008:美



 なんだろう、綺麗とか美しいとか、外見の整い方もそうなんだが、オーラがすごい。

 美のオーラをビジバシ感じる。美のオーラってなんだ。


 光の加減によって翠色がきらめく不思議な赤毛だ。その艶やかな長髪を片側にゆるりと流し、ときおり不揃いに切られた前髪から続く髪が、つるりとした卵型の顔を縁取っている。

 意志の強そうな細めの眉、長いまつ毛と明るい透明度の緑と赤のバイカラーの瞳、そこだけ色づいた薄い上品なくちびる、きめの細やかな白い肌、整った爪と手指はすらりとした四肢に繋がっている。



───手指が綺麗すぎるから、労働者ではなさそうだが冒険者でもないのか?



 身体の線に沿った長めのしっかりした生地の上着を腰のところのベルトで止めているが、その胸にほとんど膨らみはない。かといって男性のようなゴツゴツした骨格でもない。しかし女性的かというには雰囲気が硬質だ。幼いのかと思えば少年というには大人びた目をしている。


 宿屋の仕事や旅でそれなりの人を見てきたはずだが、ここまで性別が見た目で判別できない人は初めてだ。


 性別が分からなくても、しょせん通りすがりの関係だ。スルーしても構わない。

 だが、雑談をするにも見た目の情報は大事だから、失礼にならない程度には観察している。

 うっかり余計な恨みを買わないように、何がその人にとっての触ってほしくないポイントかを探らなければならない。


 もっとも、目の前の人物については、じっと見ていると美しすぎてどちらでもいいとなってくる。



 もうもうと湯気をあげる蒸し器らしきでかい箱の横の石に腰掛けて、殻をむいた茹で卵らしきものをかじっている。ちらりと見える真珠のような歯ですら美しい。


───なんだかもう感動すら覚えて、俺は思わず膝をついて拝みそうになってしまった。


 こちらをちらりと見る切れ長の目が動いたのを見て、正気に戻った。 

 あぶないあぶない。不審者丸出しだった。


 ……俺はあんまり他人に言ったことがないのだが、綺麗なもの美しいものがことのほか好きなのだ。

 かといって真贋鑑定やら目利きができるほどじゃない。俺の主観で綺麗だなと思うくらいのものだ。


 だがしかしこのひとは、さすがに俺以外が見ても美しいだろう。

 そう思って2人を見るが、俺ほど固まっている様子はなく、蒸し器の方に近づいている。


「なんじゃ、おぬしらも食うか?温泉卵だそうじゃ」

「いいですね、いただこう」


 案外気さくに話しかけられて、クレッグが応じている。

 あ、気づかなかったがそばに看板があるし。やっぱり温泉の熱を利用した蒸し器らしい。


「金はそこに入れろと書いてある」

「なるほど、善意によるシステムだな……うお、結構いかつい」


 ちゃりん、と銅貨が半ば地面に埋め込まれている頑丈な金属製の箱に投げられた音がする。

 流石にこれを掘り出して持っていくのは大変だろう。鍵も地中に埋もれてるっぽい。

 あと、わかりやすく警報を出しそうな魔道具が付けられている。


 善意を信じるが持ち逃げは許さないという気持ちがわかりやすく表現されており、なかなかに生ぬるい目になってしまう。


「塩、塩♪」


 イームルはいそいそとカバンの中から塩を取り出している。

 あっいいな、俺も借りよう。俺のはちょっと出すの面倒。


「これ、持ち込み可能なのか。昨日買った芋があるから蒸すか?」

「おっいいね、やろうやろう」

「いやまてまてさすがに芋を蒸す時間はないだろう。先に街に入らないか」


 実はもう昼もとっくに過ぎた頃合なのだ。城壁はもうほぼ目の前だが、宿も決めないといけないし日が暮れる前に動いておかんといろいろ面倒だ。

 残念そうにしている2人には、どうせしばらくいるんだし、またくればいいだろうとなだめる。


 すっかり食欲に傾いていた2人を説得しているうちに、美人は姿を消していた。

 街道の別の街に行ったのかな。

 俺たちが歩いてきたほうのカーブしている街道を見渡したが、姿は見えなかった。


「いや〜しかしいいものを見た……寿命が伸びたわ」


 なんのことだ?という顔で2人が見てくるのも気にせず、目に焼き付いた美を反芻するのに忙しくて、ずっと遠くから注がれる視線にまったく気づかなかった。



◇◇◇



「しっかし身体に馴染んだ仕事って動きやすいな〜」


 お湯の供給を止め、すっからかんになった浴槽をデッキブラシでゴシゴシ掃除し、調整しながらお湯で流していく。

 ちょこちょことぬめっていた箇所の水垢もきれいになり、乾いてると思った床で滑るなんてことも減るだろう。


 この温泉宿はなんと大風呂が2つあり、女湯と男湯で分けているらしい。

 城壁街で見た蒸し器を見ても、源泉に近くて湯の温度が高く、特に沸かす必要もないので、基本掛け流しだ。

 掛け流しなので、掃除で汚れを流すのにも使えるので大変便利である。

 ただ、湯の花が結構こびりついたりしてるので、湯口は特にそういうのもまめにとらないといけないらしい。


「掛け流しってこんな感じなんだなあ〜」


 実家の宿屋は貯めたお湯を定期的に替えるタイプの温泉だったので、こういう違いを知れるのはちょっと楽しい。

 久々の宿屋稼業に充実感を覚えながら、掃除を終えた。




「女将さん、終わりました〜」

「あら、ラッシュさん、ありがとね〜。おやつあるからちょっと休憩しなさいな」

「ありがとうございます!いただきます!」


 まかない用の台所に入ると、お茶とおやつが用意されていた。

 女将さんにお礼を言い、おやつをいただく。蒸気で蒸したほんのり甘い蒸しパンの中に、こっくり甘いジャムが入っている。


「うま……」


 疲れた体に染み渡る……。なんだろうこれ、なんのジャムだ?


「ふふふ、それはね甘芋を砂糖とバターで煮たやつよ。甘芋だけでも結構甘いんだけどね」

「甘芋!昨日市場で見ました……えー、あれ野菜だと思ってました……こんなに甘くなるんですねえ」


 見た目は濃いめの皮の色をしたじゃがいもって感じだったが、その名の通り甘いのか。

 びっくりしながらもぐもぐしている俺に笑いながら、女将さんがお茶のおかわりをくれる。


「この辺でもよく育つからねえ、あの芋。いろんな料理になってるよ。屋台にもあるから行ってみるといいわよ」

「連れ誘って行ってみます!は〜美味しかった」


 お茶を飲み干して、一息つく。


「そういやお友達と一緒に旅をしてるんだっけ?残りの2人はどうしてるの?」

「ああ、あいつらは日中は狩りに行ってます。2人は武器が使えるんで半日くらいあれば結構狩ってくるんですけど、俺は狩りは罠を仕掛けるほうなんで、時間がかかるからこっちなんですよ」


 そう、街に入ってまず宿を確保し、冒険者ギルドに3人で行ったのだが、ここらの狩場は罠で取れるような獲物を狙う獣が結構いるらしく、そちらをメインで狩ってほしいと言われたのだ。

 そうなると、武器を使える方がいいので、剣を使えるクレッグと弓を使えるイームルに任せた。


 まあ、その間遊んでるのもなんなんで、街の商業ギルドで募集してた短期バイトを見ていたら、温泉宿の清掃があったのでそっちに申し込んだわけだ。


「ああ、去年は豊作で山も実りも良かったもんだから、小さいのが増えて、それを食べる肉食の獣も増えたらしいからねえ。減らし過ぎてもあれだけど、増えすぎるのもなんだから狩ってくれるのはありがたいよ」

「去年は豊作だったんですか。いいですねえ」

「そうなんだよ、しばらく備える用の食料もちゃんと確保できたし、今年もそれなりにいいといいんだけど」


 なるほど、なら市場は品が多いかな?やっぱり明日はちゃんと回ろう。掘り出し物がありそうだ。


「よーし、明日市場で色々探します」

「うんうん、いいと思うわ」

「そしたら女将さん、もう一個の方も掃除してきますね!」

「おねがいね〜」


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