第23話 何かが崩れる

俺の目に映るのは、掲示板に貼られている端的な円グラフ。

支持率の中間発表だ。丸が四つの区間に区切られていてそれぞれ色分けされている。

一眼見るだけで現在の状況が分かる。大変ありがたい。


咲ヶ原翔平 約45%

安住仁 約15%

田中柊磨 約2%

未確定 約38%


笑うしかなかった。晒し首にされている気分だ。

ただもう、恥ずかしいなんていう気持ちもない。

「あなたって本当に人望ないんですね」

隣で冷静に呟く恋咲先輩。もうちょっと気遣えよ。

「でも本当にどうするつもりなのですか」

この人なりに心配してくれてるのかな。いや、そんなことないか。

「ふふっ。ここからです」

俺は恋咲先輩へ自信満々に親指を立てた。

「え?」

「この勝負は必ず勝ちます」

恋咲先輩は全く信じていないようだった。細まった目でじとっとこちらを見ている。俺のいつもの軽いノリで言うでまかせだと思われたのだろう。

だが、今回は明確な根拠があった。

もうすでに選挙期間は佳境だ。それなのに俺はろくに活動できていない。せっかく漫研の人たちまでも協力してくれていると言うのに。

支持率の低さは元々の俺の人徳のなさもあるだろうが、この期間は裏でコソコソやるのに必死で極端に人前で活動出来ていないということもあるだろう。得体の知れない人間を生徒会長にするほど、ここの生徒は馬鹿じゃない。

ここからだ。今俺が持っている一発逆転かつ、起死回生の切り札。

これを貰ったのは昨日。真夏先輩と夜の学校に侵入した時だ。真夏先輩は内通者の正体に気がついていた。そして、それが誰なのかも教えてもらった。その正体こそが切り札。

これを使って、俺はこれから賭けに出る。

内通者を炙り出す賭けに。


舞台は2年生のフロア。トイレ横。

俺は今真夏先輩と向き合っている。ゆっくり深呼吸してから、俺たちは話し出した。

「どーすんの!ここから」

少しいつもより力が入った話し方の真夏先輩。ちょっと緊張しているのだろう。真夏先輩は相手を騙したりするのがあんまり得意ではなさそうだ。

「まあピンチではありますね。でも手に入れちゃったんですよ」

トイレから1人の生徒が出てきた。普通の動作で自分の教室がある方向へ歩き出した。

「うん?何が」

「真夏先輩。これは咲ヶ原の」

咲ヶ原という単語だけ少し大きめに言う。

そのあと俺は真夏先輩の耳に顔を近づけた。何も言わずに、2秒ほどしてから顔を離す。

「うそ!どこから入手したの」

「それは言えませんけど、まあ協力してくれた人がいて」

その人物は足を止めて一瞬、こちらを見た。俺も真夏先輩もその人の様子を視界の隅っこで確認する。

その人はすぐに普通の様子に戻り、少しだけ歩幅を広くしてどこかへ歩き出した。その背中は明らかに動揺していた。

俺と真夏先輩はその人が角を曲がり姿を消した瞬間、作られた会話を止めて頷き合う。すぐさまその人の足跡を辿るように後を尾けた。

緊張しながらも、少しだけワクワクしていた。

「ここで、失敗したら全部終わりですよ。絶対バレないように」

「うん」

俺と真夏先輩のヒソヒソ話の最中にその人は自分の教室を通り過ぎる。予想通りだ。そしていまだに歩くスピードは速い。

目的地へとなんの迷いもなく進んでいるのだとわかる。後ろを振り向きもしない。見失わないように追う。

そして、その人は階を跨ぎさらに進んでいった。足を止めたのは一つの教室。

真夏先輩と廊下の隅に隠れた。

その教室は咲ヶ原が普段、活動しているところだ。真夏先輩ともう一度目を合わせる。

確定だな。言葉は発していないのに、二人の意思は通じ合っていた。

内通者を罠にかけることに成功した。それなのに、ちっとも心は晴れない。

正直、ショックだった。

もう決心はついたというのに、心のどこかでこうはならないでほしかったと願っていた。

その人はノックをする。数秒後、咲ヶ原がひょっこりと顔を出した。少し驚いているようだ。

俺はスマホでその瞬間を撮った。手が少し震えて、それでもなんとか堪えながら。

「何?急に」

咲ヶ原の戸惑ったような声。しっかり俺の耳にも届く。何を言っているかも認識できてしまう。

「田中くんが、あなたの何かを入手したそうです。気をつけておいたほうがいいかと思って」

悲しみと焦燥感に襲われた。心を殺してさらにシャッターを切る。

深いため息。俺のスマホに写っているツーショットを見て思わず漏れ出した。

網膜に焼き付いて離れない。

思わず目を背けたくもなる。

そこには、咲ヶ原と話す安住の姿が写っていた。

「・・・」

安住は咲ヶ原に腕を引っ張られてその教室に入る。

「行ってくる」

真夏先輩は教室目がけて駆け出した。足音は立てない。器用なことをするもんだ。俺はその様子をぼーっと眺めてているだけ。

風に乗るように駆ける真夏先輩は教室に手を伸ばした。

もう少しで扉に手が触れてしまう。

しかし、真夏先輩の俊足はその教室を通り過ぎて隣の教室の外壁に設置されているもう使われていないロッカーに向いた。

俊敏な動きでロッカーの上に手を伸ばす。

掴んだのは録音機器。

それをしっかり手に取ってすぐさまUターン。

ここで扉が開いたら全ておしまいだ。

俺は少し心配したが、杞憂に終わった。静かに、しかし疾く戻ってくる真夏先輩。そのままの流れで俺たちはその階から姿を消した。


俺と真夏先輩は部室に、華菜先輩と佐藤さんも呼び出した。

なぜか恋咲先輩もいる。

「今日はシフトが少し遅いので」

そんなことを言った。なんやかんや言って生徒会のことが気になっているのだろう。結構ずっと俺たちのことを気にかけてくれている。

「じゃあ恋咲先輩も聞いてください」

俺は録音テープを取り出して再生した。

最初は3人ともポカンとしていて、どういうことなのかわかっていなかったが、咲ヶ原と安住の会話の骨格が浮かび上がっていくとその表情はなくなった。

一通り再生し終わると、沈黙が場を埋め尽くす。

そのまま俺は現像した昨日の写真を机に置く。

咲ヶ原の教室に、安住が訪れているところ。

その写真が瞳に映ると、3人の表情はさらに絶句へと変わっていった。

「俺と安住の同盟の内通者は安住です」

自分で言っててなかなかこたえた。

場の空気が格段と沈む。

「・・・マジかよ」

佐藤さんがいち早く冷静に事態を見たのだろう。たった一言そう呟く。

恋咲先輩と華菜先輩はいまだに何も話せない。

でも今は二人を待っている時間が無い。

俺は話を進めた。

「真夏先輩が気付きました」

「なんで?どこで」

佐藤さんは聞く。

「だっておかしいもん。田中くんと安住くんの同盟が分裂したのに、咲ヶ原くんは何もアクションを起こさなかった。何もやることを変えずに淡々と選挙活動をするだけ。普通どうにかして安住くんと接触してさらにこっちを攻撃してくるはず」

真夏先輩は疲れたように一呼吸置く。

「なんで咲ヶ原くんが安住くんに対して何も行動しなかったのか。それは、元々味方だったからだよ」

俺はもう一度その写真を見た。

安住の生徒会長に対する情熱は嘘だったのか。全部咲ヶ原の指示に従っていただけ。

そう思うと無性に腹が立ってくる。裏切られた悲しみなんてものはすでになくなっていた。ただただ安住にむかついている。咲ヶ原以上に。

「こんな罠に簡単に引っかかりやがって」

必死の表情で咲ヶ原に俺の情報を伝えている安住。もう目が慣れてしまった。

俺はその写真を持つ。今すぐにでも破り捨てたい。握り潰したい。燃やしたい。

でも、それは今じゃない。

「この写真は、安住を追い詰めるために使うんじゃなくて」

普通、この写真を安住に見せて脅したりするのがセオリーだ。でも、俺はしない。

「咲ヶ原を追い詰めるために使います」

大ボスに真っ向勝負を仕掛ける。

「なんでそんなド直球に行こうとするの」

佐藤さんは呆れた様子だ。

俺が答えるより先に別の人から新たな言葉が投げられた。

「どうせ、私たちが何か言っても聞かないんでしょ?」

華菜先輩だった。諦め半分の声。でも少し微笑んでいた。

「え?」

「柊磨は頑固だから。自分で決めたものは絶対曲げないもんね」

優しい表情で笑う華菜先輩。

「・・・はい」

家族以外で俺のことを理解してくれている人がいる。こんなこと、想像したことも無かった。今の俺ってすごく、恵まれている。

人の影に隠れて生きてきた、誰からも必要とされず、ただひっそりと息をしているだけだった俺が。今はこんなに素敵な人たちに囲まれている。

この人達だけは失いたくない。

気がつくと、恋咲先輩も真夏先輩もしょうがないなと笑っていた。

「僕は安住と一緒に頑張りたいから」

大嫌い。憎悪の対象。裏切り者。

それでも、安住が生徒会長になりたいと思っている気持ちは嘘ではない気がしていた。そう信じたかっただけかもしれない。でも同盟を組んでいたあの時間の全てが嘘だとはどうしても思えなかった。

「ああ、そうだ恋咲先輩にも一応渡しておきます。僕の政策」

恋咲先輩に俺の政策を印刷した紙を渡す。恋咲先輩は驚いていたが、拒んではいなかった。恋咲先輩も大事なサポートメンバーだ。

そして俺は一人で咲ヶ原の教室へと向かった。


冬乃は今日、久しぶりに家で夕食を食べる。父親は単身赴任。母親はだいぶ早くに逝去しているので、ほぼ一人暮らしの状態だ。もうずっとこの生活をしているので慣れを通り越してこれが日常。

「イーバーウーツです」

自炊は彼氏とご飯を食べる時にしかしない。その彼氏は今かなり生徒会選挙で忙しく、あまり一緒の時間を過ごせていなかった。

「はーい。ありがとうござ」

玄関を開けた先の光景を見て、外面用の笑顔のまま固まった。

「冬乃」

冬乃の視界の先にはデリバリーリュックを背負った恋咲が立っていた。

「最悪」

すぐに表情のメッキが剥がれて、腕を組む。

恋咲は特に大きな反応をせずに淡々とリュックの中から頼んだ麻婆豆腐を取り出した。恋咲は冬乃の自宅マンションに昔から何度も遊びに来たことがあるので、住所を観た瞬間から察してたのだろう。

「ちゃんとしたご飯食べてくださいよ。栄養偏りますよ」

「いや余計なお世話よ。別に、今日は1人だからご飯作る気がなかっただけ」

たった数秒で2人の空気感になる。落ち着きがあるが、熱がないわけではない。

恋咲は冬乃に全く臆することなく小言を言う。基本的に2人で話す時は冬乃がツッコミだ。

冬乃はもう一度、恋咲を観た。上品な見た目にポップな業務服は少しあべこべな印象だった。

「あんた、ここでもバイトしてんの」

「単発で空き時間にも出来ると聞いたので」

特に感想はなかった。恋咲がバイトをしているのは高校生になってから完全に日常の一部になっている。

「あっそ」

でも、冬乃は久しぶりに恋咲と2人で話した。最近はいつも、邪魔な男が周りを彷徨いているから。

「冬乃は、なんだか表情が暗くなりましたね」

恋咲は全てを見透かすような瞳でそう言った。

「何それ」

「昔から頑固で意地っ張り」

懐かしくなったのか恋咲は笑った。冬乃は対照的に寂しい目をしている。

「・・・昔のことなんて、覚えてないわよ」

「いつからでしたっけ、冬乃がこんなに言葉遣いが刺々しくなったのは」

あまり昔のことを思い出したくないと冬乃は思った。過去に縋りたくないから。現状が一番幸せだと信じたいから。

「・・・」

冬乃は言い返すこともしない。

「まあ、お互い頑張りましょうね」

「うん。そーね」

恋咲はリュックを背負い直す。2人だと、落ち着いて話せる。

「お疲れ。まだバイトあ」

その時、冬乃の視界から恋咲が下へと落ちていく。そこだけ床が抜けたかのように崩れ落ちる体躯。冬乃の頭の理解が全く追いつかなかった。

耳に届く大きな倒れる音。

体の血の気が引いた。こんなにも至近距離で生々しく人が倒れるのを観たのは初めてだったから。

何も考えずに、体が動く。すぐに恋咲の頭を膝に乗せた。

「ちょ!大丈夫?」

恋咲の体を揺らしても反応は返ってこない。息が荒い。体全体で息をしているかのようだ。

すぐに携帯を取り出して救急車を呼んだ。

10分ほどで来てくれるそうだ。

とりあえず、冬乃は玄関に毛布を敷き恋咲をその上に乗せた。意識を失った恋咲の姿は少し痛々しかった。

「何してんのよ・・・!」

恋咲の汗ばんだ顔に険しい表情が浮かんでいる。

冬乃はただ待つことしかできない。何かしてあげたいが何もできない。

でも、自分がテンパったところで意味はない。

一度、ゆっくり息を吐いて周りを見渡す。見慣れた玄関と、恋咲の背負っていたリュック。

頭のいい恋咲のことだ。なにか自分の体調の異変に気づいていたかもしれない。解熱剤などはないだろうか。あいにく、冬乃の家にはない。

冬乃は勢いのままに恋咲のリュックを開いた。

その恋咲のリュックの中に、何か紙が挟まっていた。冬乃はそれを徐に取り出した。

その紙には、田中の今後の政策が書かれていた。

この前、咲ヶ原に言われた言葉がフラッシュバックする。

『田中くんの政策、入手してきて』

冬乃の中で急激に邪念が増幅し出した。

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田中と先輩たち。 松村しづく @shiduku_matsumura

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