第20話 冬の女王

「これから出しに行くから」

退部届をひけらかす冬乃先輩の表情はどこか寂しそうだった。何かを偽っているような気がする。

「ただ、部長のサインが必要なのよ。華菜今すぐここにサインしなさい」

声を出したかったが、頭の中には何も浮かんでこない。最悪のタイミングでとうとう来てしまった現実。

「冬乃、一回落ち着いて」

華菜先輩がかなり間を空けてから話し出した。多分、頭の中を整理するのに時間が必要だったのだろう。

「部長が部員の退部を私用で妨害するのは権力乱用なんじゃない?」

明らかに用意していた台詞を発する冬乃先輩。華菜先輩が止めてくることを確信していたのだろう。

そしてその言葉は、華菜先輩には効果覿面だった。

次の言葉が出てこない華菜先輩に代わって俺が話す。

「お願いします。それだけはやめてください」

「うるさい。部外者は黙れ」

間髪入れずに投げかけられる鋭い言葉。

「それに、全部あんたのせい」

ボソッと冬乃先輩はそう言った。誰にも聞こえないような声で。実際、華菜先輩には聞こえていないようだった。

だから、俺はあえて触れなかった。

「また読書研究会になってしまう!そしたら、また1ヶ月以内に」

「知らないわよ」

この学校の規定により部員が5人を下回った場合は部から会に降格される。会になってから1ヶ月。部員が増えない場合はその会は廃止。

また、同じことの繰り返し。

でも次は、多分無理だ。この時期にもう1人部員を増やすなんて至難の技すぎる。

「冬乃、待って」

華菜先輩の切実な声に応えない冬乃先輩。無言で退部届を机に置く。

そして重たい手つきでペンを華菜先輩の前に。

「書いて」

華菜先輩は唇を噛み、少し見つめてから悲しそうにそのペンを取る。数秒間の間に様々な葛藤があったようにおもえた。

「あなたは、僕が羨ましいんでしょ」

俺は冬乃先輩に言った。華菜先輩の動きも止まる。

「・・・は?」

今までで一番怒りのこもった声音。たった一言で冬乃先輩の俺への憤りが爆発しかけていることが分かる。

「大好きな3人の中に1人乱入してきた俺に対する感情は羨望と嫉妬だ」

俺も少々ムカついている。気がつくと、ずっと俺が思っていた考えを話していた。

冬乃先輩はさらに逆上している。まだ何も話していないのに、表情と握り締めた拳だけでそれは十分に伝わる。でも、感情を押し殺したようだ。

「・・・きも。妄想癖?」

冬の女王はまだ崩れない。

「俺がキモいのは元からです。それより、俺の考えは否定はしないんですね」

「うるさい」

俺には何も聞こえない。

「咲ヶ原の指示に従うだけの操り人形ですか?」

「うるさい」

まだ、俺の耳には届かない。

「このままだと咲ヶ原に捨てられた時、誰も助けてくれませんよ」

「うるさい!」

乾いた金髪を激しく揺らした冬乃先輩。鍋の中でグツグツと煮えたぎったものが爆発したような。それでも少しも俺は彼女から目を離さない。

凍てつく空気が場を包む。

「冬乃・・・」

華菜先輩の声が漏れた。明らかに、苦しそうだ。

この人にこんな思いさせたくないんだけどなあ。

心が痛みながらも最後の一言。

「この退部届を処理したら部外者はあんたになるんだよ」

「黙れって言ってるでしょ!」

一度溢れ出したらもう止まらない。彼女は荒ぶり、冷静さを欠いていた。体も頭も、俺への怒りで埋め尽くされ制御が効かなくなっている。

冬乃先輩の目は血走って、小刻みに震えていた。

俺を睨みつけながらこちらにくる。

彼女が腕を振り上げた瞬間。

「2人ともやめて!」

次に限界が来たのは華菜先輩だった。

今まで過ごしてきた時間の中で一番大きな声。

「こんなの、見たくない」

力がこもっていない、心の奥底からこぼれ落ちたかのような涙声。いや、実際に涙が机に落ちた。

その一粒が視界に入った時、俺はやっと頭に相当血が昇っていたことに気がついた。

「冬乃、退部届はサインを書いて提出しておきます。だから、それ以上強く当たらないで」

血流がだんだんゆっくりになり、体の熱が冷めていく。華菜先輩は、俺と冬乃先輩を交互に見ていた。

「・・・あんたはこいつの味方なんだ」

冬乃先輩は華菜先輩を冷たく一瞥してから背を向けた。

「味方とか、敵とかそう言うのじゃ」

「あっそ、じゃあね。今までありがとう」

華菜先輩の言葉を最後まで聞くことなく、冬乃先輩は部室から出ていった。

こんな時に限って、俺は何も言えなかった。

「華菜先輩・・・」

「ごめん。今日は私も帰るね」

そう言うとメイク道具をしまって華菜先輩も部室から去ってしまった。

俺と退部届そして冷めきったヘアアイロンだけが、後味悪くこの部屋に残される。


次の日。現在HR前。安住くんのチームと俺のチームの総勢10名が一堂に介している。安住くんのチームは3人。他2人は昔から安住くんと仲のいい男女だそう。俺のチームは真夏先輩と華菜先輩、佐藤さん、そして漫画研究部の部員さんたちも全員ではないが来てくれている。今日は公約、そして同盟を全生徒に発表する日だ。

「よし、公約は大まかに言うと昔からの校則の緩和。そして、文武両道をもっと全面に。つまり部活動へのサポートを強める。この2つでいいよね?」

「ああ」

この公約にたどり着くまで、かなり悩んだ。なぜかというと、自分自身が高校にあまり不満を持っていないからだ。さらに言うと、真夏先輩が生徒会長だったからだ。

真夏先輩は積極的に昔からの理由が説明し難い悪しき校則を撤廃させたし、学校という組織の中で無駄な部分を切除してきた。それにより、部活動の規模の拡大や娯楽行事の開催が円滑に進むようになった。生徒たちの不満を大方たった1年で解決したのだ。本当に偉大すぎる。少なくとも後継が頭を抱えるほどには。

そして運よく、その時代にこの高校の生徒だったので不満も少ない。

結局、真夏先輩のやったことを継承して、さらにやりきれなかったことを実現させるという少し安直なことに帰結した。

「すごい、ありがたいよ。2人が決めたならすごい嬉しい」

実は公約を決める今日まで、真夏先輩は何も口出しをしないでくれた。俺が相談した時に、「公約は自分たちで考えるからみんなの心に響くんだよ?」と言われてしまった。だから、後輩が考えた公約が自分のいいところを受け継いでさらによくしていくというニュアンスだったことが嬉しかったんだろう。

俺は優しく笑っている真夏先輩を見て、自分も幸せな気持ちになった。でも、その隣で心ここにあらずな表情をしている華菜先輩についつい目が行ってしまう。

華菜先輩の目は心なしか腫れているように見えた。

昨日のあれから会話をしていない。今は華菜先輩に話しかけられる雰囲気ではなかった。そして、俺も頭のどこかで読書研究部のことを考えてた。考えざるを得なかった。恋咲先輩と真夏先輩には話したのかなあ。真夏先輩の様子を見る限り、まだ話してなさそう・・・。

「じゃあこの公約で行きましょう」

「今日から、とうとう始まるな」

なんとかこっちに意識を向けてから、安住くんたちと別れた。

発表はお昼ご飯のタイミング。ここからとうとう本格的に勝負が始まる。

気合いを入れ直して俺は教室に入った。いまだにチラチラと視線が投げかけられる。そんなに俺って生徒会長っていう柄じゃないのか?

なんとなく思考を巡らしていると、決められたタイミングで本鈴が鳴った。

教師が入ってきて眠そうに挨拶。その後に、プリントを配り出した。

朝から抜き打ち小テストか何かかな。

渡ってきたプリントを見て、頭が真っ白になった。

そのプリントは生徒会選挙当日に向けての決意表明。公約発表の紙だった。

咲ヶ原の。

それだけならばいい。俺の頭が白に塗りたくられたのには別の理由がある。

咲ヶ原が発表した公約は、俺と安住くんが発表しようとしていたものと全く同じだった。

真夏先輩のいいところを継承し、さらに良くしていく。

俺の身体中に気持ち悪い感触が走った。それと同時にものすごい違和感に襲われる。

咲ヶ原は下駄箱で会った時、明らかに真夏先輩とは異なることをするつもりだったはずだ。この学校を変えるとまで豪語した。じゃあ、絶対にこの公約はおかしい。

これではまるで真夏先輩の意思をそのまま受け継ぐみたいだ。あいつの言っていたことと噛み合っていないことぐらい、あいつの意思を知っていれば一目瞭然だ。

頭の中で一つの結論が導き出された。

咲ヶ原は俺と安住くんの公約にわざと被せてきた。俺と安住くんの動きを封じるために。つまり、先手を打たれた。完全に狙われている。

「歓迎会の時とおんなじじゃねえか・・・」

怒りと悔しさはお昼休憩まで収まらなかった。

俺たちは全員朝と同じところへ集まった。

「田中くん!」

真夏先輩は走って俺の元へやってくる。

「これは明らかに偶然じゃない」

本来なら同盟を発表している時間。でも、当然全部白紙だ。

真夏先輩もとても悔しそう。

「咲ヶ原くんが僕たちの公約をどこかから仕入れて全く同じ公約を発表したってこと?」

安住くんが冷静に分析する。

「そうなるな」

「でもどうやって?」

俺はその安住くんの質問に答えられなかった。でも、答えられなかったのが答えだった。安住くんは自力で俺の考えに辿り着く。

「誰かが、内通者・・・」

葬式のような空気が流れた。

皆が皆を見渡す。その視線合戦は信頼を確かめているわけではない。

疑いあっている。誰も何も発さずに、何も動いていないのに、その光景は地獄絵図のように思えた。眩暈がする。

最初に声を上げたのは安住陣営の一人の男子だった。

「そもそも、あんたらの部活には咲ヶ原のチームの愛原冬乃がいたんじゃないか!誰かが咲ヶ原と繋がってても違和感はないはずだ」

俺たちを順繰りに指差す。真夏先輩はすかさず立ち上がる。

「ちょっと待ってよ!それとこれとは関係ないよ」

でも真夏先輩の弁解前に安住陣営のもう一人の女子が挙手をした。

「私、愛原さんが昨日読書研究部の部室に行くのを見ました・・・」

真夏先輩は俺と華菜先輩を思わず見る。嘘でしょと言わんばかりに。

「いや、それは!」

「お前らじゃん。絶対」

俺の言葉は遮られる。安住陣営からの攻撃的な視線。

「違う!昨日は冬乃先輩が退部届を出しに来たんだ!それだけ」

「証拠はあるのかよ。退部届を出しただけだっていう」

さらに詰めてくる男子。俺はまた感情が荒んでしまった。

「んなのめちゃくちゃだ。お前らが内通者じゃない証拠もないだろ!」

仲間内での争い。ひどく醜い、誰も得しない口論。

「やめよう田中くん。今はそんなことしている時じゃない。とにかく今は咲ヶ原くんのしたことに対処しないと」

安住はキリッとした言葉でこの場を一度鎮静させた。

「おい安住、お前はこいつらとまだ仲良しごっこしようってのか?」

「ここで僕たちが争うことこそが咲ヶ原くんの思う壺だ。今は冷静に」

わかりやすく怒っている男子の肩に優しくポンと手を置く安住くん。

でも、この場に現状修復不可能な亀裂が入ったことは決定的だった。

なんで、こうなるかなあ。

俺はどこまで無能なんだよ。

長く、重たいため息を吐く。

俺は切り出した。

「安住くん、同盟は見送ろう」

あまり驚いてはなさそうだった。頭の回転が早い安住くんなら予想できただろう。

「・・・でも」

そんなに寂しそうな顔はしないでくれ。

「しょうがないよ。今はやめておいた方がいい」

「・・・分かった」

この結果は残念すぎる。惨敗すぎる。

俺の爪が甘かったからだ。

そもそも同盟のことを冬乃先輩が知っていた時、もう少し危機感を持つべきだったんだ。内通者の可能性に、もう少しだけでも早く気がついていれば。

そうして安住くんとは、一度別れた。


「今日から1ヶ月、読書研究部は読書研究会となります。その間に5人目の部員が入らなかった場合、廃部になります」

教師が部室で座っている俺と華菜先輩にそう告げた。退部届は、受理された。

重苦しい空気は2人の表情も曇らせる。

「華菜先輩、本当にごめんなさい」

俺は華菜先輩に頭を下げた。こんなことしか出来ない。

「謝らないでよ。柊磨は何も悪くない。私のことはいいから今はとりあえず、選挙に集中して」

「・・・わかりました」

選挙も部活も。咲ヶ原に負けた。

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