第七話 独裁者と侵略戦争

武田晴信は、甲斐国かいのくに[現在の山梨県]の『独裁者』を目指している。


ただただ純粋に国をうれう思いからであった。

隣国の今川と北条の両家が密かに手を組み、甲斐国の弱体化を図るだけでなく、すきあらばきばいて襲い掛かって来るからだ。


既に今川家は遠江国とおとうみのくに[現在の静岡県西部]を、北条家は武蔵国むさしのくに[現在の東京都、埼玉県]を侵略し、我が物としている。

甲斐国だけが無事で済む保障などない。

秩序が崩壊した戦国乱世なのだから、むしろ侵略されて『当然』だろう。


国を守るためには、国を一つにしなければならない。

晴信が独裁者として君臨し、全ての人間を服従させる。

これで国は『一つになる』。


一つになった相手が厄介極やっかいきわまりない存在だと知っているからである。

あの百獣の王・ライオンでさえ、群れから外れた獲物しか襲わない。


晴信が独裁者への階段を駆け上がるのを機敏きびんに察した、今川家の重臣・太原雪斎たいげんせっさいは……

こう強く主張するようになった。


「武田家を敵としてはならない。

むしろ強固な同盟を結んで、味方とすべきであろう」


雪斎せっさいの実力に一目置く北条家も、この主張に賛同する。

こうして今川家、北条家、武田家の三国さんごく同盟が締結され、甲斐国かいのくにに『平和』な日々が訪れた。


平和を得る『手段』は二つに一つしかない。


 ◇


歴史上の独裁者は……

どうやって独裁者への階段を駆け上がることが出来たのだろうか?


日本史でも、世界史でも、駆け上がった人間に共通することが一つある。

大衆たいしゅうからの絶大な人気を誇る『インフルエンサー[強い影響力を持つ人間という意味]』であったことだ。


人は皆、好きな相手の敵を嫌悪けんおする傾向を持つ。

強い影響力を持つことさえできれば……

自分にとって邪魔な人間を、大衆が嫌悪する対象へと誘導できる。

こうして邪魔な人間を全て『始末』した上で、支持者だけで周りを固めておく。


「独裁者は、大衆自身の手によって誕生する」

こう言われる所以ゆえんだろう。


 ◇


では……

どうすれば強い影響力を持つインフルエンサーになれるのだろうか?


その方法は至って単純だ。

大衆たいしゅうの利益を『徹底的』に追求すること、この一点である。


働く場を提供するか、あるいはお金をバラまくことで大衆の生活を徹底的に守る。

犯罪者を誰一人見逃さず、犯罪を徹底的に根絶ねだやしにする。

不正な行為で利益を得た者の逃げどくを許さず、不公平を徹底的にみ嫌うなど……


『生活』を守られ、『正義』と『公平』を貫く姿勢に感動した人々は間違いなくこう熱狂するに違いない。

「彼こそ真のリーダーだ!」

と。


こうして一人の独裁者が誕生するのである。


 ◇


独裁者が国を治める政治形態を、『専制主義せんせいしゅぎ』と呼ぶ。


20世紀後半。

第二次世界大戦で大きな痛手を受けた世界は、大戦を始めた独裁者を憎悪した。

専制主義を悪の象徴と見なした。


一方で……

専制主義のような上下関係がなく、自由のある『民主主義みんしゅしゅぎ』を善の象徴と見なした。


「もっと働いてお金を稼ぎ、もっと豊かな生活を送ろう!

お金こそがわたしたちを幸せにしてくれる!」


人間の欲を源泉げんせんとする『資本主義』と一緒になった民主主義は、その力を遺憾いかんなく発揮した。


しかし。

時代が経つにつれ、この考え方に疑問を感じる人間が増えるようになった。


「お金は……

『本当』に、わたしたちを幸せにしてくれているのか?」

と。


 ◇


ふと気付けば。


地球の浄化能力すら度外視して大量の廃棄物はいきぶつをバラ撒き、公害問題に加えて気候変動まで引き起こした。

地球は温暖化を超えて沸騰化し、今や『悲鳴』を上げている。


「お金を稼ぐためなら、どんなに汚い手段を使っても構わない」

相手の立場になって考えるどころか、こう言って相手を利用し、あやつり、だまし、あざむく人間は増殖ぞうしょくする一方だ。


加えて。

何の根拠もなくおごり高ぶり、SNSの猿真似さるまねのように自分の権利ばかりを主張するモンスターも増えている。


最も大きな問題は……

富んだ人と貧しい人の『格差』を広げたことだろうか。


食べ物を平然と捨てる人間がいる一方、食べ物がなくて餓死する人間もいる。

家族を養うために肉体労働に励む少年たちがいて、お金のために結婚する少女たちがいる。


流行病の際には経済対策として莫大なお金を金融市場へと送り込んだが、惨憺さんたんたる結果に終わった。

株式や証券の価値ばかりが上がり、富んだ人間をさらに富ませただけであった。

一方でお金の量を一気に増やしたツケとしてお金の価値が下がり、物価高騰に歯止めが掛からず、貧しい人は日々の生活すらままならない。

社会への憎悪をつのらせる人間を増やして『治安』まで悪化する有様だ。


そして。

大勢の人間が、自由を『面倒』だと感じるようになった。

自由に選べるが、結果は全て自分が責任を負わねばならない。

自己責任から逃れる自由は一切ない。


「強い影響力を持つ人間に付いて行く方が一番『楽』ではないか」

こうして……


今の潮流ちょうりゅうをよく知る人間は、インフルエンサーをプロパガンダ[思想を誘導すること]に利用している。

結果として民主主義の中身は『腐り果て』……


全ては、大衆たいしゅうが自分の頭で筋道を立てて考えることを怠ったせいである。


 ◇


「数百年も続いた洪水に終止符しゅうしふを打ち、わしこそがまことの支配者だと認めさせよう!」


強い決意で臨む晴信であったが……

自分の頭で筋道を立てて考えるどころか、楽してお金を稼ぐことしか頭にない人間がさまたげとなった。

途中でお金が尽きてしまった。


「武士が日本を支配していた」

歴史の教科書にはこう書かれているが、勘違いもはなはだしい。


追い詰められた晴信は、武器商人との取引を開始する。

それが……

終わりのない戦争の泥沼にまることを意味するとしても。


他に方法はない。


 ◇


晴信の弟・信繁のぶしげは、持論じろんを展開したものの見事に一蹴されていた。


「前田屋殿。

仕方ないが、銭[お金]を借りるのは諦めよう。

ただし……

我らが諦めると、そちらの方が困ると思うのだがな」


信繁は何か隠し玉でも用意しているのだろうか。

武器商人はいぶかしげな表情を浮かべる。


「それは、どういう意味で?」

「実はそれがし……

今川家や北条家の城下で、そちらのあきないを見てまいってな」


「ほう……?」

「単刀直入に申す。

?」


「……」

「ん?

わしの勘違いか?」


「それは……」

武器商人は明らかに動揺している。


「今川家も、北条家も、今や強大な大名だ。

誰もが両家とのいくさを避けている。

いくさで銭[お金]を稼ぐ武器商人にとってはさぞかし辛かろう」


「いや、はや……

さすがは信繁様。

武田家中でも他に並ぶ者がいない程の知恵を持つ御方と聞いておりましたが、まことでございますな。

これは参りました」


武器商人は負けを認めたようだ。

ついに、晴信が鶴の一声を放つ。


「前田屋殿。

なぜ、わざわざ甲斐国かいのくにまで来た?

この国のことをよく調べた上で……

何をしに来たのじゃ?」


「……」

「我らと同じく辛い状況ではないか。

いくさが減ってあきないが成り立たないのであろう?」


おっしゃる通りにございます」

「ならば……

苦しんでいる者同士で腹の探り合いなど無意味じゃ。

むしろ、互いに助け合うべきではないのか?」


「申し訳ございません。

実は、晴信様を試しておりました。

取引には信用が欠かせません。

信用できる相手か見極めていたのです」


「やはり、そうであったか」

「腹の探り合いはなしということで……

はっきりと申し上げます。

晴信様は、いくさを始めてくれるのですか?

それならば、いくらでも銭[お金]をご用意しましょう」


「約束する。

治水工事で最も重要な部分が完了すれば……

わしは『侵略のいくさ』を始めることと致す」


「おお!

どこを攻めるので?」


「狙うは、信濃国しなののくに[現在の長野県]」

「信濃国!?」


「うむ。

この国は諏訪すわ家、高遠たかとお家、小笠原おがさわら家、村上むらかみ家などに分裂して一つになっていない。

我が武田軍は……

これら一つ一つを『各個撃破』してみせよう」



【次話予告 第八話 獅子身中の虫】

治水工事で最も重要な部分が完了します。

そして人々の熱い視線は、この偉業を成し遂げた武田晴信へと向かうのです。

「我らの真の支配者じゃ!」

と。

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