哲志−11

「塚っちゃ〜ん」

 昼休み、俺はオフィスを出て廊下を一人で歩いていく塚本くんを走って追いかけた。

 彼はオフィス内で昼食を摂るのが好きではないので、いつも必ず一人で外へランチを食べに行く。

「どう?篠宮くん」

 俺は塚本くんに追いつくと、一緒に並んで歩きながら隣にいる彼に訊ねた。裕揮が入社してから三日が経とうとしていた。

「まだわかりませんけど……使えなくはなさそうですね。飲み込みも早いし回転も早いし」

 塚本くんは大した事でもなさそうに答えるが……こ、これは、最上級の褒め言葉じゃないのか?なんせ彼は俺の知る限り、人を褒めるということを未だかつてしたことがないのだ。

 そうか、そうか、と気を良くした俺は、塚本くんの肩をポンポン叩くと、「昼飯奢ろうか?」と言ってみたが、「結構です」即座に断られた。

 うん、今日も塚っちゃんは、安定の塚っちゃんだ。


 オフィスに戻れば、窓際に置かれたカウンターテーブルで宅配サービスの弁当を食べている裕揮の周りに、今日も女子社員たちの輪が出来ている。昨日も、一昨日もこんなだった。困ったような表情を浮かべる裕揮がなんとも新鮮だ。

 さすがのポーカーフェイスも、年上のお姉さんたちの勢いには太刀打ち出来ないようだ。

「篠宮くん、ホントに彼女いないの?その顔で?無駄遣いだよ、無駄遣い。どっかに還元しなよ。写真撮っていい?」

「……嫌です」

「え〜、仕事で疲れたお姉さんたちの癒やしになってよ〜」

「…………」

 おいおい、そのへんにしといてくれよ。もう会社行きたくないなんて言い出されたらたまらないからな。


「社長!」

 俺が午後からの外回りに出かけようと廊下に出たとき、裕揮が走って追いかけてきた。

 えっ?俺は慌てて振り返る。

「なんか困ったことあったか?」

 裕揮から話しかけてくるなんて珍しすぎて嬉しくて、まるで過保護な保護者のような気持ちになって立ち止まった。どうした?意地悪するやつがいるなら、俺がとっちめてやるぞ?

「あの、ちょっと一葉のことで相談があって……今日って仕事、何時終わりですか?」

 話は当然、意地悪されている話などではない。

 一葉のこと?もしかして、一葉との関係について、裕揮なりに色々と考えているのか?

 今日は、やっておきたいことがいくつかあって遅くまで会社に残るつもりでいたが、そういうことなら裕揮の気が変わらないうちに相談にのっておくべきだろう。

「そうだな。夜ならあいてるよ。帰りに裕揮んちに寄るよ」

「何時ですか?」

 やけに時間を気にするな。と思っていると、裕揮は俺の表情を敏感に読み取ったのか、「いや、寝ちゃうと悪いかなと思って。昨日、遅くまで本読んでたもんで」と付け加えた。

「じゃあ8時ぐらいに」

 俺が言うと、「わかりました」そう言って裕揮はオフィスに戻って行った。

 雪解けの予感がした。裕揮が俺に心を開きかけている。そして一葉との関係を真剣に考えようとしている。いいぞ。二人が良好な関係を築き、それぞれが自立して、将来に希望を持てるようなそんな生活が送れるよう俺は惜しみなく協力をしようじゃないか。

 胸がいっぱいになっていた。


 取り敢えず必要最低限の仕事をやり終え裕揮のマンションに着いたのは、7時40分くらいだった。

 インターホンを鳴らすと、裕揮は誰が来たのか確認もしないでいきなりドアを開けると、開口一番「早かったですね」と言った。

「うん、思ったより早く着いて……タイミング悪かったか?メシの途中?」

「あ、いえ。ちょっと、びっくりしただけ」

 そう言って、どうぞ、と俺を部屋に招き入れる。

 ここに来たのは裕揮が入社した日以来だ。と言ってもまだ三日前だ。部屋の隅にあったダンボール箱は片付けられ、細々とした日用品が至るところに収納されている。

 気づくと裕揮が何やらキッチンの扉や引き出しを開け閉めしていた。

「どうした?」

 意地悪なやつがいるのか?

「あ、いえ。カップを何処に仕舞ったかな〜と思って」

 裕揮は困ったように、床に這う格好でシンク下の奥の奥まで覗き込んでいる。

「俺に気を使おうとしているなら、それは必要ないからな」

 俺がそう伝えても、裕揮は、でもカップが無いとこれから困るし、とかなんとか言いながら探すのを止めない。

 仕方なく俺も一緒にキッチンに立って、色んなところを探ってカップを探したが……結局見つかったのは、なんと排水溝のゴミ受けの中だった。上に黒いゴムのカバーがかかっていたので気が付かなかった。「すいません他の洗い物と一緒にシンクに置いといたら落ちちゃったのかも知れません」と裕揮は言った。

 そしてようやくフローリングの床に座って話をする体制になったとき、壁の時計の針は結局もう8時を指していた。

「あの……一葉なんだけど」

 急に砕けた口調になると、裕揮はもじもじしながら言いにくそうに口を開いた。俺は出来るだけ真剣な顔を作って頷く。

「この前さ……その、俺んちに来てさ、やったじゃん」

 やった、と言うのはつまりあれのことだろう。

「なんか、一葉からやりたがるのって初めてでびっくりしてさ。ていうのは一葉から聞いたと思うけど、前は俺が我慢出来なくてやってただけで、一葉はどっちかって言うと受け身な感じだったんだよね。なのにこの前はやけに積極的でさ。やってる最中も、もっと、もっと、って」

 ん?なんだか生々しい話だな。結局、何の話なんだ?いや、まて、もう少し話を聞こう。

「それでさ、思ったんだ。もしかしたら一葉はさ……俺が居ない間にきっとすごく気持ちいいセックスをしてたんだって」

 そこで裕揮はズイッと身を乗り出すと、俺の顔を覗き込むようにして言った。

「俺にも教えてよ」

 は?

 いやいやいやいや!無理無理無理無理!

 いくらイケメン好きとはいえ、自社の社員と……ってそんな綺麗な顔で見つめるな!しかも至近距離で!

 まさかそんな話だとは思っていなかった俺が思わず後ずさると、それに合わせて裕揮が更に距離をつめる。うっ、イケメン。心臓がドキドキと早鐘を打った。俺の意志とは逆に体が熱くなっていく。

「なんで一葉は良くて俺はダメなの?」

 裕揮が悲しそうに最後のダメ押しをした。その潤んだ上目遣いに、俺の胸はぎゅうっと締め付けられて、たまらずその陶器のように滑らかな頬に手を滑らせる。

『据え膳食わぬは男の恥』とは、一昔前の男の価値観だと思っていたが、そのときの俺の頭に真っ先に浮かんでしまったのはその言葉だった。

 俺は裕揮の唇に自分の唇を重ねた。

 思えばこのとき俺は、完全に理性とかいうやつを見失っていたのかも知れない。

 裕揮が恥じらいながら自分の着ているパーカーを脱ぐのを見て、俺は自分の着ていたジャケットを脱ぎ捨てネクタイをほどいた。そして完全に裸になると、裕揮に導かれるままベッドにあがり、仰向けに寝た裕揮の上にまたがった。

「そっちでいいのか?」俺はふと気づいて訊ねる。こういう理性はまだ働いている。

「え?」

「いや、一葉とやるときは裕揮がタチだったんだろう?俺が挿れるんでいいのか?」

 俺が問うと、裕揮は、ああ、という顔をすると、「別にどっちでも。あいつとやるときはいつもこっちだったし」と自嘲気味に笑った。

 あいつって……「おまえを階段から落としたってやつのことか?」俺が言うと、裕揮の表情が一瞬固まったが、でもすぐに緩むと「まあね」と、笑った。

 嫌なことを思い出させたかな、と思いながら、裕揮のほっそりとした体を手でなぞる。入院中についたのであろう傷が痛々しい。その中で、一つだけ古そうな傷を見つけた。おへその右上あたり、小さくて丸くて引き攣れたような……これは……。

「ひろ……」

 裕揮に訊ねようと顔を上げると、裕揮は俺の方ではなく、ベッドとは反対側の壁、斜め上の高い位置に視線を向けていた。そこにあるものは確か……あ。

 しまった!!と思ったときは、もう遅かった。

「裕揮〜来たよ〜」

 玄関ドアがガチャリと開き、胸にサラダボウルを抱えた一葉が入ってきた。

 一葉は裸でベッドの上にいる俺と裕揮を見ると息を飲み、そのままゴトンと持っていたサラダボウルを落とすと、黙って部屋から出ていった。

「一葉!」

 俺は慌てて声をかけたが、裸のまま追いかけるわけにもいかず、裕揮にまたがったまんまの姿勢でなすすべなく一葉が出ていったドアを眺めた。え……何が起こっている?

 俺が呆然としていると、すぐ側でクックックッと笑う声がした。ゆっくり裕揮の方に視線を向ける。裕揮は、笑いを堪えきれないといった感じでお腹を抱え、俺と目が合うなりこう言い放った。

「あーあ。嫌われちゃった」

 天使の顔をした悪魔が微笑む。

 嘘だろ、俺……はめられたのか?

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