哲志−6
「てっしさんペース早くない?まあ抱き放題パックだからいいんだけどさ。俺がバイトのときは日付ずらしてもらって大丈夫?我慢できる?」
一葉が軽口を叩きながら俺の部屋にあがりこんできた。
「まだ居酒屋でバイトしてんのか。もう必要ないだろ」
俺は鍋の仕込みをしながら答える。昨日、あおば園に行ってから、俺はすぐに、一葉に「会いたい」とショートメールを送っていた。決して我慢できないからでは無い。癪だがもうそんな年齢ではない。
「それがさあ、今住んでるとこ裕揮と二人で住む用にちょっと広めのとこ借りてるから俺一人だと家賃が馬鹿にならないんだよね」
一葉は肩からリュックサックをおろしながらそう言うと、ハッとしたような顔をして、「だからって、てっしさんにタカろうとか思ってないからね」と、付け加えた。
「わかってるって」俺は笑ってやり過ごす。
「俺も手伝う」一葉がキッチンに入ってくるなりダイニングテーブルの上に置かれたカセットコンロを見て「あっ!」と大声を上げた。
「何?」
「これ、鍋置くやつでしょ?!」
一葉はまるで、遊園地でお目当ての乗り物を見つけた子どもの様に興奮していた。
「そうだけど……え?なんかマズかった?だいぶ冷えてきたから鍋でいいかと思ったんだけど」
「これ、やってみたかったんだよ!裕揮はさ、要らないって言うんだよね。キッチンで火を通してからテーブル持ってきゃいいじゃん、って。でも鍋っていったらこれじゃん?」
一葉は手伝いも忘れてカセットコンロを上から下から眺めていた。
俺はその様子をポカンと眺めながら、改めて一葉の置かれた境遇を思った。
家族で食卓を囲んだことが無いのだ。きっとデリバリーを頼んだりしたことも無いかも知れない。
次に会うときはピザでも取ろうか、と思った。次があれば、の話だが。
「いつもご飯ごちそうになってるからさ、今度は俺が奢るね。安いものしか無理だけど」
一葉は左手に茶碗、右手に箸を持ちながら、まだカセットコンロを上から下から眺め、ぐつぐつ煮える鍋の中身を覗き、火の加減を何度も確認しながら言った。
俺は、ぷはっと笑って「そんなの気ぃ使わなくていいよ。ていうかちょっと落ち着いて食えって」と一葉の碗を取って肉や野菜を入れてやる。
「春菊……」
一葉は碗からへたった葉っぱを箸で摘んで持ち上げた。
「うん、春菊。苦手?」
「俺さあ、産まれたときに毛布に巻かれて病院の前に置き去りにされてたらしいんだよね」
いきなり始まった身の上話にドキッとした。内容がいきなりじゃないことにドキッとしたのかも知れない。その話は昨日、あおば園の施設長から聞かされたばかりだ。
「ちょうど今ぐらいの、紅葉が始まった時期だったらしいんだけどさ、偶然なのか、俺を産んだ人が置いたのか知らないけど、俺の上に
一葉は箸で摘んだ春菊をくるくると回し、「だから俺の名前『一葉』」と、いつまでも口に入れずに回し続けるのを、俺は黙って見ていた。
「昔はねえ、嫌いだったよ、この名前。葉っぱってたくさん集ってるものでしょ。なのに一枚だけなんてさ。なんか寂しいじゃん。でもさ、最近、思うんだよ」
「何を?」俺は遠くへ行きかけている一葉の意識を引き戻すように慌てて口を挟む。
「これを置いた人はさ、俺を育てるために必要なものは何も持ってはいなかったけど、せめて何か残したくてさ、そのとき目に入った綺麗な葉っぱを俺の上に乗せたんじゃないのかなって」
そう言って一葉はやっと、『これ』と呼んだ一枚の春菊を、大事そうに口に入れた。紅くもなければ、熱い出汁でへたってしまった、お世辞にも綺麗とは言えない緑色の葉っぱを。
「子どもを置き去りにすることが許されることだとは思わない」
俺はきっぱりと言った。
「でも、きちんと毛布で包んだり、わざわざ病院の前を選んで置いたところには、何かしらの想いは感じるな」
素直に思ったことを俺は伝えた。それ以上もそれ以下もない、率直な感想だ。
一葉は時が止まったように暫く俺の顔を見つめていたが、やがてフイッと顔を逸らすと、「そうだね」と小さな声で呟いた。声が震えていた。
「あおば園に行ってきたよ」
食べ終わった鍋を片付けながら、何かのついでのように俺は切り出した。
使った食器を流しに運んでいた一葉の動きが止まる。
そして俺の顔を見るその表情は、非難の色に満ち満ちている。うん、予想通り。
「裕揮の過去を聞いたよ」
俺が言うと、一葉の目はこれ以上ないくらい大きく見開かれた。
「はあっ?!信じられない!!てっしさんもてっしさんだけど、教える方もおかしいよね?完っ全に人権無視じゃん!ホント信じられない!」
一葉は顔を真っ赤にして「俺、帰る!」と乱暴にシンクに食器を置くとリュックサックを手に取り玄関へ向かった。
「一葉!待て!」
俺は一葉に駆け寄ると、腕を掴んで引き止めた。一葉は振りほどこうと力を込めるが俺は離さない。今、離したら駄目なんだ。ここで離してしまったら、一葉も裕揮も、俺がここにいる意味も何もかも全部が駄目なんだ。
「俺が適当なこと言って無理矢理訊き出したんだ!施設長はおまえたちのこと心配して話しただけだ」
「心配の仕方おかしいでしょ?!他人のプライバシーをベラベラと」
一葉の掴んでない方の手が、俺の手を引き剥がそうと伸びてきた。その手を更に俺のもう一方の手が掴む。
「一葉!」
これだけは聞いてくれ。それまでは帰らないでくれ。
「おまえ……無理矢理裕揮に応えていただけじゃないのか?」
――一葉の動きが一瞬止まった。
確かな手応えを掴んだ俺は、その瞬間を逃さず畳み掛ける。
「おまえは裕揮の過去を知っていたから拒めなかったんじゃないのか?拒んで裕揮を傷つけたくなかったから。本当は裕揮の一方的な……」
「違う!!」
空気を切り裂くような一葉の声が響いた。
「てっしさんは、なんにもわかってない!俺のことも!裕揮のことも!」
「ああ、わからない!だったら教えてくれよ!」
負けじと俺は大声を出す。こんな大声出したの何時以来だ?
それに応えるように、一葉も声を張り上げた。
「裕揮は自分を抑えてたんだよ!俺が女の子しか好きじゃないってわかってたから!求めたら俺を傷つけるってわかってたから!でも……でもあいつ!急に家を出ていくって言ったんだ!これ以上一緒にいたら、いつか自分を抑えられなくなってしまうかも知れない、自分も『あの男』と同じになってしまうかも知れないからって言って」
一葉の目からポロリと涙が溢れた。あの男……幼い裕揮を踏みにじった、母親の内縁の夫。
「でも、俺は許せなかったんだよ!家を出て自分だけ楽になるなんて……俺を一人ぼっちにして行くなんて……だから」
一葉のひざがカクンと折れて、腕を握っていた俺の手にぐんと負荷がかかる。だらんと腕だけを俺に預けた恰好で、一葉は床に沈み込み、喉から絞り出すような声で、「だから……俺が自分から裕揮に『抱いてくれ』って言ったんだよ」と言った。
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