第80話 突然の来訪者

『はぁ⁉ 浸水だと!』


 浸水なんて、船で起こる最悪な事故の一つじゃないか⁉


 考えてみれば、この世界に船となって転生してからというもの、これまで死ぬかもしれない危機に出くわしたことは数多くあった。しかし今、自分の体が浸水していると分かり、こんなにも自分の死を身近に感じることがあっただろうか? 気のせいか、段々と体が沈んでいくのが感覚で分かる。俺はゾッとした。このまま海の底に沈んでしまうのだけは御免だ。


船倉ホールドで浸水ですって⁉ まさか、暗礁に乗り上げたとか?」

「はぁ? んなことある訳じゃん! ここ水深かなりあるんだよ。他の船も頻繁に行き来してるってのに、何で私たちだけ引っ掛かるワケ?」


 ニーナが言い返す。とにかく、どうして浸水してしまったのか、その原因を早急に突き止めなければならない。


船倉ホールドへ急ぎましょう!」


 ラビたちは急いで下甲板への階段を降りていった。船倉ホールドは、既に腰の上辺りまで水が来てしまっていた。底に穴が空いているのか、一区画から水があふれ出していて、見る見るうちに水位が上昇してゆく。


「状況は⁉」

「ああ船長、ひでぇ浸水だ。この分だと、三十分もしないうちに沈没だ! 船匠係カーペンターのヤツらが損傷個所の応急処置を施してはいるが、穴がデカ過ぎて塞ごうにも塞げねぇんだ」


 船倉ホールドでは、既に数人のエルフたちが浸水を止めようと、必死に水の中で板を打ち、応急修理を急いでいた。


 しかし、噴き出す水は留まるところを知らず、応急処置すらも間に合わない。


『ラビ! もう一度飛ぶぞ!』


 俺は咄嗟に後甲板フォアデッキにあった速力通信機エンジン・テレグラフを「上昇強速じょうしょうきょうそく」へ合わせ、魔道機関を始動させた。途端にフラジウム結晶の力で船体が浮き上がり、船底が水面から離れてゆく。


 すると、海面から脱したおかげで浸水は治まり、上昇していた水位も止まった。どうやら沈没は免れたようだ。


「今だ! 急いで修理するぞ!」


 修理していた船匠係カーペンターたちが、浸水が収まったタイミングで再び修理に取り掛かり始める。



 ――しかしここで、彼らに思わぬ悲劇が襲い掛かった。


「ぎゃあああああああっ!!」


 船匠係カーペンターの一人が突然悲鳴を上げ、水の中へ引きずり込まれてしまったのである。


「なっ、何だ?」

「何が起きたんだ⁉」


 突然の仲間の悲鳴に混乱するエルフたち。それまで船匠係カーペンターが居た水面は、まるで絵の具を垂らしたように真っ赤に染まった。


「ひっ! 血だ! 血だ!」


 水の中に居るエルフたちが声を上げた――次の瞬間、


「うっ! ぎゃあああ――がぼがぼがぼっ!!」


 血の池の近くに居たもう一人のエルフも、悲鳴を上げる間もなく、瞬く間に水の底へ引きずり込まれてしまった。


「一体何が起きてるの⁉」


 ラビが声を上げたそのとき――


 ザバァッ!!


 水しぶきを上げて、浸水した水の中から、黒い影が飛び出してきたのである、その影は、何かの破片を辺りに巻き散らしながら、再び水の中へ潜る。


 飛び散った破片の一つがラビの足元に転がった。それは、さっきまで浸水した船倉ホールドを修理してくれていた船匠係カーペンターエルフの


「ひっ!――」


 ラビは腰を抜かして階段の上で尻もちを付いてしまう。


「サメだ! 浸水した穴からサメが入って来やがったんだ! みんな急いで船倉ホールドから出るんだ! 早くしろっ!」


 それまで船を修理していたエルフたちが慌てて水から上がろうとするが、そこをすかさず黒い影が襲い掛かり、瞬く間に船倉ホールドが血の赤一色で染められてゆく。まるでサメのパニック映画を見ているようだ。


 ボコボコと吹き上がる泡と共に、水面に黒いヒレが現れる。そのヒレは、ラビの居る階段の方へと進んできた。ヤバい、このままじゃラビが食われる!


『ラビっ、水から離れろっ! 雷魔術で水中の敵をあぶり出すぞ!』


 俺は声を上げて警告し、ラビを退避させると、船倉ホールドに溜まった水に向かって雷生成の呪文を唱えた。


『”雷生成サンダー・ジェネレイト”!』


 途端に、水面を眩い雷光がほとばしり、水中を進む黒い影を捕えた。


「―――⁉⁉⁉ アバッ、アババババババババアババアバババッ!!」


 すると、その黒い影は感電してまるで陸に打ち上げられた魚のようにビチビチ跳ね、ガクガク体を震わせながら、そのまま水の中にバシャリと落ちた。


 電撃魔術を解除すると、波立つ水面にプカリと黒い塊が浮かび上がる。どうやら、俺の電撃を受けて気絶してしまったらしい。ピクピクと体を震わせるを見た途端、俺やラビ含め、その場に居た乗組員たちは皆、驚きのあまり目を見開いた。


 それまでサメかと思われていたその黒い影は、なんと人の形をしていた。しかも、ツルツルとした体は黒と白のツートンカラーで、頭部には、二つの大きな白い斑点が付いている。


 そのモノクロな体色をした生き物を、俺は転生前にも一度、水族館で見たことがあった。もちろん、手足なんかは付いていなかったのだが。


『―――これは………、か?』

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