哲志−14

「黒か、グレーか……」

 言いながら俺は裕揮の体の前に、まだハンガーがついたままになっている色違いのシャツを二枚、それぞれ左右の手に持ち交互にあてた。黒の方が、はっきりとした裕揮の目鼻立ちを更に際立たせるが、グレーの方が優しい印象を人に与える。うーん、悩む。

 そうだ。確かあっちにハイネックのインナーがあった。あれの黒を差し色にして、上からグレーのシャツを羽織る。よし、これだ。

 俺は、グレーの方を選ぶと、足元に置いてあるかごにポイと投げ入れた。

 裕揮はこの店に入ってからずっと、うんざりとした顔をして、あーでもないこーでもないと服を選ぶ俺にされるがままになっている。

 さっきデパートに入ってから、俺は真っ直ぐ、今、若者に人気のハイブランドの店に向かったのだが、裕揮が全力で入るのを嫌がったので、渋々家族連れで賑わうファストファッションの店にやってきたのだ。

 しかし、来てみると意外と選び甲斐がある。シンプルなデザインのものが多いので、スタイリングを自分で考えるのが楽しいのだ。といっても考えているのは着る本人ではなく俺だけど。

 あんまりたくさん買っても裕揮が全部着てくれるとは思えなかったので、取り敢えず3パターンくらいの全身コーデを揃え、そのうち1パターンを店員に「このまま着ていきます」と言って試着室で裕揮に着替えさせて、残りを紙袋に入れてもらって店を出た。

 成果は店を出てすぐにわかった。

 通り過ぎる女子という女子がみんな裕揮を振り返る。ほら、良い仕上がりだろ?何故かドヤ顔をしてしまう俺。

 さっきまでのダルダルの格好から、シュッとした服に着替えた裕揮は、さながら国宝級と言っていい程のイケメンぶりを発揮して、周囲の視線をこれでもかというくらい独り占めにした。

 本当はこのまま美容院にも連れて行きたいし、ちょっとグレードの高いアウターと靴も買いたい。でもさすがにそこまですると、また裕揮の反発をくらいかねないので、今日は我慢だ。

「ちょっと休憩して帰るか」

 俺は裕揮にそう声をかけると、デパートに隣接しているコーヒーショップに向かった。


「何にする?」

 先に会計をする方式のその店のレジに並びながら裕揮に訊ねた。

「コーヒー、ミルクで割ったやつ」裕揮が答えたので、俺はカフェラテとブレンドコーヒーを注文し、会計を済ませ、受け取りカウンターでコーヒーを受け取ると、カフェラテの方を裕揮に渡した。

 そして、どこに座ろうかと店内を見回していると、受け取りカウンターのすぐ向かい、ガムシロップやらストローやら紙ナプキンやらを自由に取れるように置いてあるコーナーから、裕揮がおもむろにスティックシュガーを5、6本一気に掴んで引き抜いていることに気づいてギョッとした。

「え……まさか、それ持って帰るのか?」

 俺が驚いて訊ねると、裕揮はギロと俺を睨みつけ、「そんな貧乏くさいことするわけないだろ。今、使うんだよ」と言い放ち、さっさと空いていた席の中で一番近い場所に腰をおろして、テーブルにコーヒーカップとシュガーを置いた。

 俺も裕揮の向かいに腰をおろしカップを置く。すると裕揮は、持ってきたシュガーの細長い紙の袋の先を破っては、次々と中身を自分のカップに放り込み始めた。俺は目の前で、大量のガラス色した細かい粒が、白とベージュの泡の上に浮かんでは溶けて沈んで行くのを、おののきながらじっと眺めていた。

「糖尿……」

「なんにでもこんなに、砂糖入れるわけじゃねえよ!コーヒーの苦いのがちょっと苦手なの!」裕揮が強い口調で言う。

「違うの頼めば良かったじゃないか」

「キャラメルなんとか、とか?」裕揮が顔を歪めた。

「抹茶なんとか、もあったぞ」

「やだよ、そんなの」吐き捨てるようにそう言うと、裕揮は恐らく、キャラメルなんとか、や抹茶なんとか、よりもずっと甘い液体を、平然とした顔で喉に流し込んだ。


 図書館で借りて来たらしい本を人質にとっておいたお陰で、コーヒーショップを出たあと、裕揮は大人しく車に乗り込み俺の家まで着いてきた。

 裕揮は車の中で、「洋服代は給料もらったら返すから」と言った。

 俺が勝手に裕揮で着せ替えごっこして楽しんだだけだし、むしろ一人で盛り上がっちゃってすみませんぐらいの気分だったのだが、裕揮の言葉を軽く扱いたくなくて「余裕があるときでいいよ」と答えた。

 部屋に上がると、「今日、朝から一時間煮込んで作ったスープがあるから、ラーメン食ってけよ」と冷蔵庫に入れておいた小さめの寸胴鍋を取り出す。

「は?」そんな俺を見て裕揮がきょとんという顔をした。

「いや、だっておまえ昼前に来ると思ったから、昼に食わそうと思って作ってたのに余るじゃんか」

「そこじゃねぇよ」

「え?あ、材料なら昨日会社帰りに閉店ギリギリのとこ業務用スーパーに駆け込んで鶏ガラを」

「だから、そこじゃねぇって。ラーメンなんてインスタントで十分だろ。なんだよ、一時間て。食ったら一瞬で無くなんじゃん」

 そう言い放つ裕揮の所業に俺は再びおののいて動きが止まる。こいつ、一葉の言うとおり、本当に食に対する意識が低いんだな。一葉とだったら、出汁の取り方だけで一時間くらいは語り合えそうな気がするが。

 まあ確かに俺も自分でスープから作ってみようなんて、さすがにやり過ぎだったかも知れない。

 取り敢えず、食の大切さについて懇懇と諭すのはやめにして、すぐ出来るから待ってて、と言ったら裕揮は素直にソファに腰をおろした。


「いただきます」と裕揮は丁寧に手を合わせて言うと、箸とレンゲを取った。俺はそんな裕揮がひと口目のスープをレンゲですくって口に入れるのを、少し緊張した面持ちで見守る。

 そんな俺の視線に気づいて、「食べにくいよ」と裕揮は俺を睨むと、おいしいです、と、仕方がなさそうに呟いた。

「あ、そうだ」

 ほっとしている俺の気持ちをかき消すように、裕揮が突然何か思い出したように声をあげる。

「何?」

「言おうと思ってたのに忘れてた。本人から聞いたかも知れないけど、一葉、MOS検定受けるって言ってたよ。全部受かったら会うってさ。良かったね」

 どう見ても、良かったね、という感じの顔じゃない顔で裕揮は言った。

「そっか……」

 俺は裕揮の言葉に、ほっとはしたが、思ったよりも浮かれはしなかった。

 一度は一葉に恋心のようなものを抱いてはいたものの、今は俺と向かい合い、俺の作ったラーメンを食べ、俺のことを気遣って一葉の言葉を伝えてくれた裕揮を、この一見強そうに見えて実は脆く繊細な彼を愛しいと思い始めている自分に気づいていた。

 そして一緒にラーメンを食べ終わり、裕揮が洗い物をし、俺がコーヒーではなく今日のために買っておいたジンジャーエールをコップに注いで飲んだあと、俺と裕揮は自然に二人でベッドに入った。


 はあっ。

 行為が終わり、ひとつ、息をつくと、裕揮はまたすぐに俺から離れ、服を着ようとした。

「待ってくれ」俺は再び裕揮の腕を掴んで止める。「朝まで一緒にいてくれ」

 裕揮は俺に背を向けたまま首を横に振り、「帰る」と俺の手を振りほどこうとした。

「嫌だ。お願いだから帰らないで欲しい」

 俺は、絶対に離すまいと手に力をこめ、もう片方の手で裕揮の肩を掴んでこっちを向かせた。まだ俺の側にいて欲しいんだよ。

 そして無理矢理こっちを向かせた顔を見て、俺は思わず息を飲んだ。

 裕揮は目に涙を浮かべていた。

「これ以上、一緒に居たら……」

 まだ俺の手を振りほどこうと腕を引きながらそこまで言うと、裕揮は言葉をつまらせて、目から涙をポロリと溢した。

 その姿がいつか見た顔と重なる。一葉が俺の前で、自分のしたことについて懺悔したときも、こんな風に涙を溢していた。

 俺はたまらず、グイッと力を入れて裕揮を抱き寄せると自分の胸に押し付ける。

 どうして……どうしてお前たちは、そんな風に今にも叫びだしそうな顔をして泣くんだよ。胸が締め付けられるようだった。裕揮はもう抵抗することをやめ、そのまま俺の胸で肩を震わせた。

 そしてその日、初めて裕揮は、俺の腕の中で眠った。

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