第59話 この大陸で起きている異変◆
――リドエステ中大陸の港町、レードス。
この港にある
そんな中、店の入口にあるスイングドアを押して、ずぶ濡れになった二人組が入ってくる。一人は、褐色肌で耳の尖ったダークエルフ。もう一人は、赤い羽根を付けた大きな帽子をかぶり、蒼い髭を蓄えた長身の男だった。
カウンターで暇そうにしていたバーテンが、突然現れた
「オヤジ――ミルクをくれ」
男の放った注文に、バーテンは肩透かしを食らったように少し
男は帽子を取って横に置くと、目の前に置かれた瓶とコップを手に取る。その男は髭だけでなく、髪も全て蒼一色に染まっていた。
「ヨハンおじさん、相変わらず
グラスにミルクを注ぐヨハンを見て、ニーナは「ないわ~」とでも言いたげな表情を浮かべてため息を吐く。
「ミルクはこの世の嗜好さ。航海中によく食った石みたいに固いチーズだって、宮廷で出される甘ったるい高級菓子だって、コイツが無きゃ発明されなかった」
そう言って、ヨハンはぐっとミルクをあおった。
「……それで、話って何?」
ニーナが改まったようにそう尋ねると、ヨハンは空になったグラスをカウンターテーブルに置き、ニーナの方へ体を向けた。
「ここ最近、この大陸でだけ狂ったように吹き荒れている大嵐……妙だと思わないか?」
「それな。私らもここまで来るのにメッチャ苦労したわ」
「それでさっき泣いてたのか? たかが嵐に吹かれたくらいでヘコむようなヤツを
「う、うっさいヒゲオヤジ! さっきのは、その……」
顔を赤くして言葉を詰まらせてしまうニーナに、「言い訳は聞きたくない」とヨハンがぴしりと言い付け、彼女は膨れっ面をしたまま黙り込んでしまう。
「これまで、この大陸含めた空域一帯は気候が良く、ここレードスも航海者たちが多く集い、大陸の玄関口としていつも活気に満ちている場所だった。……が、それも今じゃどうだ? 店は
空いたグラスに二杯目を注ぎ入れ、そのグラスを持って中のミルクをじっと見つめながら、ヨハンは続ける。
「どうしてこうなったのか………結論から言うと、どうも王国側で秘密裏に行われている
「ある計画?……」
穏やかではなさそうな話に、ニーナが眉をひそめる。
「
「アルマーダ? 無敵の艦隊を作っちゃおうってワケ? ふん、まるでガキが考えたような馬鹿げた計画ね」
「俺も最初は子ども染みた冗談だと思ったさ。だが、ヤツらはどうも本気らしい。……計画の詳細についてはまだ分からんが、その計画を遂行するにあたり、ここリドエステにも数年前から王国軍が駐留しているらしくてな。何をしたのかは知らんが、そいつらがこの大陸の土地神様を怒らせちまったらしい」
「土地神様?」
「あくまで、この町で聞いた
すると、それまでカウンターの隅の方でグラスを拭いていたバーテンのオヤジが、その手を止めて、ボソッと小さくつぶやいた。
「………そりゃ、ウラカン様の仕業だよ」
「……は? 何それ?」
その言葉を聞き逃さなかったニーナが、すかさずバーテンに問いかける。
「アンタら
そう愚痴をこぼしながら、バーテンはため息を漏らし、再びグラスを拭き始めた。それ以上はもう、ニーナたちと会話をする気もないようだった。
「つまり、そのウラカンってヤツが、この嵐を引き起こしてる元凶ってこと?」
「町の住人は皆、口を
「ヤバぁ、バケモンじゃん」
「魔物一匹を鎮めるために、毎日祈りを捧げたり貢ぎ物したりする者もいるくらいだ。この大陸の住人にとって、ウラカンは神様のような存在なのだろう」
「そんな神様に近いヤツを激おこプンプンにさせちゃうとか、王国軍は一体何やらかしちゃったのよ?」
「そこまではまだ分からんが、少なくとも言えることは、今吹き荒れているこの大嵐は、王国の陰謀が引き金になっているということだけだ」
そこまで語って、ヨハンは小さくため息を吐き、「まったく、物騒な世の中になったものだな」と肩をすくめて声を漏らした。
「その王国の軍事計画……『
「……ああ、海賊排斥を掲げているヤツらは、その無敵艦隊を率いて本格的に海賊狩りを始めるだろうな。どれくらいの戦力があるかまで情報はつかめていないが、その艦隊が俺たちの脅威になることは間違いない。この先、動き辛くなるぞ。気をつけた方がいい」
そう警告するヨハンを前に、ニーナはいぶかしげな顔をして答える。
「ふぅん、八選羅針会のリーダーであるヨハンおじさんにしちゃ、やけに弱気じゃん」
「警戒しているのさ。とくにお前は考えも無しにすぐ行動に移すから、一番最初にヤツらの餌食になりそうだ」
「は? 何? 私を馬鹿にしてんの?」
「心配しているのさ」
ヨハンは二杯目をグッといき、空になったグラスを置いた。そんな彼に、ニーナはビシッと言い付ける。
「言っとくけど、そんなこと言ったって私の考えは変わらないから! 私は何にも縛られないで自分勝手に生きてやる。たとえその
「
聖ハウルヌス言録にある一節を口にしながら、ヨハンは小さな笑みを浮かべた。
「だがエザフはこうも言ってる。『傲慢と慢心に溺れる者は、たとえ神であろうと地獄に落ちる』とな。お前の切り札である幸運の女神様に、見放されなければいいが」
「なっ……それってどういう――」
「オヤジ、世話になった」
ヨハンは横に置いていた帽子を手に取ると、帽子の内側から銅貨を二枚取り出してカウンターの上に投げ、立ち上がる。オヤジはこちらを振り向きもしなかった。
そして立ち去ろうとニーナに背中を向けた際、ヨハンは何かを思い出したように「あぁ」と声を上げる。
「……そう、忘れるところだった。たまたま仕事でウッドロットに立ち寄ってな。そこでお前のママさんから伝言を預かっていたんだ」
「はぁ⁉︎ ママに会ったの⁉︎」
驚きのあまり大声を上げてしまうニーナ。ヨハンは、伝説の海賊である八選羅針会のリーダーでありながら、今では自分の船すら持たず、一人で世界のあちこちを放浪している。それゆえに、いつ何処からともなく突然フラッと姿を表してくる。そんな彼が、ニーナの知らない間に、故郷であるウッドロットに立ち寄っていて、しかも自分の母親にも会ったというのだ。
「ああ、随分と寂しい目をしていたよ。彼女はこう言っていた。――『たまには顔を見せに戻って来い』とな」
母親からの伝言を聞いて、ニーナの顔が険しくなる。
「………ふん、じゃあ次ウッドロットに立ち寄ったとき、こう返しといて。『私は忙しいから当分戻れない』って」
「………いいのか?」
「だって事実だから仕方ないし~。だいたい今は嵐のせいでこの大陸から出られないし~」
ニーナは素っ気なくそう返したが、ヨハンの目には、強がっている彼女の心情が見え見えだった。
「ママさんの言うことは聞けるうちに聞いておいた方がいい。たまには故郷に帰ってやれ。土産を持ってな」
そう答えるヨハンに、ニーナはむっとして食って掛かる。
「ねぇ、なに私のパパみたいなこと言ってんの。ヨハンおじさんには関係ない話じゃん」
「警告しているのさ。羅針会の他のヤツらはみんな親族もない一匹狼だが、お前だけ唯一家族持ちだからな。海賊やってる間はいつ死ぬか分からない身なんだ。会えるうちに会いに行った方がいい。――あばよ」
そう言い残して、ヨハンは義足の脚を引きずりながら、酒場を後にした。
誰も居なくなり、一人ぽつんとカウンターに取り残されたニーナは、テーブルの上に頬杖を突いてため息を漏らし、ボソッと一人つぶやいた。
「そんなの、私だって分かってるっつの……」
※ヨハン・
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