第16話 終わりと始まり
生徒会長、惚村真夏。彼女はこの学校のカリスマだ。
丸っこい無邪気な瞳と、弾けるような笑顔は周りの人に伝染する。嬉しい時は全力で喜ぶし、悲しむ時は汚れの知らない涙を流す。感情に連動する豊かな表情は知らず知らずに人々を魅了していく。絶対に他人を失望させないし、悲しい気持ちにもさせない。たった一度の人生で彼女と出会えたこと自体が幸運なのではないかと思うほどの人徳。彼女と話した人はもれなく彼女を好きになる。
特筆すべきなのは彼女の魅力が人柄だけではないことだ。
天は二物を与えた。いや、二物どころではない。
頭脳明晰。
校内学年テスト2位。なかなかの進学校であるうちではかなりすごい。
詳しくは聞いていないが全国模試の結果もなかなかとんでもないらしい。人柄だけで社会を生き抜く者もいれば、頭脳のみでのしあがる人間もいる。その中で、どちらも兼ね備えた彼女なら将来何にでもなれそうだ。
運動神経抜群。
体育祭では自然と彼女が中心となって輪が出来上がる。クラス対抗リレーでは、当たり前のようにアンカーを任され、みんなの期待を背負いながら素晴らしい結果を残す。彼女はプレッシャーにも強い。選抜リレーでは欠席してしまった男子の代打として男子部門に出て、ぶっちぎったという逸話も残している。
陸上も、球技も、水泳も彼女がいるチームが勝つ。
真夏先輩は、俺の永遠の憧れだ。
こんな人になりたいと心から思ったのは真夏先輩が初めてだった。
まさにオールラウンダー。そばで見ているとその凄さが如実にわかる。
この人が疲れた顔をしているところを見たことがない。
「と言うわけで、今回の生徒会選挙の段取りはこんな感じです」
微かに残る春の匂いに思いを馳せながら、生徒会選挙は始まろうとしていた。
配られた選挙期間の予定表を俺は頬杖をつきながら見ている。生徒会室は少し静かだ。いつも騒がしくする人が今日は目に見えてしょんぼりしている。この人の元気がないと、空気が三層ぐらい暗くなる気がした。
6月1日。俺が生徒会に入ってからもうすぐで一年が経とうとしている。
思い返せば長いようで短いようで・・・って思いたいけどほとんど記憶にない。
みんな各々で仕事をして、最低限のコミュニケーションしかとらないから。
俺はそれが心地いいんだけど。
「大丈夫ですか?惚村会長?」
書記の女子生徒が真夏先輩に聞いた。普通の人ならたまにあるぐらいのテンションの低さだが、この人にとっては一大事だ。
思わず俺も真夏先輩を見るが、確かに様子がおかしかった。
書記の問いかけにも返事をしない。それどころか、こちらに顔を向けてもくれない。ずっと視線を床に向けて止まっている。
「あの・・・会長?」
いつもは他人に無関心なメンバーたちが段々と一つのものに集中していく。静まる場。
その時、真夏先輩の持っている書類に一つの水滴が垂れた。ポツリ。
水滴はじわじわと紙に滲んでいく。水滴が紙に吸われたかと思ったら、またもう一粒紙に落ちてくる。それは勢いを増し、また一粒。また一粒と。
・・・泣いてる!?
全員の心がシンクロした気がした。思わず顔を見合わせてしまう。
次第にぐすんぐすんと、嗚咽混じりに鼻水をすする音も聞こえてきた。真夏先輩は肩を不規則に揺らしながら濡れた頬を拭う。少し顔が上がると、真っ赤に腫れたお顔が見えた。
赤ちゃんのように泣きじゃくる真夏先輩。
「ちょ、真夏先輩!」
思わず席を立って真夏先輩のそばに来ていた。
背中をさすりながら俺は言う。
「大丈夫ですか?」
真夏先輩はブンブンと首を横に振った。
お腹でも痛いのかな。と思ったけど、すぐに真夏先輩は言った。
「だって・・・あと一ヶ月で・・・みんなバラバラになっちゃうんだよ?」
俺は手が止まった。この人は本当に純粋で真っ白な心を持っている。
泣きながら真夏先輩は続けた。
「こんなに仲がいいのに。みんなと絆を深めたのに・・・」
いや別に仲良くはないと思うし、絆も深まってないと思う。全員各々の仕事をしていただけだ。この場にいる真夏先輩以外の人全員がそう突っ込みたかったに違いない。
誰しも年を重ねるにつれ、落としていく何かをこの人はまだ持っている。俺はそれが羨ましくもあった。
えーんと洪水のような涙がおさまったのはそれから10分後のことであった。
「そして、真夏先輩のいう通りあと一ヶ月で現生徒会は解散。新生徒会が発足されます。新生徒会メンバーの決定方法は例年通り選挙にて。投票日、当選発表日は6月30日を予定しています」
それから新たに資料が配られた。
「選挙期間は1週間後からスタートします。立候補の締め切りは前日までです。なのでこれから増える可能性も十分にありますが、とりあえず現在の立候補者の名簿を配っておきます」
俺は真っ先に生徒会長の立候補者に目を通した。偉大すぎる前任の後を継ぐ者。
そこに書かれていた名前は二つ。
2年3組1番
初めて見た名前だ。
でも、今はそっちじゃなかった。やっぱりある。無意識にため息が漏れていた。
2年5組14番 咲ヶ原翔平
見たくもないし覚えたくもない名前。
俺はなんとなく真夏先輩に目を向ける。真夏先輩もどこか複雑な顔をしていた。
確かに合併政策を提案する時にあいつは言っていた。
『僕はいずれ生徒会長になる予定ですよ?現会長』
咲ヶ原のことに脳の記憶メモリを1ギガも使いたくないのだが、なぜかこの瞬間のあいつが目に焼きついてしまっている。
俺は無条件に顔もわからないもう一人の立候補者、安住くんを応援すると決めた。マジで頑張ってくれ。
直感だが、咲ヶ原が生徒会長になったらこの学校は終わる。
まあどっちが当選しようと、俺はもう生徒会にはいないんだけど。俺がここにいる理由は真夏先輩の存在がほぼ全てだったから。
「やっぱり咲ヶ原出るんですね」
会議が終わり、最終下校時刻まであと5分。真夏先輩の隣で歩きながら俺は言う。
生徒会のメンバーはみんなそそくさと帰ってしまった。俺は泣き跡の真夏先輩をほっとけなかったので最後まで残っていた。
「そうだねー」
真夏先輩はいつもより覇気のない声で返事をしてくれた。未だ本調子にはなっていないようだ。
下駄箱までの短すぎる時間だけど、一緒にいたかった。生徒会長としての真夏先輩と会えるのもあと一ヶ月。そう思うと、今が貴重で尊い時間に思える。
「まだあと一ヶ月あるんです!たくさん生徒会で楽しい時間を過ごしましょう」
「・・・うん」
真夏先輩の元気がないと、こっちの調子が狂う。
「真夏先輩は何がやり」
俺の空回りした喋りが止まったのは、ちょうど下校しようとしていた咲ヶ原と鉢合わせたからだった。真夏先輩は咲ヶ原を見つめている。
「・・・田中くんじゃないか。おお、会長までご一緒とは」
「咲ヶ原・・・」
咲ヶ原はお辞儀をしてからにこやかに言う。
「そうだ!会長、お勤めご苦労様でした。僕がしっかり後を受け継ぎます」
真夏先輩は何も言わなかった。なんで今こいつと会ってしまったんだ。
ただでさえ元気がないのに、咲ヶ原は追い討ちをかけてくる。
「知ってますか?この学校には真夏先輩の政策に不満を持っている人だっているんですよ?あなたは彼らに目を向けましたか?多くの人を幸せにするために少し犠牲は許容するのが正解なんですかね?」
真夏先輩はそれでも何も言わなかった。俺は詳しいことを知らない。でも、真夏先輩は真夏先輩のできることを精一杯やっているんだ。それで結果も出しているし、明らかに真夏先輩が生徒会長になってからこの高校は良い方向に進んだ。
近くで見てきたんだからわかる。
俺は思いっきり言い返したかったけれど、真夏先輩が何もしないのでやめた。
部外者の俺がしゃしゃり出てもいい結果にはならなそうだ。真夏先輩の顔に泥を塗る結果になりかねない。
「僕はこの学校を変える」
咲ヶ原は視線を真夏先輩から俺に移す。
「なんなんだよお前」
拳を握りしめてなんとか自制した。
「惚村真夏の生徒会を完膚なきまでに塗り替える」
咲ヶ原はそう言い残して目の前から去っていった。
次の日。いつもと変わらない日々。つまらない授業が終わった後に、華菜先輩と二人で部活をした。本を読んでだだけなんだけど。
でもこのサイクルがいつもの日々になっていることに感謝しないといけない。
そんなことをぼんやりと思いながら俺は家に着いた。
扉を開けると、玄関には靴が二つ。母親のスニーカーと、高校生のローファー。
母はいつもこの時間働いているのだが、今日は珍しく休みらしい。母子家庭のうちでは母親が会社勤務とパートをしている。本当に頭が上がらない。
俺がただいまを言う前に母親がリビングから出てきた。
「おかえり、会長さん来てるわよ」
「うん。ありがと」
たまには休んでほしいと思っていたからよかった。いつも帰ってくると母親は疲れてすぐ寝てしまうから。できるだけ家事は手伝いたい。
「は?」
今なんて言った?それに、靴が二つ?
母親が言った言葉をもう一度頭の中でリピートした。
会長?が?きている?
頭の中ではてなが乱立しだす。意味がわからない。理解ができない。
俺は勢い任せに自分の部屋へと直行した。
バコンと扉を開けるとそこには本当にその人がいた。
「ヤッホー!会長だよー?」
いつもの見慣れた景色に真夏先輩がいる違和感。ホログラムか何かではないだろうか。一気に現実離れした感覚が襲う。
昨日のテンションを忘れたかのようにいつも通り俺に話しかけてくる真夏先輩。
全く反応できなかった俺を真夏先輩は不思議そうに見つめる。
俺は思ったことを口にした。
「会長はなんなんですか。勝手に親しくもない男の部屋に上がりこむ淫乱ビッチなんですか?」
「いや家にお邪魔しただけでそこまで言う?」
間髪を入れずに飛んでくるいつになく冷静なツッコミ。
本当に真夏先輩だ。真夏先輩が何故かうちにいる。色々言いたかったけれどまず最初に聞いた。
「なんでいるんですか?」
「田中くんの家に尋ねたらお母さんが部屋で待っててって言ったからここにいましたー」
圧倒的に説明が足りていない。俺がこんなに動揺して戸惑っているのに当の本人は呑気に笑っている。
「あの、なんでここに真夏先輩が来たんですか?」
今度はちゃんと分かりやすいように聞いた。
真夏先輩は質問を聞くと顎に手を当てて眉をハの字にして悩む。本当に表情のレパートリーが多いなこの人は。
「まあ簡潔に言うとね」
俺は相槌を打つ。
「助けてほしい」
彼女は至って真剣にそう言った。
ど直球に、目を見て。
ますます意味がわからない。
助け?何か困っているのか。また聞きたいことが増えたけれどそもそも助けを求めるならもっと適任者がいるだろ。恋咲先輩とか、華菜先輩とか。それ以外にもこの人の人脈はとても広いはずだ。なんで生徒会メンバーの端くれ、ただの後輩の一人、この人の人脈の最下層に存在しているであろうなんの取り柄もない俺にそのお願いをするんだ。
「えーと、なんの助けですか?」
とりあえずこの人の話を聞こう。
「生徒会選挙の話」
そんな気はしていた。でも、何を助けてほしいんだろう。
「はあ。助けるって、何か真夏先輩が困ることありま」
そこまで言いかけて思い出した。ある。この人が困ること。
「咲ヶ原ですか?」
真夏先輩は深刻そうに頷いた。
「いや、あんまりこう言うのは良くないってわかってるんだけどさ、どうしても彼が生徒会長になるのは嫌なんだよね・・・」
「おお、言いますね」
「私のやったことが全て正しいなんて言うつもりは全くないんだけど、でもさ、やっぱり咲ヶ原くんにこの学校を任せてしまうと・・・。私の勝手なわがままだけど」
全くもって同感ではあった。でも真夏先輩がはっきりとこんなことを言うのは意外だった。
そこまで言うほど、学校のことを思っているということだと思う。一歩間違えれば、自分の帝国を維持したいだけの独裁者に見られてしまう。でも、真夏先輩からはそんなものを一切感じなかった。この人の人間性と出してきた結果にはそれだけの説得力がある。
「真夏先輩って意外とお利口さんってわけじゃないんですね」
俺がつぶやくと、真夏先輩は戸惑いながら笑った。
「何ーそのイメージ。田中くんはなんか勘違いしてるけどさ、私は別に良い人じゃないよ?」
「え?めちゃめちゃ良い人じゃないですか」
真夏先輩は嬉しそうに微笑む。
「ありがと。嬉しい。でも、私も人間だし嫉妬もするしむかつきもするよ」
少なくとも俺はその場面に遭遇したことはない。そして俺は真夏先輩の言葉を聞いてやっと自覚した。この人は人間なのか。神か何かかと思っていた。
「会長には感謝してるし、恩返しもしたいと思ってます。でも、これはどうにもならないでしょ?助けてほしいって言われてもできることは何もないと思うんですけど・・・」
俺の話を聞いて真夏先輩は人差し指を立てた。
「いや、一つだけあるの」
この人は揺るぎない何かを持っている。
「何すか?」
真夏先輩はその人差し指を90°俺の方に倒した。
「君が生徒会長になる」
真夏先輩は淡々と言った。
「・・・ん!?」
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