第51話 嵐に導かれてたどり着いた場所は……

(※嘔吐おうと表現あり。苦手な方はご注意ください)



 俺、クルーエル・ラビ号が王国の護送船団を襲撃してから、早一ヶ月。ラビとニーナ、そしてニーナ率いる海賊団たち一行を乗せた俺は――


雨脚あまあしが強まってきたな。突風が来るぞ、シートを緩めろ! 必要最低限の帆だけ張れればいい!」

「甲板中央、船首から船尾にかけて命綱を張れ! 雨が入るぞ、格子蓋こうしぶたに帆布をかけるんだ!」

「前方に注意! ちくしょう、霧で何も見えやしねぇ!」


 嵐の中へ突入し、ロクに前も見えない五里霧中の空域を航行中だった。


 一度嵐を経験しているとはいえ、強風にあおられる感覚や、マストがミシミシときしむ感覚には未だに慣れない。しかし、さすがはこれまでに幾多いくたもの空を駆けてきた海賊団のエルフ達だけあって、誰もが操船に手慣れており、嵐の中でも息を合わせて上手い具合に帆を操っていた。


 しかし、こうも視界ゼロの状態では、プロの船乗りである彼らも慎重にならざるを得ない。下手してどこかの大陸にでも突っ込んで遭難したらと思うとゾッとする。ここは、彼らエルフたちの鋭い勘と良い目だけが頼りだ。


 一方でラビはどうしていたかというと、彼女は今日は非番のため、外甲板へ出ずに下砲列甲板アッパー・ガンデッキに閉じこもっていた。ここなら、急な横揺れや風が吹いて船外へ放り出されるようなことはないのだが、代わりに彼女を襲っていたのは……


「うっ………おぇえええええっ!」


 それはずばり、船酔いだった。嵐の中に突っ込んでからというもの、ラビは合計六回も持っていた桶の中にリバースしていた。


 しかし、酔っていたのは彼女だけではない。どんなに玄人な船乗りでも船酔いには勝てないらしく、周りにいたエルフたちも皆血の気が失せた青い顔をしており、時折たまらなくなっては嘔吐えずいていた。船内にはすでに胃液の酸っぱい臭いが充満し、絶えずあちこちから響き渡るリバース音。船内は船内で地獄絵図が広がっていた。


 すると、上の甲板からニーナが下の様子を見に下りて来た。


「うえ、何ここくっさ……ヤバぁ、みんなしてゲロってんの? 絵面すごっ! あはは、何コレ超ウケるんだけど~www」


 などと吞気に一人笑うニーナ。このギャルエルフ、他人が苦しそうにしている前でよく平気に笑っていられるな。


「あ、ラビっちもここにいたんだ」

「は、はいせんちょ――げぷっ」


 そう言いかけて思わず口を手で覆うラビ。あわや船長の前でゲロを吐く寸前だった。


 ニーナはそんなラビの手をつかむと、「ほらこっち来て!」と手を引いて駆け出す。階段を上がって外へ出ると、途端に強い風と氷のような冷たい雨粒が、ラビの顔に打ち付けた。


「船長ってのはさぁ、大嵐のときでも常に外に出て、風の動きを読んでなくちゃいけないの。空の色や雲の動きをよく見て、天候の具合を見定めながら船を進める。そうしないと、進路が狂っちゃうかもしれないし、予定通りの目的地までたどり着けなくなっちゃうかもだし。それなのに嵐が怖くてずっと船の中に引きこもってるとか、ないわ~」


 ニーナからそう言われて、少しむっとするラビ。それでも外の空気を吸ったおかげで、少しは船酔いの気持ち悪さを忘れることができたようだ。


 操舵を担当していたエルフの一人が、ニーナに現状を伝える。


「船長、すげぇ大シケだ。おまけに霧のせいで鼻先も見えやしねぇ! いつもなら、この辺りの空域は天候が穏やかなはずなんだが……」

「ホントそれな! リドエステまで来て普通こんなシケることある? マジ有り得ないんだけど~!」


 嵐の中、ますます酷くなってゆく天候に不満を漏らすニーナ。どうやら、今俺たちが進んでいるのはリドエステ中大陸と呼ばれる陸地の周辺であるようで、普段この辺りは風が穏やかで天候も良く、基本的にいつも晴れ渡っているらしい。


「船長、今からでも遅くねぇ。ルルの港町まで引き返しましょうや。天気が落ち着いてからでも遅くねぇでしょう?」


 乗組員の一人がそう提案するが、ニーナはかぶりを振って答える。


「ここまで来たらもう引き返せないって。リドエステ中大陸まで積み荷を運ぶ依頼クエストを受けちゃったんだから、最後までやり通さなきゃ! 船首に見張りを増やしといて。舵は私が取る。――みんな! このくらいの嵐でへたばんなよ!」

「「「「おぉ――――っ!!」」」」


 ニーナが声を上げると、乗組員たちはその声に応えて一斉に雄叫びを上げた。


 しかし、先へ進めば進むほど、ますます嵐の勢いは増し、視界は悪くなる一方。腕利きのエルフたちが操ってくれているとはいえ、これは怖い。正直言って、めっちゃ怖い! 


 ――と、そのとき、目の前を覆っている霧が突然黒みを帯び、辺りがやけに暗くなった。


「船長! 前方に障害物っ!!」


「――っ! 魔導機関停止!」


 ニーナが速力通信機エンジン・テレグラフのレバーを「停止」へ回し、俺は緊急停止。甲板上の乗組員たちは止まった勢いで全員ひっくり返った。後甲板アフターデッキにいたラビも、止まった衝撃で危うく下の甲板へ転落する寸前だったが、手すりにしがみ付いて辛うじて難を逃れていた。


 目の前に広がっていた黒い影は、高くそびえた岩の壁で、ごつごつとした岩肌が俺の前に立ち塞がっていた。距離は俺の舳先から二十メートルあるかないかほど。危ねぇ……判断が数秒遅ければ激突しているところだった。


「あれは……何ですか船長?」

「あちゃ~、間違えてリドエステ中大陸の裏側に来ちゃったっぽいね。目的地のレードスの港町は、多分この崖の上だな~」


 どうやら進路を読み誤っていたようで、予想と反し大陸の裏側へ来てしまったようだ。間違えたと本人は言っているけれど、数メートル先も見えない大嵐の中で、目的地の大陸を見つけられただけでもすごいことだと思う。そこはさすが、船乗り歴の長いニーナの成せる技である。


「船長、これ以上風が強まっちゃ危険ですぜ! どっかで雨宿りしねぇと!」


 乗組員の一人が叫ぶ。確かに、これ以上ここに留まっていれば風に船体を押されて岩肌にぶつかってしまうかもしれない。


 どこか良い隠れ場所は無いものか……俺は崖沿いを進みながら、遠視スキルで岩肌の周囲を見渡してみる。


 ――すると、運が良いことに、少し先に自然にできたらしい巨大な洞窟の入り口を見つけた。全長七十メートルはあるだろうか? ちょうど船一隻がすっぽり入れるくらいの大きさだ。


『ニーナ! 前方の崖に洞窟があるぞ。そこに入って嵐をやり過ごそう』

「はぁ? そんな都合良く船が通り抜けられる穴なんて開いてるワケ……って、マジで大穴空いてんだけど! 超ラッキーじゃん、行こ行こ!」


 俺は嵐を避けるために、崖の途中にある巨大な横穴へと船体を滑り込ませた。洞窟の奥は真っ暗で、異様な雰囲気に満ちていた。まるで巨大な怪獣の口の中へ飲み込まれてゆくような感覚に近い。


 洞窟に入って雨風は止んだものの、周りが全く見えない。夜目スキルを使ってしばらく進んでいくと、やがて狭い洞窟を抜け、広い空間に出た。


「なんにも見えないんだけど。誰か明るくして~」

「はい船長! 四方に閃光弾ライティング・フレアを放て!」


 ニーナの指示で、船首に居た乗組員たちが各々呪文を唱え始める。閃光弾ライティング・フレアというのは光魔術の一つで、照明弾のように空高く打ち上がり、魔法の光を放って周囲を明るく照らす魔術のことだ。


 エルフたちの放った閃光弾ライティング・フレアが四方で弾け、光の届かぬ空間を明るく照らし出す。


 魔法の光が映したのは、四方を武骨な岩肌に囲まれた広大な地下空間。何千年も前から天井より滴り落ちる水が岩を溶かして氷柱つらら状となり、ついには地面にまで到達して形成された巨大な石柱があちこちに立ち並んでいる。その息を飲むような荘厳さは、まるで地下にできた巨大な神殿を見ているようだった。


 そして地面に目を向けてみると――


『……あれは、船の残骸か?』


 そこには、百隻を超える船――いや、かつて船だったものが、動かぬ廃墟となってあちこちに横たわり、無残に朽ち果てていたのである。


「あらら……ここって、俗に言う『船の墓場』ってヤツじゃね? 私初めて見た! やっば、マジテンアゲなんだけど!」


 いや、テンション上がる要素が全く見当たらないんだが……?


 俺は――自分で言うのもアレなんだが、同胞ともいえる船の亡骸が大量に眠る洞窟を前にして、内心ひどく震え上がっていた。

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