第18話 チーム田中始動
選挙開始当日。現場は異様な緊張感に満ちていた。
場所は体育館。華菜先輩が奮闘した新入生歓迎会の時と同じく、全校生徒が整列して集まっていた。俺はあくびを噛み殺して、群衆の1人となっている。
今日から選挙が始まるというのに、驚くほど実感がない。
自分が生徒会長になっているイメージが1ミリも湧かないのが原因だろうか。やる気はあるが、それに自分の人間としての格が全く追い付いていない。
昔から目立つ方ではなかったし、面倒ごとも巻き込まれるより前に逃げてきた。
今までの行いのツケが完全に回ってきている。
軽い自己嫌悪に陥っていたその時、壇上に現在の生徒会長が姿を現した。
喋っていた生徒たちがその姿を見て、だんだんと静まっていく。ゆっくりと綺麗な姿勢でステージ中央に歩いていくその姿は威厳があり、自信に満ちていた。
真夏先輩は講演台の上に置いてある1枚の紙を両手で取る。息を吸う音が微かにマイクに通った。
「生徒のみなさんそして先生方、おはようございます。現生徒会長の惚村真夏です。本日より、生徒会選挙が始まります。私自身、本校が新たな世代によってより良いものになってゆくことに心が躍っております。そして、これまで1年間未熟で拙い私を生徒会長として迎え入れてくださったことに心より感謝申し上げます。長く続く本校の歴史の中で偉大な先輩方の後継として名前を刻ませていただいたこととても光栄です。あと1ヶ月ですが全力で邁進していきたいと思っておりますのでどうか暖かく見守っていただけると幸いです」
メリハリのある、聞き心地の良い声。いつも俺に話しかけてくれる声より、ワントーン低く落ち着きがあった。
たった1分の短いスピーチ。それだけなのに、この人の凄さを体で感じた気がする。
そして真夏先輩は最後にニコッと笑ってから言った。
「これより、生徒会選挙開幕です!」
この会場が一気に明るくなった。視覚的には何も変わっていないはずなのに、彼女が口角をあげただけなのに。本当にすごい。
それから生徒全員に書類が配られた。冊子状になっている、劇場の入場者特典でもらえるぐらいの薄さの紙。
生徒会選挙立候補者リスト。
開くと、1ページにつき1人の紹介文が載っている。
生徒会長、副生徒会長、書記、会計の順番。
パラパラとページを捲る。
生徒会長の立候補者は3人。
2年3組1番 安住仁
2年5組14番 咲ヶ原翔平
2年6組21番 田中柊磨
おー。本当に載っている。そりゃそうか。
3人とも顔写真と一言、そして選ばれたら何をしたいかが赤裸々に載せられている。なかなか恥ずかしかった。
そして並んでいる同じクラスの人たちの視線がだんだんと俺に集中していくのが分かる。身の程知らずとかうけるとか思われてんだろうな。
人の視線は驚愕や嘲笑の思いを包み隠すことができない。
言葉は一つもはっきりと聞こえていないが、全てが分かる気がした。
でも、もう関係ない。俺はやると決めた。それに俺には先輩たちがいる。
あの3人が味方だと思うだけでなんでもできる気がした。
「と言うことで、これから約一ヶ月よろしくお願いします」
部室にて、俺は恋咲先輩、真夏先輩、華菜先輩に深々とお辞儀をした。この場にいるだけでかなり落ち着く。
「うん!頑張ろうね!」
「まあ、私もできることはやる」
真夏先輩は拳を握って胸の前に持ってくる。華菜先輩も真夏先輩を見てから頷いた。
ただ2人の反応に、ついていけていない人が1人だけいる。
「いや、あの私は多分サポートできないと思います」
俺はなんとなくそんな気がしていた。
「え!なんで?」
「単純に時間がないからです。あ、別に真夏と華菜が暇だとか言いたいわけじゃないですよ。でも私は器用な方ではないのでバイトと勉強で手一杯です。すみません」
「まあ、そうですね。しょうがないです」
先日の体調の件もある。無理を強いるわけにはいかない。
「というか、なんで二人は当たり前のように生徒会選挙のサポートメンバーになっているのですか」
生徒会選挙には、サポートメンバーが必要不可欠だ。実は俺が悩んでいた理由に一端にはこれもある。応援演説や広報の仕事、他にも。選挙活動は決して一人で乗り切れるものではないのだ。しかしいかんせん俺は友達が少ない。顔を覚えている人もほぼいない。もし俺が立候補したところで一匹狼で戦うことになってしまう。そうなったら目もあてられない。
俺が顔と名前を覚えている人なんてこの人たちしかいなかった。
「僕がお願いする前に、真夏先輩が恋咲先輩と華菜先輩の3人でサポートするって言ってくれました」
そういうと、恋咲先輩は呆れたように真夏先輩を睨む。
「私は聞いていないんですけど」
真夏先輩は気まずそうにその視線から逃げた。
「でもさ、気になってたんだけど今の生徒会長が1人の候補者に肩入れするのはありなの?それって真夏のことを支持する人は問答無用で田中に票を入れない?あんまり平等じゃない気もするんだけど・・・」
それは俺も少し思っていた。華菜先輩の質問に真夏先輩は腕を組んで答える。
「あーそれ私も悩んだんだよね。フッフーン。そこで私は事前に安住くんと咲ヶ原くんに確認をしてきたのだ!」
なぜか得意げだ。
「それで?」
「2人とも口を揃えて言ったよ。『勝手にしてください。会長一人敵になったところで関係ないです』って」
「すっすげえ」
思わず漏れてしまった。
俺が向こうの立場だったら絶対に真夏先輩にサポートメンバーをやる許可は下さないだろう。他の2人はそれほど自分が生徒会長になれる自信があるのか。
もう肝の座り具合で現時点ではなかなか負けている気がした。
「恋咲もさ!ちょっとでいいから手伝ってよ〜。お願いお願い」
恋咲先輩の体に頬を擦り寄せる真夏先輩。甘えた猫みたいだ。
でも恋咲先輩はあまり乗り気ではなかった。
「恋咲」
不意に、華菜先輩が恋咲先輩を読んだ。ゴソゴソとバッグから何かを取り出している。そこから出てきたものは1枚の茶封筒だった。
華菜先輩はそれをひらひらとさせる。
最初、わからなかったが中から出てきた1枚のお札によりそれが何かわかった。
福沢諭吉が1人。
これは新入生歓迎会の満足度アンケートで3位に入った時の賞金だ。
1位が5万円、2位が3万円、3位が1万円。
まさか、金で人を動かすというのか!?
このやり方は邪道だ。清廉な恋咲先輩が乗っかるはずがない・・・!
俺はすぐさま恋咲先輩を見た・・・。
彼女の目には¥の文字がバッチリ写っていた。
次第に恋咲先輩の体は華菜先輩へと向かっていく。
恋咲先輩が吸い寄せられている!?
そうだ、恋咲先輩の弱点。それはお金だった。
「いやいやちょっと!それはやめましょう!その1万円はもっといいことに!」
俺が恋咲先輩の肩を掴むと、彼女は正気に戻った。
「は!私は何を!」
「ごめん。ちょっとふざけた」
華菜先輩が申し訳なさそうに謝る。
「恋咲先輩、大丈夫ですよ。気持ちだけ受け取っておきます」
「じゃあ2人だね・・・」
真夏先輩は残念そうにしょぼくれた。
「冬乃・・・」
突如華菜先輩が言ったその名前に場は静まった。空気が少し不味くなった気がする。
先ほどこっそり確認したところ、冬乃先輩は咲ヶ原のサポートメンバーになっていた。まあ当然と言えば当然。
「冬乃先輩は冬乃先輩のしたいことをしているので放っておきましょう」
俺は別にどうとも思っていない。あの人がいてもピリピリするだけだ。
「そっか。残念」
「まあこの3人で頑張ろう」
その華菜先輩の鼓舞を俺は否定した。
「いや、まだいます」
この場にいる3人ともが思わず「え?」と聞き返した。綺麗なハモリだ。
「どうぞー」
俺が扉の向こうにいる人物に声をかけた。
呼応するように扉がギシギシと開きだす。
現れたその人物に、3人の口はあんぐりと開く。
気まずそうな表情。見覚えのあるヘアバンド。
「佐藤さん・・・」
そこにいるのは漫画研究部部長である佐藤さんだった。
「その・・・これで罪滅ぼしになるなんて思ってないけれど。やれることはやらせてもらう」
勇気を振り絞って言った言葉。彼女の言葉を聞いて、最初に動いたのは華菜先輩だ。
5歩分ほど離れている距離。段々と近づいて、2人の目は合う。
華菜先輩は右手を出した。
「・・・よろしく!」
何かつっかえていたしこりが取れた瞬間だった。
佐藤さんは眉をピクつかせながらその手に自分の手を重ねる。佐藤さんは今にも泣き出しそうだ。だけど、華菜先輩が笑いかけると佐藤さんの顔にも笑顔が浮かんできた。
俺も、恋咲先輩も、真夏先輩もそれを眺めていた。
よかった。俺は心の中で安堵する。俺が佐藤さんを呼んでおいて変だが、拒絶されたらどうしようと思っていた。
「漫画研究部はみんなできる限り協力するから!」
これは大変頼もしい。俺は元気よく「はい!」と返事をした。
真夏先輩、華菜先輩、漫画研究部。
俺の陣営はこれで全てだ。
このメンバーでこれから約1ヶ月戦う。
少ないように見えるかもしれない。でも、俺からしたら十分すぎる。
こんなに恵まれていていいのかと思うほどに。
もちろん不安も怖さもあるが、それを全て掻き消すほど胸が高鳴ってしょうがない。
「よーし!じゃあ頑張ろうー!」
元気一杯の真夏先輩の声がこだました。彼女1人でこの場の士気は底上げされる。今ならなんでも出来る気がした。
「で、柊磨は具体的には何をしようとしてるの?」
「政策とかも色々考えている最中なんですけど、それより先にした方がいいことがあります」
前回の失敗から学んだ教訓。一番最初にやるべきタスク。
華菜先輩が興味深そうに首を傾げた。
「何?」
「咲ヶ原の攻略です」
自信満々に言った俺に皆は戸惑っているようだった。反応はあまりよろしくない。
でも今回の1番の敵は言わずもがな咲ヶ原だ。あいつはどんな手を使ってくるかわからない。俺自身に票が集まるかどうかも重要だが、それより先に咲ヶ原に何かしら釘をさしておく必要があると俺は考えている。
新入生歓迎会の二の舞にならないためにも。
「新入生歓迎会で学んだでしょ?あいつはどんな手を使ってでも勝負に勝とうとしてくる」
俺が佐藤さんを見ると、申し訳なさそうに俯いた。
多分このままいけば咲ヶ原が当選する。だからそもそもあいつが俺を敵として見ている前提で話を進めるのは若干傲慢な気もするが、気にしないでおこう。
「あなたはまず何をしようとしているのですか?」
咲ヶ原の戦法は理解しているつもりだ。
「咲ヶ原に勝つためには、とにかく先手を打つ」
首を傾げる人たちが増えた。
「先手?」
「咲ヶ原は自分で手を下さない。必ず、人を操る」
それには全員が納得しているようだった。
咲ヶ原は高みの見物。裏に隠れて証拠を残さない。
卑怯だが頭がいいとも言える。
まずはそれを防ぐことをしなければ勝てない。俺は確信していた。
「そう考えたときに、咲ヶ原が自分の陣営以外の人間で最初に取り込もうとするのは・・・?」
全員が書類に印刷されている1人の名前に注目した。
安住仁。
「最初から安住くんを味方につけます」
書類に印刷されている、少し童顔の男子。
俺の覚悟は固かった。必ず、咲ヶ原に勝つ。
「いわば、同盟です」
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