第11話 決戦前夜
正直なことを言うと、俺と華菜先輩は焦っていた。
そんな一言で形容できないほどに。
最初に計画していた本屋巡りはだんだんと楽しくなりただのいい休日に、次の図書室のデータを元に発表内容を決める計画は咲ヶ原に潰された。
何も決まっていないのに時間だけが無情にも過ぎていく。
手詰まりの状況のまま気づけば新入生歓迎会まであと1週間。
そして今俺たちはまた、読書研究部の聡明枠である恋咲先輩の力を借りに来ていた。半ば押しかける形で。
「あの、私は働いているんですよ。それに前回、カフェに来ていただいた時も結局何も聞かずに帰ったじゃないですか!」
姫はご立腹のようだ。持ってきたコーヒーから立ち込める湯気はこの人が出しているのではないかと思う。
それは置いといて俺と華菜先輩は奥の手を出すしかなかった。
「読書の楽しさを伝えるのに一番適してるのはやっぱり漫画かな」
「いいと思います」
「私の声聞こえてないんですかね?」
漫画。この提案を出したのは意外にも華菜先輩だった。俺も胸の内に秘めていた案ではあったが、流石に邪道である気がして言わなかった。
もちろん、俺も漫画は好きだし日本が誇る素晴らしい文化であるとも思う。でも読書研究部と銘打っている組織が紹介する本が果たして漫画でいいのだろうか。この高校には漫画研究部があるから尚更だ。
でも、華菜先輩が色々考えた結果だし何より今は余裕がない。もう振り出しには戻れないし新しいことを始める時間もない。
漫画と決めたらもう進むしかないのだ。
「漫画なら多分みんな知ってると思うし」
「そうですね」
そして俺たちは最近アニメ化された漫画のタイトル集を眺める。どれにしようか吟味していると2人の耳に「あの」という聞き慣れた声が飛び込んできた。
「何ですか?恋咲先輩」
恋咲先輩は神妙な表情で口を開いては閉じてを繰り返す。何か言いたくて迷っているのか、それとも口のストレッチでもしているのか、はたまた餌を食らう金魚の真似でもしているのか。
「それで本当にいいのですか?」
恋咲先輩ならそう言うと薄々思っていた。
確かに、華菜先輩が漫画を紹介する想像がつかない。それは俺も同じだった。
「しょうがないよ。もうなりふり構っていられない」
恋咲先輩の気持ちとは裏腹に華菜先輩はすでに腹を決めているようだ。俺はこの人についていきなるべくサポートするしかない。
「嘘をついても人の心は動かせない気がします。華菜、漫画はあまり好まないでしょう?」
「まあそうだけど。でも私が読んでる本が万人受けしないことぐらいわかる」
恋咲先輩の元へ来たのは、今の俺と華菜先輩の考えを俯瞰して見てくれる人が欲しかったからでもある。第三者の意見を聞いて、本当にこれでいいのか否かを俺は改めて考えたかった。
実際、恋咲先輩はビシッと意見を言ってくれた。それでも華菜先輩の意志が揺らぐことはなさそうだ。
「もう決まったことですから、残された日にちで内容固めましょう」
「もう決まったことなのになぜ私に」
恋咲先輩は聞こえるか聞こえないか微妙な音量で拗ねたように言った。
「話を聞いて欲しかったんですよ。だってあなた部活来ないでしょ」
「そ、それはまあそうですけど」
痛いところを突かれ、言葉が詰まる恋咲先輩。
「あ、あと一つだけ守ってほしいことがあります」
俺が立てた人差し指に2人の視線は集中した。
「冬乃先輩には絶対に内容を見せないでください」
「え?何で?」
「冬乃先輩は咲ヶ原の恋人です。あの人に内容を見せたら、咲ヶ原にチクるかもしれない。咲ヶ原がそれを見てまた何かしてくるかも」
これはずっと警戒していたことだった。むしろなぜ他の3人がそこまで冬乃先輩に警戒心がないのかが不思議なくらいだ。
「冬乃はそんなことしないと思うけど・・・」
華菜先輩はそんなことを言う。先輩たちからしたら冬乃先輩は仲間という意識なのだろうか。俺からしたら咲ヶ原の彼女、読書研究部の敵というイメージしかない。
「漫画研究部の佐藤さんは4人新メンバーが入るかもって言ってましたよね。つまり、冬乃先輩は負けたら辞める気なんです」
「そうなんですか・・・?」
思ったより2人の反応が鈍い。あまり納得いってないようだ。俺はダメ押しの言葉を追加する。
「冬乃先輩はこの部活のことを何とも思ってないんです」
「そうかな・・・。まあ了解。どうせ冬乃来ないしね」
最後まで2人は首を傾げるだけだった。
それから俺と華菜先輩は残された時間をフルに活用し、歓迎会の発表内容をまとめた。授業中、放課後、そして家に帰った後もこの前交換した連絡先で通話をしながらより良いものができるように。
部室で作業をしている時はたまに真夏先輩と恋咲先輩が顔を出してくれた。2人とも協力したい気持ちはあるようだ。真夏先輩からは差し入れももらった。
そんな中、案の定冬乃先輩は全く顔を出さなかった。
別に俺は何とも思っていないし、悲しくもないのだが、華菜先輩はやけにショックそうだった。
4人は幼馴染だと言うが、全員個性も見ている方向も違う。人生の中の長い時間を一緒に共有していると言うならもう少し共通点があってもいいのではないか。俺からしたら4人が唯一交わる場所はそれこそ読書研究部な気がする。
3人の冬乃先輩に対する気持ちは出会って1ヶ月の俺には絶対分からない何かがあるのだろう。
そんなこんなで華菜先輩と一緒に駆け抜けた準備期間。最初から距離があると言うわけでもなかったが随分と仲良くなった気がする。
なんせ実家に挨拶しにいっているのだから。
今まで俺にとって一番慕っている先輩は真夏先輩だった。多分あの人からしたら俺は後輩の1人なのだろうけど。それでも俺はよかった。真夏先輩は俺の恩人だから。
でもその真夏先輩と同じくらい俺の中で存在が大きくなっているのが華菜先輩だった。真夏先輩とは別の種類で親しい先輩。
本の話をすることなんて、同級生でもなかった。そういう意味では華菜先輩は友達のような感覚が強い。高校生になって初めてできた、これからも仲良くいたいと思う友達。
連日の疲れから部室の机に突っ伏してすやすやと眠っている華菜先輩を眺めながら俺はそんなことを思っていた。
ただひたすら一つのことに向かって情熱を注いだのはいつぶりだろう。他人と協力して何かを成し遂げようとしたのはいつぶりだろう。
時計の針はいつのまにか進んでいた。
読書研究部の運命が決まる新入生歓迎会は明日。
いつになくピリついた雰囲気の部室に1人の生徒が入ってきた。
「どうもーお邪魔します」
気の抜けた声。ほぼ完成したパワーポイントに目を落としていた俺と華菜先輩はそれが誰の声なのか一瞬分からなかった。
同じタイミングで顔を上げて声の方向を向くと、そこに立っていたのは漫画研究部部長の佐藤さんだった。
「あれ?佐藤さん。どしたんすか?」
佐藤さんは手に持ったジュースを揺らした。
「もう明日でしょ?景気付けに一杯やろうよ」
「なんすかそれ」
酒でも飲んでるのかと思うようなテンションだった。そっちも同人誌作りという作業続きでおかしくなったのか。
俺たちの了承を得るより前に佐藤さんは向かいの席に座りジュースの缶を開ける。プシュッと弾ける音が部室に響いた。
俺と華菜先輩は顔を見合わせた。
「休憩しようか」
華菜先輩がしょうがないかのように笑ったので俺は従うことにする。
「で、内容は決まったの?一位獲れそう?」
随分と一直線に話を聞いてくる佐藤さん。
「一位獲れるかはわかんないけど、漫画にしようと思う」
俺は2人の会話を見ることしかできなかった。
「へえ意外。どの漫画にするの?」
「これ」
華菜先輩は佐藤さんを仲間だと思っていると以前言っていた。同じ弱小部活の部長。境遇も似ている。
違うのは諦めているか、最後まで足掻いているか。
あんまり人と打ち解けている印象がない華菜先輩は、佐藤さんとはフレンドリーに話していた。
でも俺は対照的に今日の佐藤さんからは何か以前会った時と違うものを感じていた。どこか全ての造りが嘘くさいと言うか・・・。気のせいか。
この人は華菜先輩の貴重なお友達なのだ。
たまに自分の警戒心の強さが嫌になる時がある。
「あーこれすごい話題のやつじゃん。絶対いいよ!これならみんな知ってると思うし」
「うん。よかった。漫画好きの人からそう言ってもらえると安心する」
「漫画研究部は今年度で終わっちゃうけど、読書研究部が続いてくれるなら安心だよ」
「あはは。まだわかんないけどね」
「発表のやつも見せてよー。どんな感じ?」
華菜先輩はパソコンを開いてこの1週間の成果を見せた。佐藤さんは難しい顔でそのパワーポイントを一通り再生してから、アドバイスをしてくれる。
それから俺たちは漫画のプロフェッショナルである佐藤さんのもと、もっとわかりやすく伝わるように微修正を行なった。
終わってからそのパワーポイントを見ると確かにさっきまでのものより良いように感じた。さすが漫画研究部の部長は違う。
「私たちの分まで頑張ってね」
2人の部長は握手をした。
佐藤さんが出て行った後、俺と華菜先輩は何だか気が抜けてへたり込んでしまった。
ここ数日の疲労が一気に出たと言ったところだろうか。でもどこか気持ちよくて爽快感がある。
悪くはない感覚だった。
華菜先輩の横顔を見ると視線に気づかれる。俺が目を逸らした時にはもう遅かった。
もう一度少しだけ見ると華菜先輩はまだこっちを見ている。
華菜先輩は優しく、はにかんで笑ってくれた。
こんな顔を俺に向けてくれた人は初めてだった。
「明日、頑張ろうね」
新入生歓迎会当日。あいにくの雨。
時刻は正午なのに世界は灰色に覆われていた。
雨が体育館に身を打つ中、新入生歓迎会は行われている。現在は水泳部が今年流行った芸人さんのパロディをしていた。若干滑り気味だが強烈なインパクトは残せるだろう。
舞台袖からその様子を華菜先輩と2人で見ていた。本当は緊張で吐きそうだが、俺まで態度に出ていたから華菜先輩はさらに不安だろう。
だって華菜先輩は態度に出まくっているのだから。
体は常時震えているし、声もまともに出ていない。
何とか落ち着かせようとしているが本番にどうにかなるのか。
水泳部の発表が終わった。
読書研究部の発表まで後4つ。
「ここで、プログラムを一部変更します」
司会の生徒が切り出した。
新入生は鎮まる。そして壇上に1人の女子生徒が上がってきた。
「漫画研究部の佐藤です。突然ではありますが、我々漫画研究部も歓迎会に参加したいと思います。」
会場を少しのざわめきが包む。
俺は硬直して驚くことしかできなかった。そしてそれは華菜先輩も同じだった。先ほどまでの震えが嘘なのではないかと思うほど。でも、事態はそれで終わらなかった。
佐藤さんは凍った眼差しでパソコンを開き、舞台上のスクリーンに一つのものを映し出す。
それは漫画を紹介するパワーポイントだった。
「え・・・?」
漫画研究部が紹介を始めたものは、俺と華菜先輩が紹介しようとしていた漫画と全く同じだった。
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