裕揮−8

 有司くんは、半ば強引に家にズカズカと上がり込むと、リビングに入って辺りを見回した。

 俺はその後ろで少し緊張しながら、有司くんの動きを見守る。

 念のため、玄関を開ける前に、薬をソファの下の隙間に隠しておいて良かった。テーブルの上の水の入ったグラスは、まあ仕方ない。飲もうと思って置いておいたと言っても不自然ではないだろう。

「裕揮くん、随分、疲れてるみたいだけど何かあった?俺で良かったら、話聞くけど」

 有司くんが振り向いて、後ろにいた俺に伺うように訊ねた。

 剣崎先生に何を聞いてきたのか知らないけど、ここでカウンセリングでも始めるつもりなのだろうか。まあ、いい。最後に、有司くんに俺の抱えているものを全部ぶちまけるのも、悪くはない。なんせ彼は、それを仕事としているのだから、変に私情を挟まず淡々と聴いてくれるに違いない。

「じゃあ、聞いてもらおうかな」

 俺はそう言って、有司くんを通り越し、ソファに腰を下ろした。ちょうど薬を隠したすぐ上あたりに座ったのは、無意識だろう。

 有司くんが、その後に続いて俺の隣に、少し俺の方に体を傾けた体制で腰を下ろす。ええと、どこから話せばいいだろう。

「俺、産まれたときに父親に捨てられたんだよ」

 知らず、声が出た。産まれたときにまで遡っちゃうんだ、と自分に突っ込みたくなったがもう止まらない。有司くんは、衝撃的な告白を聞いたにも関わらず、眉ひとつ動かさずに、フンフンと頷いた。さすがだ。

「俺の母親、元看護師でさ、妻子ある医者と不倫して俺を産んだの。でも俺は認知されていない。大方、大金積まれて、誓約書かなんか書かされて、母親ごと捨てられたんだろうね。母は大して働いてもいなかったのに、俺が子どもの頃やたらと羽振りが良くて、何でも買ってくれたし」

 そこまで話すと、有司くんは、ちゃんと聞いているよ、という態度を示すため「そうでしたか」と頷いた。

「でも顔を見る前に捨てた父親の方がまだまともだったのかも。母は俺が小学校2年のときに、俺を捨てて出ていった。理由は、俺が母親の男を寝取ったから。そんなわけある?小2だよ?俺、母親が連れてきたワケわかんない男に犯されてたんだよ」

 もうここまで来たら、隠すことなんか何もない。自虐的に笑ってみせる俺を、有司くんは、じっと見つめていた。

「その後、一葉に会ったんだ」

「一葉さんって誰ですか?」

 いきなり跳んだ話に、有司くんが口を挟んだ。

「虐待がバレて俺が施設に入ったときにそこにいた、同い年の男。俺、一葉が好きだった。一葉は、初めて俺に、人を好きになる喜びを教えてくれたんだよ」

 思い出して一瞬、ふわっとした気持ちが蘇った。自分ではよくわからなかったけど、少し笑っていたかも知れない。

「でも、一葉はノンケなんだ。女の子が好き。だから俺、友だちとして行けるとこまで一葉の隣をキープしようと、必死だった。そしたらさ、そしたら……」

 突然、胸が苦しくなる。駄目だ。最後まで話すんだ。じゃないと、決着が着かない。て、俺は何に決着を着けたいんだろう。

「先に一葉が哲志に会ったんだよ。そのとき俺は意識を失っていて、その間、一葉の隣には哲志がいて、哲志は、俺から一葉を奪って、今でも一葉を想ってる。だから、哲志は家に帰ってこないんだよ!本当は一葉が好きなんだろうって俺が指摘したから、だからもう俺とは暮らしたくないんだ!」

「裕揮くん、哲志さんが、もう一緒に暮らしたくないってそう言ったの?」

「そうは言ってないけど、少し時間をくれって言ったまま全然帰ってこない!俺が愛して欲しい人は、みんな俺を捨てて行くんだよ!父親も!母親も!一葉も!哲志も!俺は何で誰にも愛されないんだよ!」

 話しているうちに、もうすっかり枯渇してしまったと思っていた感情が溢れ出してきた。怒りとも悲しみともつかない、よくわからない感情だ。

「ねえ、有司くん」

「え……」

 俺は溢れ出す感情に任せて身を乗り出すと、有司くんの首に両腕を巻き付けキスをした。

 有司くんは振り払うわけでもなく、応えてくるわけでもなく、ただそのまま、じっと動かずにいた。

 俺は唇を放すと、有司くんの首元に顔を埋め、「ねえ、俺のこと抱いてよ。いつも瑞希くんにしてるみたいにさ。俺のこと瑞希くんだと思ってくれてもいいよ」と言った。有司くんの耳の後ろは、哲志とは違う匂いがしたけど、嫌いな匂いじゃない。抱いて欲しい。もう、ずっとやってない。誰かの代わりでいいから愛されたい。ちょっとくらい俺だって、いい思いをしたっていいじゃないか。

「裕揮くん」

 有司くんは、優しく俺の名前を呼ぶと、静かに、でもきっぱりと、「できないよ」と言った。

 俺はその言葉に落胆しながらも、「だよね」と納得して、有司くんから体を離した。うん、キミはとても正しい。

「ねえ、裕揮くん。俺さ、まだ未熟だから間違ったこと言っちゃうかも知れない。だからさ、一度きちんと病院で経験豊富なちゃんとした心理士のカウンセリング受けてみない?もし裕揮くんさえ良ければ、俺もそこに同席して一緒にサポートしていくからさ」

 有司くんが、体を離そうとする俺の両手を、ぎゅっと握りながら言った。その顔は、真剣そのものだったけど、俺は気づいてしまった。有司くんの目の奥に、僅かな不安の色があることを。

 そうだよね。怖いよね、今の俺。一人じゃ、どうにもできないよね。大丈夫だよ、すぐに安心させてあげるから。

「うん。それもいいかもね。じゃあ、悪いんだけど、今日の午後診、予約取っといてくれるかな。俺、ちょっと眠いんだ。ひと眠りしたら、病院に行くから」

 俺がそう言うと、有司くんはホッとした顔を見せ、「了解です。じゃあ時間わかったら電話……あ、でも寝てるかな。僕、迎えに来ますよ。だからゆっくり寝てくださいね」と、いつもの調子を取り戻した。

 そして、俺は病院に帰っていく有司くんを玄関まで見送ると、きちんとドアが閉まったのを確認してから、リビングに戻った。

 ソファに座り、下に隠してあった薬の箱を取り出す。

 点線に指を入れて蓋を開け、箱を斜めにしてテーブルの上に中身を滑り落とすと、1シートに10錠入ったものが10シート出てきた。

 全部で100錠か。取り出すのにひと苦労だな、と思いながら、1錠ずつ指でプチン、プチンと押し出していく。

 3シート出したところで疲れてしまった。これで30錠。なんかもう、これくらいあればいいような気がしてきた。

 俺はひと粒ずつ口に入れ、水で流し込み、途中からは、ふた粒ずつ口に入れ、最後は、よん粒、いっぺんに口に入れて、グラスの水をすべて飲み切った。

 怖い。急激に恐怖が俺を襲う。呼吸を整えて恐怖感を必死に抑え込んだ。

 俺はソファの背中に体を預け、首を背もたれの上に載せて、天井を仰ぐ。これで、全部、終わる。目の端から、つっ、と熱いものがこめかみを伝うのがわかった。まだ涙が残っていたのか、と気づく。「くっ……」と喉から声が漏れた。駄目だ。早く、早く薬よ効いてこい。早くすべて終わらせてくれ。でないと、でないと俺は……あと少し世界が続いたらきっと泣き叫んでしまう。

 頭がぼんやりとしてきた。なんだか、とても心地が良かった。意識が薄れ始めたそのとき、玄関の方でガチャッと扉が開く音がした。哲志?

「裕揮くん!!」

 暗転していく視界の中、息を切らしてリビングに飛び込んでくる、有司くんの顔が見えた。

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