有司−2
洗濯物を畳む。ベッドの上で畳む。そこしか丁度いい場所がないからだ。
瑞希のズボン、俺のズボン、瑞希のシャツ、俺のシャツ。パンツや靴下などの小物類は仕方ないが、ズボンやシャツは、畳み上がりがすべて同じ大きさの長方形になるように畳む。横の辺、縦の辺がすべて同じ長さになるように畳む。
うちの衣装ケースにピッタリはまる長さは、この家に引っ越してきて何年も畳んできたこの手がちゃんと覚えている。俺はそうやって同じ形になった長方形をベッドの上に次々と積み上げていった。
洗濯物を畳むのはいい。畳んでいる間は色んな雑念が消え、ひとつの考えに集中することができる。
裕揮くんが、このマンションに引っ越してくる決心をした。吉田先生の許可も降りた。剣崎先生の計らいで、病院での研修も続けられることになった。でも、これで終わりじゃない。
裕揮くんと皆川さんが、このまま終わりになっていいとは思えない。
だからといって、すぐにでも仲直りをして、めでたしめでたし、というわけにもいかなさそうだ。
裕揮くんには明らかにPTSD、心的外傷後ストレス障害の疑いがあり、慎重な経過観察が必要だ。そして、詳しくはよくわからないけど、二人の間には『一葉さん』という人の影がある。おそらく皆川さんは、その人とのことにけじめをつけるために、裕揮くんとしばらく距離を置く決断をしたのだろうが、裕揮くんはそのことを正しく受け入れられていない。大切な人に距離を置かれても信じて待っていられるほど、裕揮くんの方の軸がしっかりとはしていないのだ。
「ゆーうじ」
「ぐへっ」
いきなり背中からのしかかられて、思わず声をあげた。ベッドのスプリングが上下に揺れて、せっかく畳んで積み上げた洗濯物の山が倒れそうになる。
「いつまで眼鏡してんの」
瑞希が俺の肩越しに手を伸ばして、俺がかけていた黒縁の眼鏡をサッと取った。そして俺の肩に顎を載せて自分の顔にその眼鏡をかけると、俺の方を見てニヤッと笑う。
実は俺の眼鏡は度が入っていない。伊達だ。俺は両眼とも裸眼で2.0だ。
瞳の色が薄いと、異質な感じがするだろうか、と病院では眼鏡をかけて色をカムフラージュすることにしている。これでも外見のことは結構、気にしているのだ。ただ、先輩が言うようにカラコンをしてまで隠そうとは思わない。異質を異質で隠すのはなんだか違うと思っていた。
「有司、何、考えてんの?」
瑞希が両腕を俺の肩から前に回してもたれかかってきた。背中にぐんとかかった体重のせいで、自然と腹筋に力が入る。
「んー、まあ、ちょっと」
俺は洗濯物を畳むのを止めて、背中にある瑞希の体温に意識を集中させた。俺にとってはこれが一年で一番過ごしやすい季節にある陽だまりの温度だ。
「今すぐじゃなくてもいいけど、ちゃんと俺にも話してよね」
瑞希が俺の耳元で、直接耳に言葉を吹き込むように言った。
「うん。わかってる」
「絶対だよ。一人で抱え込んだりしないでね。俺、なんでもするから」
「なんでも?」
「なんでも」
「じゃあ、フェラ……」
「却下」
瑞希は、それまで出していた甘い声とは一転、いきなり冷めた声で即答すると、するりと俺の背中から離れてベッドから降りた。
「なんだよ〜、なんでもって言ったじゃんかよ〜」
「嫌いだって言ってんじゃん!オエッてなるんだよ」
「酷ぇ……愛しい人の一部をそんな」
「一度、体から離れたものはもう一部ではありません」
言いながら瑞希は、眼鏡を外してダイニングテーブルに置くと、トイレに入ってしまった。狭い1DKの部屋は、ベッドからダイニングテーブル、そしてトイレまでの距離がほんの数歩でしかない。
俺は心のなかで、ちえっと呟くと、ドサッとベッドの上にうつ伏せになった。弾みで洗濯物の山がついに崩れ落ちる。あ〜せっかく畳んだのに。まあ、いいか。また、畳み直せば。
そのときバタンとトイレの扉が閉まる音がして、パタパタと小走りに駆け寄る瑞希の足音がした。ん?と思ったのも束の間、グイと肩を掴まれて仰向けになるよう手の力だけで指示される。そして「うわ」驚く俺を尻目に無言で俺のスウェットのズボンとパンツを下にずり下ろすと、俺の股間でまだ萎れているそれを右手で掴んで口の中に含んだ。
「……っ」
いきなり弱いところを舌で舐られ、あっという間に血流がそこに集まっていくのを感じる。
俺は少し上半身を起こして、瑞希の頭が見える角度になったところで体を肘で固定し、その上下する髪の中に自分の右手を差し入れた。
愛しい……。反面、つい先日のことを思い出して、心が痛む。誰かの特別じゃなかったとしても、生きていくことはできないかな。俺は偉そうに裕揮くんに、そう言った。でも、俺が今、瑞希を失ったら……考えただけでゾッとしてしまう。
あのあと、事の顛末を町田先生に話し、自分がどのくらい間違っていたかを採点してもらった。間違った、ということはなんとなくわかっていた。
町田先生は、俺の話を聞き終わったあと、暫く無言で俺の顔をじっと見つめてきた。その目が「よくやった!」という類の目でないことは一目瞭然だった。
「わかってると思うけど、自傷行為がいけないことだと一番知っているのは本人だよ。なのに、してしまわずにはいられないほど苦しい思いを抱えているんだ。そんな当事者に自傷行為を否定するようなことを言うなんて、心理士として0点だね」
厳しい採点だった。
「でも……」町田先生が続ける。
「君は篠宮さんとは、心理士である前に友だちなんだろ?」
「はい」そう思ってます。
「じゃあ、友だちの対応としては、100点に近いんじゃないのかい?」
「えっ」
「自分のために走ったり泣いたり、死ぬのを止めてくれたりする人がいるなんていいことじゃないか」
「瑞希」
俺は上下する瑞希の頭に向かって声をかけた。
「ん?」
瑞希は動きを止めずに声だけで答える。
「皆川さんの名刺、もらってたよね?」
瑞希の動きがピタリと止んだ。そして、俺のを口に含んだまま顔だけを少し上げ、上目遣いで俺の顔を見る。いや、エロいな、それ。
「なんか、するつもりなの?」
チュポッと音をたてて口を離すと、瑞希が俺に訊ねる。
「うん、まあ。まだ、考え途中なんだけど」
「ふうん」瑞希はそのまま何も聞かず「あとで渡す」短く言うと、再び俺のを口に含んで頭を動かし始めた。
こういうときの瑞希がたまらなく好きだ。俺に全面的な信頼を寄せて好きなようにさせてくれる。
俺は裕揮くんに、友だちでいることを約束した。だから、例えそれが心理士としては越権行為に当たるとしても、俺は友だちとして裕揮くんに、できる範囲のことを、あ……イク。
洗面所から聞こえてくる、瑞希の、おぅえぇぇとえづく声に苦笑いしたあと、皆川さんの名刺をゲットした俺は、担当するクライアントさんのいない日を狙って半休をとり、今、電車に乗っている。
折りしも今日は裕揮くんが退院してくる日だったが、そっちは瑞希に任せてあった。
皆川さんとは、一度、話をしないといけない。二人の問題に首を突っ込むのもどうかと思うが、そこは心理士判断で、今、裕揮くんと皆川さんを会わせることは危険だと判断した。都合のいいときだけ心理士で、都合が変われば友だちだ。
でも、こんな俺だからこそできることがある。
やれるだろうか……。少し緊張していた。
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