022:黒い湯


「うむ、その節はうちの所員がお世話になった。助けていただいて感謝する。あいつは研究に熱心なあまり周りが見えなくなることが多くてな。よくけつまずくし、一緒に歩いていたのにはぐれたりするんだ」

「わかります」

「一応、所内では優秀な方なんだけどね……」

「途中で振り返ることをしないんだよなあ」


  焚き火をみんなで囲んでしばし歓談中です。


 トレッサの街の研究所の所長こと、ニコラ・シュニットさん(15)と研究所の所員さんたち数名は、薬草の採取に加え、生えている箇所のチェックと生態の確認で定期的に森に入っているらしい。

 今日も日帰りで来れる範囲の見回りで来ているという。


 あれ?ということはここから街は結構近いのか。


 ちなみにマルクルは途中で1人はぐれてしまうので留守番だそうだ。正解だと思う。


「俺たちは温泉探してまして……あの向こうにある黒い水溜まりがそうじゃないかなと思ったんですけど、確証が持てないんで、街に戻ってもうちょい調べようかと」


 各自、お湯の入ったコップを抱えて啜っている。小雨が降ったし、川のそばは風が吹き抜けるので結構冷えるんだよな。


「ああ……あの黒いのか。確かにお湯だったから温泉だろうな」

「!!」


  ニコラ所長があっさりと!!

 えっ、俺たちのさっきの葛藤は一体……。


「持ち帰って研究所で成分を調べたことがあるが、どうもあの黒いのは植物が長年蓄積されてできたもののようだ。長年といっても100年やそこらじゃない、もっともっとだ」


 ほうほう。あの黒いものの正体までわかっているのか……すごいなニコラ所長天才なのでは?


「世界には、燃える黒い油とか出るところがあるんだが、そういうのと同じような感じでできたようだ。成分が似てるんだ」

「まあ、入っても害はない……と思うけど。山の動物はたまに入ってるのを見かけるかな?」

「ああ、そうだな。確か人体に有害な刺激のある成分は入ってなかったと思う」


 所長と所員さんがどんどこ情報をくれる。

 わあ〜!最初っから研究所の人に聞いときゃよかった!とは思うがそれはまあ結果論であって。

 ひとまず、黒い湯の正体は温泉だということだけはわかった。ならばやることはひとつしかあるまい。





「では……失礼してちょっと入らさせていただきます」


 ひととおり話を聞いた俺は、早速足湯だけでも浸かってみようと思い、黒い湯のそばに移動した。


 ここまできて、結構な時間を探索に費やしてちょっとキレそうになっていたほどの温泉だ。入らないという選択肢はない。だが、さすがにこの大勢の前で裸になって入るわけにもいかないので、とりあえず足だけ。


 革のブーツを脱ぎ、靴下を脱いでズボンの裾を膝上まで捲り上げる。


「…………」


 指先で温度を確かめ、黒い水面に少しためらった後、じゃぼん、と両足をつっこんだ。


「…………思ったより適温」

「まじで」

「わ〜本当に入ってる!!」

「えっほんとに入ったのか」

「マルクルに負けないくらいの恐れ知らず!!」


 ちょっと最後の!俺はちゃんといろんな情報を加味した上で飛び込んだんですからね!足だけだけど!!


「俺も足だけつけてみるか……」

「まあ、ここまで来たからにはね〜」


 付き合いのいい俺の幼馴染2人も靴を脱いで足をつける。

 おまえら、知ってたけどいいやつだな!?


「あ、結構きもちいい〜〜」

「ちゃんとあったまるな。色さえ除けばいいお湯だ」


 すごいな君たち!と言われながらつかっていると、身体がほかほかしてきたので早めにあがる。

 川の水で一応足を洗って、よく拭いて靴を履き直す。うう、やっぱりちゃんと洗った靴下履きてええええ!


「足浸けてみた感じは普通の温泉に近い感じですよこれ」

「いや〜、人が入ってるの初めて見たよ……何かに効くのかね、これ」

「どうだろう?ピリピリもしないし、あったまるのがメインかなあ」

「疲労回復には良さそうだが」


 わいわいと温泉に浸かった感想などを言い合っていると、さすがに日が暮れてきたので、俺たち3人と研究所の面々は街に戻ることに。

 急げば七の鐘が鳴る前に帰れるだろうということで、やや早歩きで街への帰路を急ぐ。


 俺たちのいたところは、本当に街に近い場所だったらしく日が暮れてすぐ街壁が見える場所まで辿り着いた。


 ここの森は木々や岩が入り組んでいて、向こうに見えてるのに迂回しなければならなかったりして遠回りしているうちにどんどん目的地から離れていってしまうのだが、そこは地元の人らしく最短ルートを辿っていけた。

 みんなでゾロゾロ街道を歩きがてら、世間話を振ってみる。


「ニコラ所長はここにはもう長いんですか?」

「いや、そうでもない。私が所長になったのは去年だ。大学を飛び級で13歳で卒業して研究者になり、15歳でここの所長になった。まあ、コネも多少ある。というかこの研究所は私の持ち出し資金で作ったのだ。研究で一山当てたからな」

「えっすご」


 とんでもないのが出てきた。

 思わず漏れたみたいなイームルの呟きに俺もうなずく。頭良さそうだと思ったけど、ほんとに頭が良かった!


「親御さんもよく許可しましたね……」

「まあそれはな。両親は元々私の教育に熱心だったし、商会を経営したりもしてるのでむしろ後押しがすごかったというか。研究所の所長としてここに赴任すると言ったときは泣かれたが」

「泣かれた」

「……娘に甘い親なのだ」

「所長のご両親、所長のこと大好きですもんねえ……」


 ニコラ所長が照れたような苦虫を噛み潰したような複雑な表情になる。苦笑しながら所員もうなずいているので、なかなに察せられる……。


「定期的に王都からこの街まで会いにいらっしゃいますよね」

「まあ、回数が絞られるから……距離があるのは大事だ。これ以上過保護になる前に離れられて、ある意味良かったと思っている」


 所長は大変自立していらっしゃる……。

 年下の少女のしっかりした面に驚かされながら、妹のクララもそういやしっかりしてたなあ……とぼんやり感慨に耽っているうちに街に着いた。




「ではまたな」

「はい、またギルドに薬草売りにいってくるので確認しといてください」

「おっありがとう〜!ゆっくり休めよ!」


 ニコラ所長と研究所の愉快な所員たちと別れたあとは、今夜の宿を探しに行くことにしていた俺たちである。

 といっても、以前泊まったことのある宿の近くに、店主の兄弟がやってるという風呂付きの宿があると所員さんに教えてもらったのでそこに行くのだ。

 

 所員さんたちを見送って動こうとした途端、俺の視界がぼやけた。



「あ」




 まっしろだ。





「わーっ!大丈夫かラッシュ!?」


 ぐらり、と頭が揺れて意識が途切れる。


 一瞬頭が真っ白になった後ぼんやり意識が浮上してきたが、頭がくらくらして足に力が入らず起き上がれない。なんだこれ。

 

 ぐにょりと身体中の力が抜けた俺をイームルとクレッグが左右から支えてくれている。


「身体熱っっ!?ちょっと早く宿とろう!!」

「なんだ!?大丈夫か!?」

「どうした!?」


 歩いて行きかけた所員さんたちが慌てて戻ってきてくれたらしく、人数が増えて騒がしくなった声に俺は再び意識を失った。


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