哲志−5

 腑に落ちない。一葉と裕揮の間には、何か歪なものを感じる。BLじゃあるまいし、一緒に暮らしたくらいでノンケの人間が同性同士でセックスしたりするだろうか。


『あおば園』と書かれた門の前に立っていた。さっき、裕揮のお見舞い、という口実で裕揮の入院する病院へ行き、新田看護師を捕まえ、一葉と裕揮が入っていた児童養護施設の名前を知らないかと訊いてみた。

「なんだったっけ?」

 新田看護師は、隣にいた少しふくよかな女性看護師に向かって訊ねた。

「あ〜、なんか一葉くんに聞いたような気がする。なんだっけ?みつば園?よつば園?」

「あおば園でしょ」

 さらに奥で作業をしていたショートカットの女性看護師が口を挟んだ。

「あっ、そうそう!あおば園です!」

 新田看護師は、まるで自分の手柄を披露するかのように胸を張って俺に言った。


「あの、何か?」

 あおば園の前で突っ立っている怪しいオッサンに、三十代と思しき女性が声をかけてきた。髪をひとくくりにし、長袖のシャツにジャージのズボンという、動きやすさ重視の格好で、お揃いの黄色い帽子にスモッグを来た幼稚園生を三人連れている。

「誰〜?」

 子どもの一人が、俺にではなく女性に向かって声をあげた。当然、答えられるはずはない。

 困惑している女性は、おそらくここの職員だろう。

 俺は自分の名刺を取り出すと、「わたくし、こういうものです」と女性職員に渡し、「実は、我社では施設出身の方を対象にした採用制度というものに積極的に取り組んでおりまして、先日ひょんな事で知り合った山口一葉くんと篠宮裕揮くんに是非当社で働いていただけたらと思っているのですが、良ければこちらの施設で暮らしていたときの様子を教えていただきたいと思いまして。身上調査というわけではなく、当社には企業内カウンセラーも常駐しておりますので、心のトラブルなどに対応する必要に迫られたときのために、参考までに」

 俺はさっき車の中で考えた口からでまかせをベラベラと女性職員に向かって喋った。ひょんな事って何だよ、と我ながら笑えてくる。

「はあ……」

 女性職員は俺の名刺を見つめ、突然の状況についてこられずといった様子だったが、子どもの「いっくんとひろくん、どしたのー?」という声にハッとすると、「は〜い、みんなおうちに入ろうね〜」と子どもたちを門の中に入るよう促し、「ちょっと施設長を呼んできますので、お待ちいただけますか?」と俺に向かって言った。

「ええ、もちろん」俺は笑顔を見せる。

「いっくんとひろくん、どこー?」

 子どもの一人が俺に訊ねる。

「お仕事だよ」

 俺は屈んで、子どもと目の高さを合わせると、これまで出したこともない優しい声を作って答えた。その効果なのだろうか、いっくんとひろくんは、去年まではこの子たちのお兄ちゃんだったんだな、とじんわりと優しい気持ちが湧き上がった。

 施設長とやらが現れるのを門の外で待ちながら、こんなことをしているのが一葉にバレたらまた「ルール違反だ」と大目玉だな、と背すじをゾワッとしたものが走るが、一つだけハッキリしていることがある。

 一葉と裕揮は付き合ってはいないが、だからといって一葉が俺のものになることは絶対にない。それだけは明白だ。何故なら俺は恋愛対象から外れているから。一葉は異性愛者だ。つまり、嫌われないように気を使う必要がない。……まあ、できれば嫌われたくはないが。

 それより今は、一葉と裕揮の関係だ。あの二人にはきっと何かがある。

 そのとき、門の中の建物の扉が開いて、中から俺の名刺を手にした初老の男性が姿を現した。

「突然すみません。皆川と申します」

 俺は丁寧にお辞儀をすると、先程女性職員にしたのと同じ説明を、施設長だと名乗る男性に繰り返した。施設長は話を聞き終わると、「一葉と裕揮を」先程の女性職員と同じように困惑しながら言った。

「はい。一葉くんと裕揮くんを」

 俺は最上級の笑顔を浮かべ、まだ不審の色を浮かべている目の前の人物になんとか安心感を与えようと奮闘した。どうか怪しい人物だと思われませんように。社長が自ら新入社員の人となりを調べになんか来るわけがないと疑われませんように。

 幸い疑われることなく、俺は建物の中に案内された。


 通された場所は、この施設で使われている食堂のようだった。奥が調理場になっており、広いホールにいくつものテーブルといくつもの椅子が並んでいる。初めて病院で新田看護師と向かい合った集会室を思い出した。

 木のぬくもりを感じる廊下には、窓から淡い日差しが差し込んでいた。どこからか、子どものはしゃぐ声が聴こえる。バタバタと廊下を走る足音も。

 ここで育ったんだな……と、小さな一葉が走り回る姿を想像する。

「二人ともいい子でしたよ」

 俺の向かいに座る施設長が唐突に言った。

「あ、え、ええ。とても好青年ですよね」

 虚を突かれた恰好になった俺は慌てて答えた。

 俺は佇まいを直すと、さて、何から訊こうかと悩むが、結局直球で行くことにする。

「二人は仲が良かったようですね」

「ええ。あの学年は一葉と裕揮の二人だけでしたから。高校も一緒のところを選ぶくらい仲が良かったです。裕揮は頭が良かったので大学進学の話も出ていたんですが、『一葉が就職するなら俺も就職する』って裕揮がきかなくて……卒園後に住む場所も一緒のところにしたぐらいです」

「住むところまで?」俺はわざと大袈裟に驚いてみせた。「それは、よっぽどですね。ここでもいつも二人でいたとか?」

「あ、いえ、もちろん二人でいるときもありましたけど、一葉は明るくてムードメーカーみたいなところがあったのでみんなに慕われていましたし、裕揮はおとなしいんですが、下の子たちの宿題やなんかを見てあげたりして、二人とも周りに馴染んでいましたよ」

 施設長が懐かしむように笑い、心からそう思っているのが伝わる。決して二人の就職が有利になるように取り繕ってなんかいない、という風に。ふむ。ここにいた頃には、二人が特別な関係にあったという感じはなさようだ。少なくとも誰かの目につくところでは。ということは、二人で暮らし始めてからか。

「卒園してからはお会いになってないんですか?」

「最初のうちはよく遊びに来ていたんですが……最近顔見せないですね。忙しいのか、たまに職員が一葉に電話すると『二人とも元気だよ』って言ってるみたいですが」

 やはり一葉は裕揮が入院していることを施設には内緒にしているようだ。

「あの、二人はいつからここに?」

 俺のその質問は、施設長の顔色を変えた。それは二人の、とても繊細な部分に触れるようなものだ。二人だけではなく、ここにいる子どもたちは何かしらの理由を持ってここにやってきたはずだから。

 施設長は少し間をおいてから、「その答えは……必要なものですか」答えないと就職取り消しですか?と伺うように俺を見る。

「いえ、就職の条件とは直接関係ありません。ただ、力になれることがあれば、とは思っています」

 少し罪悪感を持ちながら俺は答える。そもそも就職の話からしてもう嘘なのだ。でも、力になれることがあれば、というのは嘘じゃない。俺は知りたいんだ。一葉は何を隠している?

 施設長を一つため息をつくと、「守秘義務がありますので、私の独り言だと思って聞いて下さい」と前置きをしたあと、「一葉は乳児院から直接ここに来ました。あの子は親の顔も知りません。裕揮は、小学校二年生からです」と言い、そのまま口をつぐんだ。どうか、あの二人を支えてやってほしい、という願いが、その表情には宿っていた。

 覚悟はしていたものの、施設長の言葉は俺に思ったよりもずしんとした重みを与えた。

 一葉は、産まれたときにもう既に親から手を放された人間。そして裕揮は……成長の過程で、施設に入る人間の大多数がこれに当てはまるという。おそらく、親による虐待。育児放棄。

「虐待ですか?」

 俺は敢えてハッキリと訊ねた。施設長が、こくりと頷く。

「親の居場所はわかっているんですか?」

 その質問に、施設長はため息をつきながら首を振った。

「二人とも、親は行方知れずです。一葉は産まれたばかりの状態で病院の前に置きざりにされていましたし、裕揮は学校に来ないと担任が家庭訪問したところ、母親の内縁の夫と暮らしていたんです。母親はもう居なくなっていて、内縁の夫も行方は知らないと」

「じゃあ虐待していたのは、その内縁の……」

 言いかけたところで、俺はハッとした。そんな事件はこれまでも何度も新聞やニュースで見かけた。

「性的虐待を?」

 俺の言葉に施設長がギュッと眉を寄せたそのとき……。

「施設長〜!写真ありましたよ!全部本人たちに持たせたかと思ってましたけど、一枚残ってました」

 場違いな明るさで、先程の女性職員が食堂に飛び込んでくる。その手には、ファイルのようになっているアルバムがあった。

「これ、ここにいたときの一葉くんと裕揮くんです。卒業のとき記念に撮ったやつかな」

 そう言って俺の前のテーブルにアルバムをバサと置いたとき、「どっ!!」

「え?」

「あ、いえ」

 思わず声をあげそうになった口を慌てて手で押さえた。

 どっっっっストライク!!!

 先程くぐったあおば園の門の前、笑顔でピースサインをしている制服姿の一葉の横で、同じ制服に身を包みカメラを睨むようにして立っている裕揮の顔が、もろ俺のタイプじゃないか!

「裕揮くん、イケメンですよね〜。テレビ以外でなかなかいないですよね〜これほどのイケメン」

 女性職員が写真を眺めながら、ほ〜、と熱っぽいため息をつき、俺は思わず、わかります!と彼女の手を握りそうになってしまった。

 俺の好み、若くて超絶イケメン。他人を見下すような王様タイプ。……王様タイプ?

 そのとき何か閃くような感覚があった。裕揮が王様タイプ。そして、俺は以前一葉をなんと例えた?

『王様にずっとくっついている最も信頼されている従者』

 あ。

 俺の中で何かが繋がっていく。

「あ、あの、ありがとうございました。一葉くんと裕揮くんのことはお任せください」

 俺は立ち上がると、後ろも振り向かずに早足であおば園を出た。繋がっていくものが途切れてしまわないように。

 俺はスマホを取り出すと、一葉のガラケーに向けてショートメールを打った。








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