第14話 読書研究部の一員

「随分と汚い手を使うんだな」

校舎裏に高校生が2人。この字面だけ見ると、告白をする甘酸っぱいシチュエーションのように見えるは実際は異なる。

壁に背をつけている咲ヶ原に俺は問いかけた。

「何のことだい?田中くん」

どこまでも気持ちの悪い余裕を持っている男だ。いちいちキレそうになる。

「ふざけるなよ」

「証拠もなしに怖いなぁ」

俺が半歩距離を詰めると両手を上げて煽ってきた。

咲ヶ原と話すと自分の沸点が著しく下がることを毎回感じる。

でも言う通り、咲ヶ原が漫画研究部を唆した証拠は何もない。裁判だと絶対にあちらが勝つだろう。このままじゃ埒が明かない。

俺は別の角度からの質問に切り替えた。

「なぁ、何でだよ?何でそんなに俺たちにつっかかる」

その一瞬、咲ヶ原の嘘で固められた表情が崩れた気がした。

1秒にも満たなかったと思う。でもその瞬間、目元も口角も纏っている雰囲気まで全部が今までとは違うように感じた。

咲ヶ原の本質、深淵の部分。

何も返事をせず、俺の目を見つめる咲ヶ原。

静寂に耐えかねたのは俺の方だった。

「仮にもお前の彼女の入ってる部活だろうが。何でこんなことすんだよ」

「田中くん」

食い気味に言葉を被せる咲ヶ原。空気がピリついた。

これ以上この質問をする気にはなれなかった。

一瞬怯んだ俺を見て咲ヶ原はまた普段の顔つきになる。細くなった目で俺に言う。

「もうすぐ満足度アンケートの集計が終わる。向かった方がいいよ」

咲ヶ原は体育館の方向を指差したが、俺はその上がった腕を掴み、下ろさせた。

ぶらんと咲ヶ原の腕が落ちる。

「まだ話は終わってない」

咲ヶ原はめんどくさそうに息を吐いてから首を傾げた。俺の心はマグマのように怒りが燃えたぎっている。

理性の糸をなんとか切らさないように努力して、俺は言いたいことを言わせてもらう。

「華菜先輩が、どんな気持ちでこの場所に臨んだと思ってるんだ。あの人にとって読書研究部がどれだけ大切で、どれだけ心の拠り所になってたかわかるか?理不尽な条件も呑んで頑張ってきたのに、最後の最後まで卑劣な手を使いやがって。俺はお前を許さない」

フラッシュバックしてくるのは全部華菜先輩のこと。人のことでここまで怒ったのは初めてだった。

「俺の大切な先輩を傷つけたお前を」

その時、向かって右側の角を曲がったところにある駐輪場からガランガランという複雑な音が聞こえた。多分自転車が倒れたんだろう。風か?

俺も咲ヶ原も同時に音のする方を向いた。

最後の最後まで締まらないな。

なんだかその音を聞いて急速に頭が冷えた。体温が下がっていくのを感じる。

少し感情的になりすぎた。

俺はもう一度咲ヶ原を見る。

「いつか絶対、お前を潰す」

静かに、でも熱のこもった声で俺はそう吐き捨てた。

咲ヶ原は少し驚いてからまた笑う。涙ぼくろがぷっくりとできる。

「しらねぇよ♡」

ねっとりと放たれたその言葉を聞いて俺は心底こいつを殴りたくなったがやめた。先ほどこいつが言った通り、満足度アンケートの結果発表の時間だからだ。


職員室前の掲示板。貼られている掲示物が不自然な空間を作り出す。

それらはぐるっと何かを囲むように長方形に貼られていた。言わずもがな、アンケート結果の書かれた紙を貼るスペースだ。

「遅いですよ。田中さん」

俺が小走りでその場所に到着したら、お馴染みの3人が揃っていた。他にも各部活の部長やただ結果が気になっている人たちもいて、約20人ぐらいが掲示板の前に集まっていた。数だけ見るとそこまで多くはないが、実際に見るとなかなかごった返している。

それでも、紙一枚にここまでドキドキしているのは俺たちだけだろう。

「まあ大丈夫だよ。私たちがんばったから!」

「いやあなた何もしてないでしょ」

俺のツッコミに真夏先輩は笑う。この人なりに緊張をほぐしてくれようとしているのかな。違うか。

恋咲先輩はその様子を見て苦笑いしてくれたけれど、肝心の華菜先輩は喋らないままだった。こちらに意識も向いていない。

まだ何も貼られていない壁を一点に見つめる華菜先輩。俺の視線にも気づかない。

「華菜先輩?」

ビクッと小動物のように反応する華菜先輩。驚かせるつもりはなかったんだが。

「な、何?」

華菜先輩は極度の緊張からか、明らかに挙動不審だった。でも歓迎会本番前の震える緊張とはまた少し違う。さっきのが静だとしたらこっちは動。

顔も少し違う気がした。

「なんか、顔赤くないですか?熱とか・・・」

「だ、大丈夫!」

俺が顔を寄せようとすると同じ距離後ろに下がった。少し心配だ。

「そうですか・・・。まあこの結果が出たら、ゆっくり休みましょう」

「うん」

なんだかそっけない返事。目もあんまり合わせてくれない。

なんかしたかな・・・。俺が怪訝に思っていると、視界にニヤニヤしている真夏先輩が映った。

「な、なんすか?」

「なんでもないよ〜」

真夏先輩は笑いを堪えながら言った。結局、笑ってるけど。

ますます意味がわからない。自分のことを理解力がいい方だとは思っていないが、何が何だか全く分からないのはちょっと悔しい。

続けて恋咲先輩の方を向こうとした時、現場の空気が急激に変わった。

神妙な面持ちで一枚の紙を持ってくる生徒。ただの紙なのに俺たちからしたら生死を分ける品物だ。

掲示板に紙が貼られた。まだその生徒の背中で隠れて中身は見えない。早く見たい気持ちと一生見たくない気持ちが心の中で拮抗した。

そのせいなのか、一瞬一瞬がとんでもなく長く感じた。

この場にいる全員が結果発表の紙に目を奪われる。

生徒が視界の外へ流れていき、紙に書かれた黒い文字が目に映る。

上から順に目線を下ろす。


[新入生歓迎会 満足度アンケート結果]

一位 吹奏楽部

二位 バスケットボール部

三位 読書研究部


そこに書かれている文の意味を理解できなかった。

頭の中に流れ込んだ情報。それによって何が起こるか。周りの時間が止まったかのように、自分だけ時空に取り残されたかのように、俺の体は動かなかった。

三位は読書研究部。それは自分が入っている部活の名前。のどから手が出るほど欲しかった結果。

数秒遅れて、全身に血が巡り始める。頭の回転が始まった。目の奥が熱くなり、感じ取れる世界が広くなる。

気がつくと、俺は叫んでいた。

「やったぁぁぁぁぁぁ!」

周りにいた3人も同じだ。

読書研究部の廃部案がなくなる条件。新入生歓迎会の満足度アンケートで3位以内に入ること。

そして今、その条件を我々はクリアした。

俺は華菜先輩と心の底から喜び合った。ハイタッチしてから、笑い合う。努力が報われた。華菜先輩の情熱が伝わった。

真夏先輩は目に涙を溜めて、華菜先輩に抱きつく。

「すごい!すごいよー!華菜!」

「うん!やった」

飼い犬にするように華菜先輩の頭をわしゃわしゃした。華菜先輩も笑っている。

恋咲先輩も柄にもなく大喜びしていた。

「これで廃部せずに済みますね!」

華菜先輩と真夏先輩に混ざる恋咲先輩。

3人とも幸せそうだった。その姿は友達というより家族。

その微笑ましい様子を見ていると人混みの奥からぼんやりとこちらを眺める人を発見した。

見覚えのあるヘアバンド。

「華菜先輩。ちょっといきましょう」

興奮覚めやらぬ中、俺は華菜先輩の手を取って、人混みから抜け出した。ただ一人を追いかけて。

「佐藤さん!」

長く続く廊下の先に佐藤さんの悲しそうな背中が見える。俺の呼びかけで止まるも、こちらを振り向いてはくれない。華菜先輩は俺とその背中を交互に見た。

あえて俺は黙る。ただじっと、その背中を見つめる。すると、佐藤さんは恐る恐るこちらを振り向く。俺と華菜先輩の目線に刺されてすぐに俯く佐藤さん。

「その・・・本当にごめ」

「廃部しなくて済みましたよ」

そのまま謝罪に移ろうとしたから静止させた。やっと佐藤さんと目が合った。力を入れることを忘れているやつれた目。

「・・・え?」

「僕たち、読書研究部はまだまだ続きます。漫画研究部の分も僕たちは頑張ります」

俺は華菜先輩に身を寄せた。華菜先輩はさっきから戸惑っている。

「それだけ言いたかったんで。では」

軽くお辞儀をする。本当にそれを伝えたかっただけだ。

同じ地味な研究部。日の目に当たることは少なく、存在が知られているかも微妙な部活同士。今はただお互いの選択を称え合いたいだけだ。

「ちょっと待ってよ!」

後ろを向こうとして俺は止まった。

佐藤さんの必死な呼びかけ。怒りと驚きと焦りと懺悔。全てが混じり合って軋轢を起こした上擦り声。

「何それ。怒りなさいよ。私は君と華菜ちゃんの邪魔をした」

わざわざ何も言わなかったのに自白を始める佐藤さん。

「そんな証拠はどこにもないです。たまたまやろうとしていた内容が被っただけですよ」

俺はできるだけ自然に笑った。佐藤さんの発言を聞いても驚くほど心が冷静だ。

「それに、佐藤さんを怒ったことで何にもならないです。俺の敵はあなたじゃない」

彼女を怒る気にはならなかった。というか、彼女を怒ることに体力を使いたくなかったし彼女の存在が霞むほど怒りたい相手がいる。

それでも、佐藤さんは納得いってない様子だった。

「私は!咲ヶ原に言われた提案に乗ったの!」

目に涙を溜めて苦しそうに話し出す。その姿はとても痛々しかった。

「2人が顔出しに来た日。あの後、咲ヶ原が来た。そこで言われたの。読書研究部の発表前に丸々同じことをしろ。それを遂行できたら部費という名目で金銭的援助をしてあげるって。その言葉に私は乗った。だから、前日に部室に来たの。読書研究部が何をするか知るために。華菜ちゃん、本当にごめんなさい」

佐藤さんは話しながら近づいてきた。佐藤さんが言っていることが全て真実だとしたら、俺の大体の予測は当たっている。

華菜先輩の前で膝をついて謝ろうとする佐藤さん。あまり見たくない姿だ。

情けない格好の佐藤さんを華菜先輩はじっと見つめた。

佐藤さんが頭を下げようとした時に、華菜先輩はしゃがみ込んだ。

目線を合わせて、佐藤さんの肩を持つ。

「・・・別に怒ってないよ。自分の部活のためだし、私のミスでもあるもん」

優しくそう言って、華菜先輩はまた立ち上がった。

佐藤さんは抜け殻のように華菜先輩を見つめる。許された安堵からか謝ることもさせてくれない悔しさからか、一滴だけ綺麗な涙を流して。

「それより田中、やっぱり咲ヶ原くんが」

切り替えて華菜先輩はそう言った。

「でも物的証拠は何もない。佐藤さんをそそのかしたことを証明できるものが今現在は何もないんです。金銭的援助も結局受けてないんですよね?」

「・・・うん。さっき、断ってきた」

佐藤さんはボソボソ喋る。生きる気力を無くしたかのようだった。

「もー先に言ってくださいよ。そこを動画で抑えられれば証拠になったのに」

俺はひょうきんに佐藤さんに話しかけた。

話す人と話される人の温度差がすごい。我ながら空気を読めていない。でも今はそれでいい気がした。

「・・・普通に接しないでよ。私は最低なことを」

「だから、そんなことをした証拠はないです。とりあえずこの件は終わりにしましょう」

俺と華菜先輩は佐藤さんを置いて、別の場所に行った。


部室。呼び出した咲ヶ原を前に俺たち4人は結果の紙を堂々と見せつけた。恋咲先輩、真夏先輩も誇らしげだ。

「文句ないよな?咲ヶ原」

「はい。では」

何も気に留める様子もなく会釈する咲ヶ原。

迸る不快感によって行動したのは真夏先輩だった。

「ちょっと待ってよ」

「いいです。真夏先輩」

おそらく謝罪を求めようとしたのだろう。俺は真夏先輩を止めた。今はただ廃部が無くなったことを喜びたい。それに、咲ヶ原を倒す決定打がない。

「放っておきましょう」

恋咲先輩は氷の女王のような視線で部室を出ていく咲ヶ原を見ていた。

何となく後味の悪い空気が残る。

「冬乃は何してるんだろうね」

空気を入れ替えようと真夏先輩がつぶやいた。俺的にはほぼ変わらない。

「廃部が無くなって喜んでるといいな」

「いや、どうでしょう。あの人は咲ヶ原がやってたことを知ってるんじゃないんですか」

華菜先輩の願望を俺は真っ向から否定する

「いえ、それはないと思います。冬乃は咲ヶ原さんが何もやっていないと信じていました。今回のことを何も知らなかったと思います」

恋咲先輩が否定を否定する。

何だか意外だった。恋咲先輩が言うことなら嘘では無いだろうし。

冬乃先輩は今、どう言う気持ちなんだろう。

「恋咲ってツンデレだよねー。表ではクレバーぶってるけど、こう言う時いち早く冬乃に話を聞きに行くとか。ういうい」

「や、やめてください!別に私はクレバーぶってませんし!」

真夏先輩のいじりは止まらない。恋咲先輩の体をくすぐり出した。恋咲先輩も嫌がりながら楽しそうにしている。随分賑やかな部活だ。

「そういえばさ柊磨、何であの本持ってたの?」

不意に呼ばれた名前に一瞬戸惑った。母親以外に自分のことを名前で呼んだ人は初めてな気がする。

呼んでくれた華菜先輩は顔が少し赤い。

「ん?内緒でーす」

「えー教えてよ」

この人といると、この場にいると、この部活にいると自然に笑顔になる。俺の居場所はここなんだ。

「華菜先輩」

「何?」

改まった俺をみて華菜先輩は不思議そうにしている。

「ありがとうございました!」

「え?何に?こっちのセリフじゃない?」

「いやいや、僕のセリフです。本当にありがとうございます」

何度伝えても伝えきれない。

「私も、本当にありがとね!これからも読書研究部でよろしく」

「はい!」

読書研究部に入れて良かったな。

「それから・・・」

華菜先輩も背筋を伸ばして、改まる。

「私と出会ってくれてありがとう。読書研究部に入ってくれてありがとう。柊磨と仲良くなれて本当によかった」

何度でも見たいその笑顔。

「そんなに言われると照れます」

2人はまた笑い合った。

俺はやっと、読書研究部の一員になれた気がする。

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