哲志−4
オジサンが恋をして何が悪い。そして相手に恋人がいるとわかっても無駄にあがいて何が悪い。
そして恋い焦がれる人の事情を知ってしまった今、放って置けるはずもない俺が考えた最適な策がこれだ。
『裕揮が目覚めるまでの間、一葉を俺のものにしておく(入院費と引き換えに)』。
不毛だろうが虚しかろうが、どうでもいい。金だけの関係でもいい。どうせもう振られているんだ。だったら少しでも楽しい時間を俺は過ごしたい。幸い『切ない』なんて感情は、今までの人生のどこかの過程で失くしてしまったらしい俺は完璧な合理主義者だ。
「うおっ!めっちゃ、かっこいい部屋!」
俺のマンションの部屋にあがるなり一葉が声を上げた。
確かに普通のマンションとは間取りも異なり作り手の個性が強く出ている、いわゆるデザイナーズマンションというやつだが、別に俺が選んだわけじゃないし、俺は住めればどんなでもいい。
「適当に座って」
俺はキョロキョロと部屋中を見回す一葉に向かって言った。
スーツのジャケットとネクタイを外してダイニングの椅子に置き、ワイシャツの首元のボタンを外して冷蔵庫の中を覗く。パスタくらいならいけるかな。
「ねえ、これ何?」
一葉が食いついたのは、リビングの隅に置いてあった電子ピアノだった。
「ピアノ」
俺は答えながらパスタを茹でるためのお湯を沸かし始めた。
「ピアノ?弾いていい?」
言いながら一葉はもう蓋を開けている。
本当はちゃんとした木製のアップライトピアノが欲しかった。でもマンションだし、かさばりそうなので、妥協した。俺はピアニストでも何でもないし、ただの趣味で弾いているだけだから。
「ねえ俺、アニメの曲、結構弾けるよ」
そう言って、人差し指一本でどこかで聴いたようなメロディーを弾き始めるものの、「あれ?」「あれ?」と言いながら一葉が何度も間違えるから、そのたびに俺はほうれん草やベーコンを切りながらハハハッと笑った。
「おかしいな。前はもっと弾けたのに」
唇を尖らせながら一葉はピアノの蓋を閉じた。
「美味いよ、ホントに美味い。てっしさん社長でカッコよくて料理も上手ってイケメンすぎじゃない?」
一葉は、ダイニングテーブルについて「いただきます」と手を合わせ、俺の作った適当パスタを頬張るなりそう言った。
そして、うーんと口の中で少しパスタを転がすと、「ニンニクと、塩と、黒胡椒、オリーブオイル……コンソメも少し入れた?」と俺に訊ねた。
「正解。一葉も料理するんだ?」
「まあね。料理は俺担当なんだよ。裕揮に任すと全部インスタントになっちゃうから」
「男のメシなんてそんなもんじゃねえの?」
「いや、俺はきちんと作ったやつを食べたい派なの」
それは俺も同感だ。どんなに疲れて帰ってきても、習慣のように家で米を炊いてしまう。買ってきたもので済ませるのは、どうも味気ない。
一葉はよく食べ、よく笑い、よく喋った。裕揮とは小学校から高校まで一緒だったこと。でも高校では裕揮だけ特進クラスという頭のいいクラスに属していたので、一回も同じクラスになったことがないこと。裕揮はその特進クラスの中でも成績トップだったこと、など裕揮の話ばかりで少し妬けたけど、こんなふうに誰かとまったり食事をするのは久しぶりで、俺はそのとき、一葉と過ごす時間を心から楽しんだ。
洗い物は俺がする、という一葉の申し出を受け、俺はダイニングテーブルの上で持ち帰った仕事の資料を整理しながら、キッチンに向かう一葉の背中を観ていた。
カチャカチャと食器同士がぶつかる音、水がシンクに当たる音、一葉が小さく歌う、良くわからない歌。その音が全部やんで、「よし!」と一葉が手を拭くのを待って、俺は後ろから一葉を抱き締めた。
そのまま一葉の耳元にキスをして、ズボンのホックを外し中に手を入れる。んっ、と一葉の口から声が漏れた。
俺は一葉の腕を引っ張ってリビングへ連れて行き、ソファに押し倒すと上に覆い被さった。
「ここでするの?」
もう目をとろんとさせている一葉に「悪いけど、ベッドには本命の恋人しか入れないことにしているんだ」と俺は一葉の服を脱がせながら答え、今さら何を一線引こうとしているんだ、と心のなかで自嘲ぎみに笑う。
ホテルの間接照明の中でするのとは違って、リビングの煌々と光る照明の下でするのは、汗の一雫までもをくっきりと浮かび上がらせる、恥辱にまみれた行為だ。
俺は一葉の額に滲む汗を指先で拭いながら、その勢いで膨張した髪の中に指を差し入れた。
「これって、天然?」
俺が訊ねると、それまで恍惚の表情を浮かべていた一葉の顔が一変し、たちまちムッと唇を尖らせると「そうだよ。悪い?」とジロッと俺の顔を睨んだ。
悪いことを訊いてしまったのかも知れない。おそらく今までも、周りの人間に散々言われてきたことなんだろう。子ども時代は髪のことで、からかわれたりもしたかも知れない。子どもというものは、可愛いものであるのと同時にときに残酷なものであるから。
でも、「いつもどこで髪切ってる?」俺は一葉の髪の質、つむじの向きなどを丁寧に観察しながら訊ねた。
「千円で切ってくれるとこ。10分くらいでさっと」一葉が答える。
俺は、うーんと考えながら「ああいうところはスピード重視だからな。俺が切ってやろうか?」と体を一葉から離した。
「えっ?」
一葉が驚いて体を起こすと「てっしさん、散髪まで出来るの?」と、目を輝かせた。
「んー、俺、いつも自分で切ってるから。床屋とか苦手なんだよ、きゅうくつでさ」
俺はパンツを履いて、一度寝室へ行くと、Tシャツとスウェットのズボンを着てリビングに戻った。
「うおっ!てっしさんって部屋着姿もかっこいい!」
パンツを履いていた一葉が声を上げる。
「あ、一葉はそのまま。パンイチでこっち来て」
「え?」
俺は一葉を呼んでダイニングを横切ると、奥にある脱衣所の扉を開けて洗面台の前に一葉を立たせた。そして収納棚の引き出しからバリカンの箱を取り出すと、中からバリカンを出してスキ刈り用アタッチメントを出してセットする。一葉はその様子を黙って見つめていた。
椅子がいるかと思ったが、俺が181cmあるのに対し、一葉は170cmもないくらいなので、上の方をやるときに少し屈んでもらえればなんとかなりそうだった。
コンセントを差し込みバリカンを起動させる。一葉の髪は量が多いだけでなく、クセが強いので、単純にすくだけではまとまりが無くなってしまう。適度に重さを残しつつ、バランスを重視した方が絶対にいい。
俺は視線を、鏡と手元とで何度も往復させながら、丁寧に一葉の髪をカットしていった。一葉はその間、動かないようにじっと体を硬直させながら、俺のする作業に協力をしていた。
「はい、出来た。どう?」
バリカンの電源を切りながら、さっきの半分くらいまで頭の小さくなった一葉に向かって訊ねる。
一葉は鏡を覗き込んで顔を右左と振りながら、何か不思議なものでも見たような顔で、「ねえ……もしかして俺ってさ、結構イケメンじゃない?」と言った。
俺は卓上用の小さなほうきでバリカンについた細かい髪を払いながら、「そうかもね」と笑った。
実際、一葉の顔は悪くはない。髪が膨張していた分、暗い印象を与えていたが、愛嬌はあるし、髪にまとまりを持たせた今では、いつも周りに笑顔を振りまいているアイドルグループの中に一人はいそうなタイプになっていた。
「ねえ、俺、もしかして女の子にモテちゃうんじゃない?」
一葉の声が一段と大きくなり、脚がぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねる。
「女の子にモテてどうすんだよ」
俺が、こらこらじっとして、と、ほうきで一葉の肩についた髪を払い落としながら言う。
「だって、俺、彼女欲しいんだもん」
「は?」
「え?」
は?
一葉は、俺、今なんかおかしなこと言った?とでも言いたげに俺の顔を見た。
「おまえ、裕揮と付き合ってんじゃないの?」
「えっ?!」
一葉は思い切り驚いた顔をしてのけぞると、「俺、そんなこと言ったっけ?!」と言って俺の顔を見た。
いや、言ってはいないが……。
「だっておまえ裕揮とヤってただろ?」
俺が言うと一葉はカアッと顔を赤くして、「えっ?えっ?なんで?なんで、そう思うの?」と恥ずかしそうに両手で顔を隠した。でも指の間から目だけは出してちゃっかりと俺の反応を伺っている。
なんでもなにも、状況証拠が揃いすぎている。俺が怪訝な顔をしているのに気づいた一葉は観念したように、「だってさあ!俺らてっしさんとは違って若いからさ、溜まるんだよ!そんでさ、お互い彼女もいないしさ、一緒に住んでたらちょっとヤってみようぜってなってもおかしくなくない?」と早口でまくし立てた。
え、おかしくなくなくない。ていうか、今、俺、軽くディスられたような……。
「じゃあ、おまえと裕揮はセフレってこと?」
俺が言うと一葉はギョッとした顔をして、「セフレ?!う、いや、まあ……そういうことに……なるんかな、うん」とまた顔を赤らめた。
ええ〜……。なんだ、それ。いや、待って。ちょっと整理しよう。
ええと、一葉の恋愛対象は女性。でも男とも出来る。そして一葉と裕揮は恋人同士ではない。そして俺はそんな一葉に恋をしている……。
……複雑すぎて、どう処理していいかわからん。
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