第二十二話 将の中の将、武田信繁

意味のない殺し合いを終わらせるため、上杉謙信は自ら陣頭に立つことを決めた。


「将たる者は……

常に陣頭に立って、おのれの命を危険にさらさねばなりません」

武田信玄の弟・信繁のぶしげが言った通りである。


兄は、弟の言っていることが不思議でならない。

「何を馬鹿な!

兵たちの代わりなど、いくらでもいる。

銭[お金]を渡せば簡単に集まる連中であろう。

一方のそなたは……

決して銭では買えない、我が武田にとって欠かせぬ存在なのじゃ!

『価値』がまるで違うではないか」


「兄上。

?」


「何っ!?」

「前線で命を危険にさらして戦っている兵たちも、我らと同じ『人』です。

そして。

国を守るために……

我らが始末してきた大勢の者たちも、我らと同じ『人』であった」


「……」

「それがしは……

これ以上、安全な場所にいることはできません」


「そなたの申す通りだとしても。

そなたが陣頭に立つことなど、わしは絶対に許さん!

人の価値に優劣はないことが『真理』だとしても、わしにとっては違うからじゃ」


「……」

「弟よ、これは命令ぞ。

良いな?」


「恐れながら。

兄上の命令といえども、こればかりは聞けません。

御免ごめん!」


信繁は、初めて命令違反を犯した。

馬にまたがると前線へと一気に駆けて行く。


「待て、待たんか!

誰か!

弟を連れ戻せ!

絶対に死なせるな!」


本陣の兵たちが、慌てて信繁を追い掛けて行く。


 ◇


武田軍中央に大きな隙間を作るため……

犠牲をかえりみずに次々と新手を送り込んでくる上杉軍。

さすがの武田軍もこらえきれず、中央にできた隙間は徐々に大きくなっていった。


中央突破の好機が到来したことを、武将としての本能で悟った上杉謙信。

馬にまたがると大音響で叫び始めた。


「皆の者!

我らはこれより、乾坤一擲けんこんいってきの突撃を仕掛けて武田軍中央を突破する!

わしはもう……

そちたちばかりを危険な場所に置いたりはしない。

わし自ら陣頭に立っておのれの命も危険にさらす!

全ては、この無意味な殺し合いを終わらせるためなのだ!

命を惜しむな、名こそ惜しめ!

わしに続けぇっ!」


陣頭に立った謙信を先頭に、上杉軍の騎馬隊が突撃を開始した。

武田軍中央にできた大きな隙間へと入っていく。


この突撃は……

非常に『危険』な賭けでもあった。


一刻も早く無秩序な乱戦を終わらせたい謙信は、序盤から危険な賭けに打って出たのだ!


 ◇


一方の武田軍中央。


「来るか、謙信!

身の安全をかえりみずに陣頭に立って乾坤一擲けんこんいってきの突撃を仕掛けてくるとは見事……

まさに男の中の男よ。

いざ勝負!」


そして信繁は、付いてきた兵たちに向かってこう叫ぶ。

「今までわしと共に戦ってきた兵たちよ!

わしも……

そちたちと同じ人だ!

わしは、そちたちばかりを危険な場所に置いたりはしない。

わし自ら陣頭に立っておのれの命も危険にさらそうぞ!」


おう

おおー!

おおーっ!」

信繁隊の兵士たちが、あるじの声に応える。


「皆の者!

よく聞いてくれ!

謙信に中央を突破されれば、全ての戦線が崩壊して我らの敗北が決まるだろう。

敗北が決まれば……

敵の追撃を受け、そちたちも含めてもっと大勢の兵が死ぬ。

そうなっても良いのか?

国元で帰りを待っている、そちたちの家族はどうなる?

我らは絶対に、この中央を守り抜いて……

家族の元へ帰るのだ!

わしに続けぇっ!」


武田信繁と上杉謙信。

まさに男の中の男……

そして、『将の中の将』であった。


 ◇


突撃を敢行かんこうしている謙信は、一人の武将に目を留める。


「劣勢にも関わらず陣頭に立ち続けるあの男は……

一体、誰だ?」


「武田典厩てんきゅう信繁のぶしげ!」

「信繁だと?

信玄の弟にして、武田の柱石ちゅうせきではないか。

武田にとって絶対に失ってはならない男が、なぜ命を危険にさらす?

まさか!

あの男……

死に急いでいるのか?

そうか。

みにくい世に生き、醜い者たちに囲まれ、醜い振る舞いを犯さざるを得なかったことを悔やむ者であったか。

皆の者!

あの者に絶対に手を出してはならんぞ!

!」


謙信は槍を構えた。

ただ真っ直ぐ、信繁へと向かって駆けた。


 ◇


信繁隊の奮戦によって勢いをがれた上杉軍は……

信玄の長男・義信の率いる部隊の奮戦もあって、武田軍の中央を突破できなくなってしまう。


そして。

武田軍の待ちに待った『援軍』が近付いて来た。


「謙信様!

高坂昌信こうさかまさのぶ真田幸隆さなだゆきたからの率いる武田軍別動隊が凄まじい早さで近付いております!」


「ここが潮時しおどきか。

突撃を止めよ!

越後国えちごのくにへと撤退するぞ!」


「武田信繁よ。

わしの狙いを見破り、命懸いのちがけで中央突破を阻止するとは……

見事だ。

そなたとは敵ではなく、友として出会いたかったぞ。

これ程に無念なことはない!」

全軍の撤退を見届けつつ、謙信はこうつぶやいたという。


上杉軍の撤退と同じ頃。

武田軍全軍に信繁の死が知らされた。


「弟よ……

わしを置いて、なぜった?」

兄は、届いた亡骸のかたわらで何時間も泣き続けた。


 ◇


信繁の死は……

あの真田家にも大きな影響を及ぼした。


真田幸隆さなだゆきたかの三男・源五郎げんごろう[後の真田昌幸さなだまさゆき]に次男が生まれると、幸隆はこう命じる。

「『信繁のぶしげ』と名付けよ。

この子がいつか……

あの信繁様のような優れた武将に成長することを願うのじゃ」


祖父の幸隆、そして父の昌幸の願いを込めてこの世に生を受けた真田信繁。

あるじへの忠義を最後まで貫いて大坂城おおさかじょうの戦いで奮戦し、徳川家康をあと一歩まで追い詰め、日ノ本ひのもとで一番の武将と敵からも称賛された、あの『真田幸村さなだゆきむら』の本名である。


信繁こと幸村の人柄は……

温和で辛抱強く、謙虚で物静かであった。

大勢の人間がその人柄に惚れ込んでこう言った。

と。


ちなみに幸村の父・昌幸の名の『昌』は……

幸隆が友と見込んだ高坂昌信こうさかまさのぶから一字をもらったものだ。


歴史に名前を残す優れた人物には、『』が必ず存在する。


 ◇


さて。


第四次だいよじ川中島合戦かわなかじまかっせんは……

結果的には意味のない殺し合いで、ただの『消耗戦』であった。


武田軍も、上杉軍も、おびただしい戦死者を出した。

両軍に強い厭戦気分えんせんきぶんただよう。


「武田と直接ぶつかるのは止めよう」

「上杉と直接ぶつかるのは止めよう」

互いに、こう言い出し始めた。


武田と上杉が直接ぶつかることを回避するため……

双方とも『調整役』を設けることになった。

武田側は高坂昌信こうさかまさのぶ、上杉側は直江景綱なおえかげつな


調調

一番厄介なのは他人よりも『身内』なのだから。


昌信と景綱は特に身内との調整で優れた手腕を発揮し、争いの火種を徹底的に潰して回る。

武田と上杉が直接ぶつかることは二度となかった。


 ◇


第四次川中島合戦の1年前。

1560年のこと。


ある歴史的な戦いが、尾張国おわりのくに[現在の愛知県]で起こっていた。

駿河国するがのくに遠江国とおとうみのくに[合わせて現在の静岡県]の大名・今川義元いまがわよしもとが大軍で尾張国へと侵攻したものの……

何と少数の織田軍に敗北し、しかも義元よしもと本人の首まで取られてしまった『桶狭間の戦い』である。


かつては武田家にとって深刻な脅威でもあった今川家は……

義元という優れた当主を失ったことで、勢いが急激におとろえていく。


 ◇


武器商人が、信玄に呼び出されている。


「前田屋殿。

弟の葬儀では世話になったな」


「わざわざご丁寧に、有難うございます。

多くのお武家様と接してきましたが……

信繁様ほど、人柄に優れた方を見たことがありません。

その名前は他家にも及んでいたようですな。

今川家や北条家だけでなく、敵方の上杉家からも弔問ちょうもんの方が訪れたとか」


「うむ。

謙信は、弟の死を随分といたんでいたようじゃ」


まことに惜しい方でございましたな」

「悲しんでばかりもいられまい。

ところで……

その後のあきないはどうじゃ?

上杉家とのいくさで、かなり儲けたであろう?」


「有難いことにございます。

我らばかり儲けるのも心が痛むゆえ、お貸しした銭[お金]の利息を下げさせて頂きました」


「それはかたじけない。

ところで……

そちに、一つ頼みがあってな……」


信玄はとても言いにくいようだ。

その気持ちを知ってか知らずか、武器商人はこう返した。


「信玄様。

?」


「察しておったのか!」



【次話予告 第二十三話 次の侵略】

武田信玄は、莫大なお金が必要な状況に追い込まれていました。

本人が望む望まないに関わらず、武器商人への依存度は深まっていくのです。

一度入ったら二度と這い上がれない底なし沼に嵌まったかのように。

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