裕揮−14

 哲志の待つマンションに向かって、全力で走った。

 たとえそれが、有司くんや瑞希くん、もしかしたら町田先生や吉田先生、剣崎先生を裏切ることになったとしても。俺は自分を止めることができなかった。


「裕揮……」

 俺がマンションに入っていくと、ソファに座っていた哲志が腰をあげた。

 一体、いつからそこに座っていたんだろう。何時に来るのかも、本当に来るのかもわからない俺を待って。

 哲志は昨日とは違うスーツを来ていた。このスーツは知っている。哲志が、今日は大事な契約を取りに行く日だとか、ここぞというときにいつも着ていく勝負服だ。一葉に告白するために、準備して待っていたんだな、と思うと少し胸が痛んだ。

「行こうか」促されて、二人一緒に部屋を出て、駐車場に停めてあった哲志の車に乗った。

 車が駐車場を出て、病院とは反対の方向に向かって進んでいく。瑞希くんと待ち合わせしている病院が遠ざかっていく。

 世界を敵に回した気分だった。それでも行かなくてはいけない。長年に渡る、俺と哲志と一葉の問題に決着ケリをつけるために。それがたとえ、最悪な結果を招いたとしても。


 車の中で、俺と哲志は、一言も言葉を交わさなかった。

 俺は途中、一度だけスマホを開いて瑞希くんにラインを入れた。

『哲志と居ます。詳しいことは、帰ってから話します』

 既読はすぐについた。きっと俺のことを探していたに違いない。今にも電話がかかってきて怒られるんじゃないかという恐怖にかられて、電源を切ろうと手を伸ばしかけたとき『わかった』短い返信がきた。それ以上、何も返して来る様子はない。瑞希くんが、有司くんにするのと同じように、俺を信じて待ってくれようとしているのか、それとも呆れてもうどうでもよくなってしまったのかはわからなかったけど、前者である方を祈った。

 車は国道に入ってどんどん街の喧騒を抜け、山の中を走って行く。一葉は今、以前勤めていた居酒屋チェーン店を辞め、海の近くにある洋食レストランで働いていた。そのあたりを訪れる観光客はもちろんのこと、そこの料理だけを目当てにはるばる遠方から客がやって来るような人気店だ。

 車窓を過ぎる、もうチラホラと紅葉が始まっている木々を無言で眺めながら、俺はこの哲志と出会ってからの八年間を振り返っていた。

 思えば俺たちの間には、いつも一葉の影があった。嬉しいとき、悲しいとき、いつもそこには一葉が居たし、居なくても必ず「一葉、どうしてるかな」と話題に上がる。そもそも、俺たちを繋げたのは一葉なのだ。そして今更ながらに気づく。俺は、哲志が一葉のことを話すとき、いつも心のなかがザワザワとして落ち着かなかったことを。そして、決してそれを表面に出してはいけないと、心の底に強く押し込めていたことを。

 そのことに今日、決着をつける。もちろん、哲志が振られるという想定だけではない。一葉が、本当はあの頃、哲志のことが好きだったという可能性もある。それがわかったとき、哲志は深い後悔の渦に巻き込まれることになるだろう。そして俺と哲志はそこで完全に終わるだろう。でも、それでいい。とにかく、俺たち三人の関係に、今日、決着をつけるんだ。


 国道に面した広い駐車場に車を入れて、山小屋風のおしゃれな店の入り口に向かう。店内にはまだランタンのような暖かい色の明かりが灯り、何組かの客が談笑している姿がオープンテラスの窓ごしに見えたが、入り口の扉にはもうCLOSEの看板が掛かっていた。オーダーストップということだろう。当然だ。もう14時半を過ぎている。ランチタイムは終了の時間だ。でも哲志は構わず入り口の扉を開けた。

「あ、すみません。もうランチタイムは終了してしまったんですが」

 入り口のそばにいた女性に声をかけられた。店の制服なのだろう、焦げ茶色のTシャツに、紺色のキャップを被り黒いパンツという出で立ちだ。

「すみません、店員の山口一葉くん、いらっしゃいますか?手が空いてたら、呼んでいただいてもいいですか?」

 言葉遣いは丁寧だが、随分と強引だ。俺は、哲志のすぐ後ろに立っているというにも関わらず、さり気なく他人のフリをしてしまう。

「少々、お待ち下さい」

 女性はそう言うと、いそいそと店の奥に消えた。そのまま、俺たちは店の入り口で待つ。だんだんと緊張が高まっていた。哲志は、俺の前に、俺に背を向けて立っていたので、どんな顔をしていたのかは知らない。

 やがて「あれっ?」店の奥から、先程の女性と同じ制服に黒いソムリエエプロンと白い長靴を付け足した格好の一葉が姿を見せた。

「どうしたの?珍しい。ていうか、なんで二人とも俺のラインを無視するんだよ」

 一葉が相変わらずの調子で唇を尖らすので、思わず笑ってしまいそうになる。

「悪い。色々と立て込んでたんだ。一葉、このあと、ちょっと時間ある?」

 哲志も一葉に合わせて軽い調子で返すが、さすがに流れ的に違和感をおぼえた一葉は、戸惑いながらも「ん〜あと15分くらいで休憩入るから、ちょっと待っててくれれば」と答えた。

「わかった。じゃあ外で待ってる」

 哲志が答えて、俺たちは店の外に出た。


「あのさ、俺やっぱり車の中で待ってるよ」

 店の外に出るなり俺は哲志に言った。さすがに哲志が一葉に告白するところなんか、目の当たりにはしたくない。

「え?なんでだよ、ここまで来て」

 哲志が不服そうに眉を寄せた。

「だって、俺が居たら一葉は俺に遠慮して本音を吐かないかも知れないじゃないか」俺はもっともらしい理由をつけるが、そもそも俺が一緒に来た、ということがバレてる時点でもう一葉が本音を吐くとは思えなかった。そう考えると、なんだか急に茶番にしか見えなくなってきて、もう帰りたい気分だ。

 哲志は、う〜ん、と考えて「わかった。でも、車の中から、ちゃんと見ててくれ。絶対だぞ」と念を押す。代わりに俺は「わかったよ。その代わり、一葉には、ちゃんと本音を言うように言ってよね。俺は了解済だからって」とこちらも念を押した。

 そして車の中で待つこと15分。随分と長く感じたその時間を経て、さっきの格好からエプロンと帽子だけ外した姿の一葉が、店の中から現れた。モコモコヘアーは健在だ。そのまま店の前に居た哲志と向かい合う。そして、俺の姿を探すようにキョロキョロとして哲志に何か訊ねたあと、こっちを見てもう一度哲志の方を向く。俺はその様子を、まるでフロントガラスをスクリーンに、無声映画を観るかのように、車の助手席から見ていた。

 哲志が一葉に向かって何か喋っている。一葉が驚いたようにのけぞり、一回こっちを見る。一葉が哲志に向き直り何か喋る。また哲志が何か喋る。一葉が首を傾げて、何か考えながら、哲志に何か喋る。哲志がうなだれて、何か喋ったあと、一葉に向かって手を振って、こっちに向かって歩き出す。終わった?と思った途端、一葉が哲志を呼び止めた。ドキと心臓が波打った。一葉が哲志に何かを告げ、哲志が頷いたあと、再び哲志はこっちに向かって歩き出した。

 ああ、今度こそ本当に終わったんだ、と思ったそのとき、哲志の肩越しに見える、こっちを向いた一葉と目が合っているような気がした。遠目だったからよくわからなかったけど、確かに一葉は俺を見ていた。試しに俺は、一葉に向かって小さく手を振ってみる。すると、一葉は間髪入れずに俺に向かって手を振りかえした。

「あーあ、振られた、振られた」

 やれやれ、といった感じで哲志が運転席に乗り込んできた。

「お疲れさま」

 俺が哲志に向かって声をかけ、もう一度、店の方を見たとき、そこにもう一葉の姿はなかった。

「一葉、何て?」

 車を発進させる哲志に訊ねると、哲志は駐車場から国道に出ようと左右を確認してハンドルをきったあと「『てっしさんのことは恋愛対象として見たことはない。最初からずっとお父さんみたいにしか思ってない』だとさ」と投げやりに言った。そして「せめて『お兄さん』だろ」と不服そうに下唇を突き出した。

 笑うところなんだろうか、と思いつつ、哲志の顔をチラと見たあと、笑うのをやめた。傷ついてないはずがないんだ。俺は今、哲志になんと声をかければいいんだろう。慰めればいいのか?復縁を切り出せばいいのか?どうしよう、と考えあぐねていると「あ、そうだ」哲志が思い出したように言った。

「一葉が、百花ちゃんと籍を入れるから、裕揮に証人欄に名前を書いて欲しいって言ってたぞ」

「え?俺?なんで、俺に……」唐突に言われて思わず戸惑ってしまう。

「なんで、って……たった一人の身内みたいなもんだろ。一葉にとって裕揮は」

「身内?!」

 その言葉の持つ響きに、胸が熱くなった。なんだか、こそばゆいような、泣きたくなるような、不思議な気持ちだった。俺は急に照れくさくなって「お父さんは哲志なのにね」と冗談で混ぜっ返した。

「うるせっ」哲志が顔をしかめ、結局、俺は笑ってしまう。

 しまった、と横を見ると、そこには俺と同じように笑っている哲志の姿があった。


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