今目覚めたかのように侍従が目を見開き、主の言いつけに、急いで部屋に据え付けられた棚から目的のものを取り出し始めた。


 セオドアとカルラクルルが無言のまましばし待っていると、机の上に、宰相の家と宰相個人の紋章が並べて印刷された封筒と便箋のセットが静かに置かれる。


 机の引き出しからインク壺とペンを取り出したセオドアは、さらさらと慣れた風に書類を書き始めた。


「何日くらい滞在されるのですか?」

「ん?特には決めておらん」

「さようですか。あそこは湯もいいが、食事もなかなかいいのですよ。おすすめの食事どころをいくつかメモをつけておきますので、よかったら寄ってみてください」

「ふうん。まあ気が向いたらの。あ、そうじゃこれ両替してくれ」


 差し出されたのは古金貨と呼ばれる古代の金だった。この貨幣は金の純度が恐ろしく高く、かつ1000年以上前に作られたといわれているほどに古く、現在の技術ではとても作り出せない代物だ。単純な金の価値に加えて歴史的技術的価値に値段が跳ね上がる。

 こんなものをさらりと出された日には頭もクラクラするというものだ。


「……これの代金は銀行に行って引き出さないと、手持ちではとても足りませんよ……。リッツェルの街に泊まる代金くらいでしたらお渡しできますが」


 そっと古金貨を押し返し、私でも対応できそうな金額を提示する。


「む?これそんなに高かったかの」

「高いですねえ……金の純度もですし、歴史的にも価値が高いので……城の宝物庫にもあまり無いのですよ、これ」

「む、そうか……じゃあこれかの。手持ちでは一番小さいやつだぞ」


 そしてさらに出されたのがルビーのような小指の爪ほどの小粒の紅い石だった。


「……高純度の炎魔石…………」


 一応鑑定魔法を使い、その結果に思わず片手で顔を覆ってしまった。

 これも王都にそこそこの家がひとつ建つくらいの価値である。


「どうじゃ?これならいけるじゃろ」

「いけません、というかもうこれひとつで1ヶ月くらいリッツェル豪遊できますよ」

「ええ〜〜〜どうしろというんじゃ」

「それはこっちのセリフです。……とりあえず炎魔石は買い取らせていただきたいので、しばしお待ちを。さすがに持ち歩きできない金額なのでどこかに口座を作らせます。少しかかりますのでお茶などどうですか?」


 純度の高い炎の魔石は正直冬になる前のこの時期いくらあっても足りないので、この機会を逃したくない。しかしその代金を用意するのに銀行を呼ばねばならない。すぐに呼ぶが、王城のこの部屋まで少し時間がかかるだろう。

 この待ち時間をこの方に受け入れてもらえるかは賭けだが、とりあえず打診してみる価値はある。


「む、じゃあ紅い茶をくれ。あ、口座を作るなら冒険者ギルドにせよ。そちらのほうが便利じゃ」

「はいはい、承知しました。……この書類を銀行とギルドに。至急と伝えてくれ」


 色良い返事にホッとしながら、侍従を呼び、即席で作った書類を渡す。それと紅茶を淹れるよう指示し、引き続き紹介状を書く。


「失礼いたします」


 侍従はすぐに書類を廊下の衛兵の1人に渡して、紅茶を淹れて戻って来た。

 見事な水色の紅茶を繊細なカップに注いでいく。かの方はそれをワクワクした様子で見つめていた。どうやら興味を引いたらしい。よかったよかった。


 私の方も紹介状を書き終えたので、一応かの方に確認してもらい、給仕された紅茶を飲む。


「うむ、よかろう。ところでこの菓子はなんじゃ?」

「これですか?干した木の実を数種、香り高い酒に漬けたものです。お酒はお好きでしたよね?紅茶にも合うのですよ、コレ」

「ほうほう、……ふむ、美味いな。これはどこで手に入るのじゃ」


 菓子用のフォークを器用に使い、菓子を食べられる。こんなところで好物を知れるとは思わなかったが、この方は長く生きているのに本当に新しいものへの反応が良い。


「貴族街の店に行けば売っておりますので、書いておきましょう。すぐにご入用でしたら予備がありますのでお渡ししますよ」

「む、じゃあ予備をくれ。店の場所も書き添えるように」

「承知しました。……甘いものも召し上がられるんですね。それなら王都の甘味どころのオススメも追加しておきましょう」


 甘味どころの説明をしていると、バタバタと扉の向こうに足音が鳴り響き、王都で一番大きい銀行の副頭取と冒険者ギルドの副マスターが姿を見せた。かの方は足音が聞こえた時点で気配を消している。


 副頭取と副マスターに、銀行口座の開設と冒険者ギルドの引き出し窓口の設定をさせ、炎魔石のための大金を移動させる。書類にある程度は指示しておいたので、四半刻もかからず手続きは終了し、炎魔石は銀行の貸金庫へ仕舞わせる。

 2人とも大金の移動に若干疑問を抱いていたようだが、魔石の純度の高さに納得していた。なかなかこのレベルのものは出てこない。


 来客が去り、再び赤の気配が戻ってくる。優雅におかわりの紅茶を飲んでいたが、副頭取と副マスターはとうとう最後まで存在に気づかなかった。


「お待たせいたしました。書類への追加もないようですし、このまま封をしますね」

「うむ、大儀であった。ではな」


 書き終えた紹介状を封蝋でとめて渡すと、カルラクルルは素直に受け取り颯爽と身を翻して部屋を出ていった。



「あいかわらず、嵐のようなひとですねえ……。ま、私のことを忘れないでいてくれただけで御の字ですが」


 思っていたよりも収穫の多い来訪だった。かの方は謎に満ちているが、けして機嫌を損ねてはいけない方なのだ。好むものを知れたのは大変な僥倖である。




 セオドアの家系には、かつて竜が愛した者がいたという。それが誰かは、家系図から削られたまま、もう辿ることはできない。

 だが、竜には同じ血が混ざり流れていることがわかるらしい。竜は情が深く、一度愛した者は死ぬまで愛すといわれている。


 友が愛した人の子を見に来たと、幼きセオドアの前にそう言って現れたこのひとは、少しだけさみしい目をしてセオドアを見たのだ。



 その綺麗な紅と碧の目の輝きは、それから見たどんな宝石も敵わなかった。


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