第15話 秋好華菜

新学期が始まってすぐの頃。本屋、つまり私の実家に1人の男子が入店してきた。

軽く制服を着崩していて、あまり愛想のない男の子。彼は力の入っていない足取りで、店内を回り始めた。ジロジロと全部のコーナーを見ている。

何か探しているのかな?そう思ったけれど、気軽に声はかけられなかった。彼には自分のテリトリーがあるように思ったから。

少しすると、結局何も買わずに彼は出口へ足を進め出した。その姿を何となく眺めていると、彼は店を出る直前で足を止めた。

彼の視線の先にあったのは私が作ったコーナー。大好きな作家、矢田柊花先生の本をこれでもかと言うほど前面に押し出した特設スペース。

普段は店の手伝いなんてしないのに、無理言って自分でPOPまで書かせてもらった。

彼が一つ、そこに置いてある本を取ると目が輝き出したように感じた。さっきまでの姿とは違う。

クリスマスプレゼントをもらった子供のような目。

なぜなのかはわからないけれど、私は彼と波長が合う気がした。忍足で近づく。でも彼はまだその本に夢中だ。

どうやって話しかけよう。考えていたら、彼は本を置いてしまった。私に気づくことなく、店を出ようとする。

この機会を逃してはいけない気がした。勇気を振り絞って少し高い肩に手を置く。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

変に力が入って、驚かせてしまった。彼の声が至近距離で轟く。

驚いてこちらを向いた青年は私のことをじろじろと見た。多分不審者だと思われてる。

出だしは完全に失敗。ここから取り返そう。

そうしないと、私の大好きな読書研究部・・・今は読書研究会か、がなくなってしまう。

ぎこちない会話を始めた。

彼の名前は、田中柊磨。

私はその場の勢いで読書研究部に誘った。


その後、読書研究会のメンバーと田中は顔見知りだと判明。これなら安心。そう思っていたのに、田中は恋咲と冬乃とあんまり関係が良くなかった。

でも、一緒にいれば仲良くなれるはず。

それに、田中が入ってくれなかったら本当にこの部活は終わってしまう。先輩の恩を仇で返すことになってしまう。

田中は不思議だ。校門前で勧誘している時、少し曲がった背中で気だるそうに私の前を横切る田中を何度も見た。いっつも気にしないそぶりを見せるけど、なんか寂しそうに見えてこの部活に興味を持ってるように思った。

だから読書研究会がなくなる寸前、田中が入ってくれ時は本当に嬉しかった。私の考えは合っていたんだ。彼の中で何があったのか、何が変わったのかはわからない。でも、この部活に入る決断をしてくれたのだからこれからはもっと仲良くなりたいと思った。


でも、すぐに新たな問題が発生した。

私たちの部室に遠慮なく入ってきた咲ヶ原くんはとんでもない提案をした。理不尽でおかしい。でも私ははっきりしないからどう答えることもできなかった。

なのに田中は何の迷いもなく突っ走る。

「・・・受けてたとう」

自信満々にそう言った背中は逞しくて、羨ましかった。田中は、私にないものを持ってる。

「華菜先輩。僕を信じてください」

その言葉を私は信じることにした。

あんなにまっすぐ見つめられたら、ついていくしかない。田中となら頑張れる気がした。


一緒に過ごすと、なんか心を許してしまう。

気が抜けると言うか、気を使うことを忘れてしまいそうになる。こんな感覚は、幼なじみの3人以外では初めて。

田中から突如、休日のお出かけのお誘い。顔にはあんまり出なかったけど、すごく嬉しかった。

そして気分がこんなに高揚している自分にびっくりした。休日に、男子と出かけるなんて初めてだな。

どんな服装がいいんだろう。気をつけておいた方がいいこととかあるかな?

私が気軽に相談できるのはあの3人ぐらい。

3人とも可愛いし、各々にすごいところがある。

恋咲は影での努力を厭わないし、それを当然かのようにやってみせる。

真夏は言葉で言い表せないぐらい全部がすごい。勉強も、運動も、人柄も、全部。

冬乃はちょっとツンツンしてるけど、誰よりも人情に厚い。自分を持ってて、信念を曲げようとしない。

何もないのは、私だけだな。

そんな3人と一緒に過ごしてきて、嫉妬とか嫌いとかそんな感情を抱いたことは一度もなかった。だって、この3人を失ったら本当に私は空っぽだから。

その中でも一番モテそうな恋咲に電話で聞いてみた。男の子とのお出かけのこと。

「モテる恋咲ならデートとかしたことあるかなって」

「まあ、もちろん!あります」

変な間があった気がしたけど、何も指摘しないでおいた。それから恋咲は男の子と出かける時は付き合ってるとか関係なく一番可愛い格好をしていくのが鉄則だって教えてくれた。なんかところどころ言葉に詰まってたけど。

だから結構前に一目惚れして買った服を押し入れから出した。着用モデルさんは可愛くて、似合ってたけど私が着るとすごく不恰好に見えて一回も着ずにしまっていたやつ。

その服を着て、田中に会いに行くと似合ってるっていってくれた。お世辞かもしれなかったけどすごく嬉しかった。それだけで少し心が満たされて、その瞬間だけは劣等感から解放された気がした。

田中と会うと、幸せな気持ちになる。


田中と毎日会って、田中と一緒に頑張った。

新入生歓迎会当日。今日が来たことで、昨日までの田中と2人でやる作業が終わっちゃったと思うと少し寂しい。でも、その寂しさをちゃんと感じる余裕がない程、私は緊張していた。田中はそばにいてくれる。田中も田中で結構緊張してるように見えた。

でも、田中がいるから。

田中と一緒なら何でもできるような気がする。

そう思っていたら、前代未聞のことが起きた。

新入生歓迎会に出ないといっていた漫画研究部が緊急参戦。それだけなら良かった。

でも部長の佐藤さんは前日に私が見せた発表内容と丸々同じものを発表した。

頭の中が真っ白になって、気がついたらその場から逃げ出していた。弱いなぁ。私は。

一緒に頑張った田中にも悪いことをしてしまった。

私のせいで。私のミスで。私の犯した間違いで。

全部が台無しになってしまった。

雨が降り注ぐ道を走り、部室に来た。

ここもなくなる。今日で最後。

みんなの思い出は外から聞こえるこの雨と共に流れる。全部全部、私のせい。

気がつくと何も出来なくなって、動けなくなった。

部室の隅で死んだようにうずくまる。

視界が闇に堕ちた。


「・・・先輩?」

聞き慣れたその声で、私の心は引き戻された。

暗闇の中から差し込む一つの光のような。地獄に垂らされた一本の蜘蛛の糸のような。

こんなところ見られたくないし、今は一人にして欲しい。たった一人で考える時間が欲しい。

でも、それと同じくらい田中を求めている自分がいる。田中の声が聞きたい。助けて欲しい。今は田中に包まれたい。

「ごめん、私のせいだ。私が佐藤さんに見せちゃったのがいけない」

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。何度謝っても謝りきれない。

「そんなことないですよ・・・とは言えないですね。華菜先輩は人に甘すぎるんですよ。もっと警戒心を待ってください」

わざと明るく話してくれてる。バレバレだった。

私なんかのために本気になってくれる。言葉の影に隠れた優しさに、泣きそうになる。

気がつくと、彼に心を満たされてしまう。

「でも、僕はそんな華菜先輩が好きですよ」

好き。その2文字に、体が勝手に熱くなった。異性からそんなこと言われたのは初めてだった。

「あ、いや、その変な意味じゃなくて!普通に、先輩として!僕はまだ出会ってちょっとですけど、それでも華菜先輩があの時読書研究部に誘ってくれて本当によかったと思ってますよ。華菜先輩の包み込むような、自分の世界を持ってる感じ大好きです・・・ってキモいですね」

田中はいつもまっすぐ、純粋。

その素敵な性格に私の心は溶かされたんだ。

こんな簡単に心が和らいでしまう。

「・・・田中」

こんなに単純でいいのかな。私・・・。

別にいいよね。

「私も田中のこと・・・好きだよ」

心の底から出た本心。やっと自覚した。


私は田中のことが好きなんだ。


とっくに、彼に恋していたんだ。

もっと会いたいし、もっと喋りたい。一緒にいない時も彼が何をしているのか考えてしまう。田中を前にすると余裕がなくなるし、ドキドキする。

初めて自分のことを認めてくれた存在。

田中が言ってくれた「好きです」その言葉に心が揺れた。

でも、今はまだこの気持ちはしまっておこう。今の心地よい関係を壊さないように。田中を困らせないように。

そして咄嗟に付け加えた。

「後輩として」


新入生歓迎会が終わって、私は田中を探していた。

お礼が言いたい。矢田先生の本を貸してくれたこと、真夏にサポートをお願いしてくれたこと、私を元気づけてくれたこと。全部。全部。

出会ってから今まで、私の中で田中の存在がどんどん大きくなってる。

田中が生きる活力になってる。

かれこれ10分ぐらい校内を探したけれど、田中は見当たらなかった。

どこいったのかな。部室も、教室も、職員室も、生徒会室にもいない。

私が諦めかけて駐輪場を歩いていたその時、彼の声が聞こえた。

なんて言ってるかは良く聞き取れない。でも分かる。これは田中の声だ。

誰と話してるんだろう。

声の方向へ進むけれど、田中が何を言っているかが鮮明になると私の足は止まった。

「華菜先輩が、どんな気持ちでこの場所に臨んだと思ってるんだ。あの人にとって読書研究部がどれだけ大切で、どれだけ心の拠り所になってたかわかるか?理不尽な条件も呑んで頑張ってきたのに、最後の最後まで卑劣な手を使いやがって。俺はお前を許さない」

私のことを話してる。

影に隠れて顔を少し出す。田中は咲ヶ原くんに怒っていた。

それも私のことについて。

まただ。田中が名前を呼んでくれるたびに胸が熱くなる。

本気で怒ってくれてる。本当は今すぐそこに行きたい。

でも、その後の言葉にまた動けなくなる。

「俺の大切な先輩を傷つけたお前を」

思わず声が出そうになった。嬉しすぎて。

大切なんて言われたのは初めてだよ。

すぐに口を覆ったが、体は落ち着かなかった。

少し後ろに下がると、止められていた自転車に接触し派手に倒してしまった。ドミノ倒しで4つほど巻き込まれる。大きな音が響いて、私は慌ててそれらを直した。田中と咲ヶ原くんの声も聞こえなくなった。もしかしてこっちを見てる?

もし、今田中がこっちに来たら。盗み聞きしていたことがバレる。

いや、そうじゃない。今、田中と面と向かって話をできる気がしない。

普通に接せれる自信がない。意識しすぎて。

私は急いで校舎内に戻った。


読書研究部の存続が決まってから1週間が経過した。6月に入り、かなり暑くなっている。

今は部室で一人。柊磨ともやっとまともに話せるように戻った。

最近も変わらずに二人で部室にいることが多いしね。

でも、今日はまだ来ていない。

なぜなら柊磨には生徒会の仕事があるから。

今頃、真夏と何か話してるのかな。いいな。私ももっと話したいな。

今日はここからずっと一人。

柊磨も真夏も夜まで長ーい打ち合わせがある。

生徒会選挙。

この高校では毎年6月に旧生徒会が解体され、新生徒会になる。

つまり、真夏は生徒会長を引退してしまう。

そしてこれから、選挙期間を通して新しい生徒会長が決まる。

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